第35話 Scramble into
4月の暮れ、私はギターを背に銀座線に揺られていた。ひょんなことから、私が大学1年の頃にT大学の軽音サークルの同期で結成したバンドストーリーズは、メジャーデビューしていた。オリコンチャートの20位台につい半年前に乗ったばかりだった。
一体なぜこうなったのか、正直私にはわからなかった。でも、バンドでドラム担当である、葉山陽子は今日のレコーディングでも飛び跳ねるように喜んでいた。私としては一切実感がなかった。もはや、いつメジャーデビューしたのかそれすらも記憶にない。だが、事実ストーリーズは音楽界でもそれなりの地位についていた。
車窓は電車が地下を走っていることもあり鏡のように私を映していた。そこに映る私は金髪に長身で黒のレザージャケットにジーンズを履いた、探せばどこにでもいそうな大学生であった。
そして、私は今レコーディングを終え渋谷に向かうところであった。レコーディングが午前で終わったため、卒業論文に使う資料を本屋で買うためである。
私こと清水明日香は、東京都文京区に位置するT大学の4年生である。ギターを背負っていることから分かるように、バンドストーリーズではギターを担当しており、歌や作詞作曲も兼ねていた。
大学1年のとある事件をきっかけに私は妖怪や幽霊、化け物といったものに強く関心を持っている。そのため大学では、文学部人文学科社会学専修課程に進み、民俗学やいわゆる妖怪学というものを学ぶようになっていた。
私は特に化け物と呼ばれる存在と人間の間のつながりについて深く関心があった。しかし、フィールドワーク等を通じて様々な場所に実際に足を運んでみたが実際にそういう”存在”に出会う事はほとんどなかった。
電車が止まり、渋谷に着いたことをアナウンスされる。私はホームに降りて行った。
渋谷駅はあちこち工事の途中であった。どうにもずっと工事をしている印象がある。一体いつになったら終わるのだろうか?駅構内の動線も工事の看板などと混ざり、来るたびに私は迷子になっていた。
とはいえ、私の1つ目のバイト先があり、買い物にもよく使う新宿駅も大概である。特に都庁の方面に向かうときに至っては1度空が見えるほどに複雑怪奇であり、まさにダンジョンのようであった。
ダンジョン、そういう意味では私の研究分野に関連していると言えるのかもしれない。ここは人を迷わす怪異と言えるだろう。もし、江戸時代に同じ構造の建物があったとしたら怪談の1つや2つになっていただろう。(後で調べてみたら、現代でもネット上ではダンジョンと呼ばれているようだ。当たり前だろうと思う。)
季節の変わり目でもあるため、そろそろ新しい服を買おうとも私は思っていた。そう言う事もあり普段はあまり行かない渋谷に今日は足を運んだのだった。
私は左の二の腕に三つ巴の形をした痣がある。これを隠せるような夏でも着れる服を探していた。別にこの痣を隠しておく必要は無いことはわかっている。でも、これは例の事件のきっかけであり大切な幼馴染とのつながりの証であった。私だけのものにしておきたかった。
駅構内の看板を見ながら何とかハチ公前出口にたどり着く。人も多く案内も見にくく最悪のアクセスだった。
駅を出るとそこには人がごったがえしていた。行先も決めずに私は街中をぶらぶらとしようかと思っていた。人の多さのわりに今日はなぜかスムーズに歩みを進めることができた。まるで周りの人が私を避けているそんな気がした。
とりあえず1番の目的を果たそうと事前に調べていた本屋に向かった。駅から徒歩10分ほどで本屋につく。必要だった本は、本屋に着いてすぐに見つかった。これで第一目標を達成である。
そのあとは、なんとなく町中を歩いた。服屋も何軒か回り気になる服もいくつかあったが値札を見ていったん手を止めた。別にお金が無いわけではない。確かに私は父子家庭であったが、掛け持ちのバイトで貯金はある程度しているし成績優秀者を対象とした奨学金を受け取っていた。
ただ最近は同じようなデザインの服があちらこちらからも販売されるし、ネット通販でより安く手に入るようになって来た。別に廉価品を求めているわけではないがよく吟味してから服を買うように私はなっていた。いや、何も服だけではないかもしれない。
そんなこんなで、結局のところ本以外何も買わず空が夕焼け色に変わっていた。暗くなる前に帰ろう。そう思い私は駅に向かって歩き出した。
スクランブル交差点の信号が青になり人の群れが動き始める。スクランブル交差点は渋谷のトレードマークとも言えるが、実際に歩いてみるとただの交差点でしかないなと私は歩くたびに思っていた。浅草などに行くと伝統や雰囲気というものを感じるのにこの差は一体何なんだろうか?これもいわゆる信仰や歴史に由来する神秘性を感じているとかなのだろうかと分析しながら私はスクランブル交差点を渡る。
前でスマホを開いた人物の画面から今が16時30分丁度であることが分かった。
私の少し前に2人組の男女が歩いている。2人はなぜか私の目に留まった。男女は仲睦まじい様子であり交差点を歩いている。周りの人混みは不思議とその2人組からは距離が開いているように感じた。
夫婦だろうか?あるいは恋人?2人は手をつないでいる。
その時。
女の体が膨らんだ。
体が肥大化して黒い毛皮の獅子とも狼ともあるいはサイ?しかして翼も持つ説明のしがたい化け物へと姿を変える。
「さち?なんだその姿は!?何なんだ!!!!」
男は驚いた表情を浮かべる。
怪物は一瞬にして男の首に食らいつく。
ぐしゃ。
男の頭がつぶれる音がする。雑音の多い交差点の中でも私はしっかりと聞き取れてしまった。
あまりの光景に目を背ける。
どしゃ、という音とともに男の体が倒れる。
その時おかしなことに気づいた。1つは目を背けた一瞬のうちに怪物が姿を消したこと。2つめは”私以外誰も目の前の光景に気づいていない”ことであった。人の波が男の亡骸を踏みつけていく。
「ちょっと!待って!!ここに倒れている人がいるでしょ!!!警察、警察を呼んで!!!!」
私は叫ぶが誰も反応しなかった。いや、反応はするのだ。みんな私のことを見て、私を不審者を見るような目で避けるようにして、そして男の血痕を気にせず踏んでいくのだ。
私が人の波を食い止めるようにすると人の壁が男を踏む数が減った。それなりの時間が経ったが信号はまだ青だった。
男の身分を確認するためポケットをまさぐる。直感として男の身分を知っておく必要があると思った。あたりは血の匂いで充満していたが、私は慣れていた。財布には大量の紙幣とともにマイナンバーカードがあった。
男の名前は、辺見銘太であり、その顔写真は今さっき歩いていた男と同じであった。それと同時に私はスマホを開き119番通報をする。
周りの人が一気にいなくなる。
歩行者用信号が点滅していたのだ。このままでは、私が車に轢かれてしまう。
急ぎ横断歩道を渡りきると同時に車が走り出した。
「もしもし、火事ですか?救急ですか?」
電話口から声がする。
「ああそんな!」
これは私の口から出た言葉だった。
車が先ほどまで男が倒れていたところをものすごい勢いで通過していたのだ。通行人と同じように男のことに気づいていないようだった。いや、違う。男の姿がなかった。きれいさっぱり血痕すらも消えていた。
その時左手に違和感を覚えた。
手に持っていた、辺見という男のマイナンバーカードが塵のようになり消えていっていたのだ。すっかりとあの男の痕跡が消えてしまった。
「もしもし?もしもし?今声が出せない状態ですか?」
「いえ、すみません。なんでも、何でもありませんでした。」
そう言って私は電話を切った。そうすることしかできなかった。私の記憶以外から目の前で起きた事柄の痕跡がすっかりとすべてが消えてしまっていた。




