第37話 Somer
私は朝起きてすぐにアルバイト先であるソミールに向かっていた。ソミールは文京区にあるのだがどの駅からのアクセスが最悪であり、何度目かわからない悪態を心の中でついていた。
「店長、おはようございます」
私は店内に入りカウンターでパソコンを開きながら本を読んでいる店長の大宮楓に挨拶をする。
「明日香ちゃんおはよう。今日のシフトは12時までだよね。よろしく~」
店長はそう言って本に目を戻した。
ここ、カフェソミールは基本的に客が来ない。恐ろしいほど客が来ないのだ。日に3人くればいいほうであった。
いったいどうやって経営しているのか謎でしかなかった。しかも私に対して払われる給料は東京都の最低賃金より500円は高くしっかり遅滞なく払われることもまた不思議極まりなかった。
店長曰く、ネットでなにか商売なりビジネスなりを営み、その利益を店の経営に回しているらしい。
ここのテナントオーナーでもある浜野貫之からの紹介が無ければ私を雇う事もなかったのだろうと思う。
結局のところ今日のアルバイトは掃除と店長との雑談で終わってしまった。客が1人も来なかったのだ。店長は話をするのが上手いし、仕事中にスマホを触ってもいいというスタイル(そもそも店長がスマホなり本を見まくっているので)なのでシフトの時間はすぐに過ぎていった。
「店長、そう言えば浜野さんって今日事務所にいますか?」
私は店長に聞く。大抵の場合浜野さんの動向を店長が把握しているからだ。
「んー?ゆっきーはいると思うよ?」
そう答える。ゆっきーとは貫之から取ってゆっきーと呼んでいるようだった。あまり詳しい事は聞いていないが浜野さんと店長は昔なじみのようだった。
「ありがとうございます。今日は上がらせていただきます。お疲れさまでした」
「うん、明日香ちゃんおつかれ」
店長が手を振る姿を後ろにカフェの横にある薄暗い階段を上る。
扉の横にあるチャイムを鳴らすと「どうぞ」と中から聞こえる。建付けの悪い金属のドアを開けるとそこには時代錯誤なイギリスの上流階層でも住んでいそうな空間が広がっていた。
椅子にはあまり手入れをしていなさそうな黒髪で左目には海賊がつけていそうな眼帯をした男が煙草をふかし本を読みながら座っていた。彼が探偵浜野貫之である。
「浜野さんこんにちは」
自分と3歳しか年が違わないのに探偵事務所をやりくりしている浜野に私は声をかける。
「明日香か。何か用でも?僕から何かお願いしていた覚えはないんだが?もしかして何か忘れていたりするのか?そうだったら謝るが」
浜野さんはたまに私の研究の手助けをしてくれている。つまりは不可思議な事が起こる事件に関して私を呼んでくれることがあるのだ。だが、私から何かお願いすることはほとんどなかった。だからこのように少し悩んだ顔をしているのだと思う。
私は浜野に対面するように座り、荷物と上着を横に置いた。
「浜野さん、手を貸してほしいんです」
私からこう何かをお願いするのは初めて会った時以来だった。その時私たちは依頼人と探偵という関係だった。その時と比べるとお互いの親密度はかなり高まってきたと思う。
「一応、依頼として受け取るが、それでいいか?安くはする。」
前言撤回である。そこまで親密にはなれていなかったようだ。結局のところ知り合いからのお願いであっても私たちの関係は金は取るようなものらしい。
最初の依頼では結局依頼料は受け取らなかったくせになと私は思いながら話を続ける。
「ええ、いいですよ。私たちの関係でも、知り合いからのお願いでも依頼は依頼ですからね。」
「すまない。何か気を悪くさせてしまったようだ。お茶でも出そう。」
「いいえ、結構です。それより話を聞いてください。」
私はシフト中、嫌というほどいい豆から挽かれたコーヒーをただで飲んできたので飲み物を飲む気にならなかった。
そして、私は昨日あった出来事を事細かく伝えた。
「私は多分、牛鬼の仕業だと思うんです。見た目もそれっぽさがあったし、色んな言い伝えがあるなら、私以外に見えていなかったのもそういう能力を持っているってことで説明がつきませんか?私だけ気づいたのは、ほら私って特殊な体質じゃないですか」
ここでいう特殊な体質とは、私の血に化け物の血が混ざっていることである。
それを聞き浜野は少し考えた後口を開いた。
「いや、それは早計だな。牛鬼と特定するには根拠が薄すぎる。そもそも論、牛鬼という妖怪は天災や、獣害を妖怪として例え、伝えられたもの。そう捉えるほうが自然だ。また、化け物だけが消えたのなら確かに明日香の体質によるものであると言える。だが、被害者の姿形も消えたのだろう?この件はどちらかというとそこが鍵になると僕は思うな。マイナンバーカードもそうだ。写真に残りながら、実物は消えてしまった。まるでそれらが存在していたことがおかしかったように。いや本当に存在していたのか?」
その通りだった。被害者はすっかり消えてしまっていたのだ。
「じゃあなんだっていうんですか?例えば私がマイナンバーカードだけを拾って写真に撮ったものをそれを風で飛ばされたことを記憶を捻じ曲げて覚えているとでも言うんですか?」
「いや、そうとは言ってないさ。ここから先は簡単な話だ」
彼はそう言う。
「実際に調べてみようじゃないか」
何か面白いものを見つけた子供のような笑顔で彼はそう言った。




