第36話 Consideration
スクランブル交差点で起きた事件から家に帰るまでの記憶は私には無かった。それだけあれは衝撃的なことであった。人ならざるものがこの世界に存在することは重々理解しているつもりだった。だが、目の前でああも現実離れした出来事が起こると受け止められるものではなかった。
家に帰り父に「ただいま」と挨拶する。家には夕飯の匂いが立ち込めていた。
ギターと買ってきた本を自室に置き食卓につく。
「明日香、どうしたんだい?顔色があまりよくなさそうだけど」
父が私にそう聞く。
「ねえ、お父さん。お父さんって目の前で急に人が消えたことってある?」
「人が消える?そんなことはないなぁ。仕事で新人が入社一日で飛んだことはあるけど明日香が言いたいのはそう言う事じゃないんだろ?」
「うん」
「明日香は最近音楽に、大学と色々頑張っているからな。疲れがたまってるんだよ」
父は私にそう言った。私はその言葉を聞きながら箸を進めた。
目の前で起きたあれは現実ではなかったのだろうか?あの血の匂いも、頭を食いつぶされる音も、無造作に流れ出た血の水たまりを人が踏みゆく音も。あの男の悲鳴も。
周りの人間は気にしていなかった。確かにそれは私が幻覚を見ていたとしたらつじつまが合うだろう。だけれどもあんなに五感を刺激されるような錯覚を見るものだろうか?
自室に戻りふと、スマホを見る。スマホを開くと画像のフォルダが開いていた。そこにはさっき撮った辺見という男のマイナンバーカードの写真があった。
幻なんかではなかった!!!
目の前で起きたことを振り返ってみることにした。私はこれでも化け物研究者なのだから。
まず目の前にいた男は一緒にいた女が変化をして食い殺された。これには色々と似たような話はあったはずだ。
例えば、アジアの広い地域で言い伝えられる九尾の狐。あれは美人に化け政治の中枢に入りこみ謀殺をしたり食い殺すエピソードが残されている。殺生石で知られる玉藻の前なども有名だろう。
ほかには雪女や絡新婦、これらはどちらも美女に化け男をたぶらかし最後は殺す、あるいは食べるといった怪談があったはずだ。
ほかにも何か似たエピソードはあったはず。私はそう思い部屋にある世界の妖怪、化け物についてまとめられた本に手を伸ばす。私の部屋は気が付けばそんな感じの本で埋め尽くされるようになっていた。父はその様子を見て笑いながら「妖怪博士にでもなるつもりかい?」と言ってきた。まあ、父も妖怪博士を目指すなら目指すで応援はするといってくれたのだが。
私は本のページをめくる
そう、牛鬼だ。牛鬼自体には本当に色々な言い伝えがある。その中の一つに女が子供を抱いてほしいと頼み抱くと、その子供が石のように重くなり動けぬうちに牛鬼に食われるというエピソードだ。
牛鬼の姿が描かれる絵は大抵体色は黒だ。様々な動物が混ざっているように言い伝えられており、その姿は定まっていない。それと同じようにどのような悪さをするのか、色々と言い伝えのある妖怪である。あるときは人を救い、別の話では病をふりまき、人を食い殺すこともある。
それが牛鬼である。
私が見たあれも牛鬼だったのかもしれない。そう思うようになってきた。言われてみると牛のような姿をしていたような気もしてくる。
周りの人間に認知されなかった謎はいまだに明らかになっていないが牛鬼自体かなり言い伝えによってそのあり方が変わる存在だ。人々の記憶から消す能力のようなものの1つや2つもっていても不思議ではないと私は思う。
ネットで調べたところ浅草にも現れたという伝承があるようだ。ならば渋谷のスクランブル交差点に現れても不思議はないだろう。
こんなことを特定してどうするのか。そう思われるかもしれない。でも、私の目の前で化け物が現れ、それが人を襲ったのだ。これが最初じゃないかもしれない。そして、最後とも言い切れないだろう。
あの化け物による犠牲者を止めたい。私はそう思った。
私はああいう化け物や怪異と人の繋がりに関心がある。鶴の恩返し等のように人ならざるものも人と分かり合えるのではないか?それが私の持つ思いだった。だが、あの化け物は違う。一目見てそう思った。野放しにしておくのは危険だと思った。
どうすればいいのだろうか?
私にはこういう話をよく聞き対応している人間を良く知っていた。
私の2つ目のアルバイト先に大学から少し離れたところにあるカフェ「ソミール」がある。そのカフェの上階には「デカデンティア探偵事務所」がある。
そこにいる探偵、浜野貫之は化け物退治を専門にした人物の弟子であるという。
私は、彼にとある魔性(浜野さんいわく人間社会のあり方に反する存在)がかかわる事件で命を救ってもらった。私が妖怪や怪異と人のつながりに興味を持ったのは彼の影響があった。
彼ならばあの牛鬼と思われる魔性の正体を明らかにして退治することができる。私にはその確信があった。
丁度明日は、一日講義が無い日でソミールでのバイトシフトが入っている。
明日、彼に相談しよう。そう考えると私は気が軽くなり、布団の中で安心して瞼を落とすことができた。




