第34話 大学生 神原拓狼②
ボクは次のバイトでどうすれば良いか考えていた。ボクは小さな塾の講師としてアルバイトをしている。地元の、自分が中学生の時に同級生が通っていた塾だ。(ボクは言わずもがな家計の問題で塾なんて通っていなかった。)
今担当している子が、二次方程式を上手く理解できていないようであった。気持ちは分からないでもない。数学というものは、身の回りにある数字の動きに反するようなものを扱う。その感覚さえつかんでしまえば後は計算の問題(ちなみに露は足し算引き算が遅くそこで文系に転向した)だけになる。その感覚をどう掴ませるのか。それがボクに課された課題であった。
塾講師自体は嫌いではない。TR大の課題などの中でアルバイトをしていること自体は大分厳しいところはあるが、新しい事を学び直す事が少なくて楽だった。いや、本当は教育論だとか、教え方を学ぶべきなのかもしれないがボクはもっぱらそういうものに手を出していなかった。お金を払ってまで学びに来ているのだから、教わるほうが努力すべき。それがボクの考えであった。
「次に56ページ、フィギュアワンのシステム構成について教える」
講義室内に教授の言葉が響く。
講義室内。そう、ボクは今、多変量解析の講義を受けている。大学4年生にも関わらず、選択必修科目が残っているのはどうかと言われたら、アルバイトのために仕方ないことだったとしか言えない。
教授の言葉を聞き流しながら講義内の課題を適当に済ませる。この辺の内容はもう知っている。研究室と自宅でパソコンをいじっているうちに必要だったのですでに自分で学び終えていた。なのでこの講義はもうどうでもいいものというのがボクの中での位置づけだった。
大学というものはお金を払って受けに来ているにもかかわらず自分に必要ないものまで受けなくてはいけない。いや、仕方のないことだ。これはつまり、TR大学卒業というタグ付けされた人間を就職市場に放流する前に、ある程度の質を担保させたい。きっとそういう意図もあるんだろうと思う。
でも、ボクはAIについてだけ学んでおきたかった。大学とは研究機関であるはずなのになぜ必要のないものまで取らねばならないのか。
気が付くと講義終了のチャイムが鳴った。リアクションペーパーが配られる。ボクは適当におべっかを使う。大学の教員など、研究の合間に嫌々ガキに教えているか、自分を持ち上げてもらって鼻の下を伸ばしているような奴らでしかない。なので見え見えのおべっかであっても彼らが望んでいるのはそういうものだとボクは理解していた。
講義が終わるとボクは研究棟に走った。駆けこむように三浦研究室に入る。ここが、この空間こそがボクがこの大学に入ると決めたきっかけであった。
三浦教授は日本におけるAI研究の専門家だ。ボクがAIというものに興味を持ったのもテレビのドキュメンタリーで特集された三浦教授の研究を見たことである。その後、色々なコンテンツで(例えばアイアンマンのジャービス等)AIに触れ、この業界に進みたいと決心したのだ。
ボクが研究室に入ってすぐにすることはWi-Fiに繋ぐことだ。ここの通信は大学のネットより速いしボクは節制として一番通信容量の低いプランにしていた。
「よーし、NA2今日も頼むぞ」
ボクはパソコンを開き語りかける。NA2、それはボクが今、卒論に向けて扱っている自作AIであった。これは多分野アルゴリズム分析におけるAIの活用法について特化させたモデルであった。
NA2という名前は、研究室で初めて作ったAIにHAL(もちろん『2001年宇宙の旅』からだ。)と名付けたため、その次のモデル春の次は夏、という安直な理由からだった。
研究室で卒論に向けて最後の追い込みをかける。理論のほとんどは完成していたし、後は文章の構成であった。三浦教授に何度も見てもらいもう完成間近だった。
気が付いたら、窓の外が暗くなっていた。別にバイトのシフトは入っていないのでまだ残っていてもいいのだが、論文も良い感じに進んでいた。なので今日のところは帰ることにした。
「お先に失礼します」
ボクはそう同じ研究室で切磋琢磨する仲間に声をかける。
「おう、神原。帰ったら内職か?がんばれよ」
「はい、先輩ありがとうございます」
ここでいう内職とは自宅のパソコンでできるバイトだった。データ入力や、音声データの書き出し、動画編集等だ。微々たるものだが大切な収入源だった。
キャンパスのある葛飾から実家の調布市までは電車で1時間半ほどかかる。その間、基本的にボクは古本屋で買った小説かSNSを見ることにしている。多くの大学生は動画サイトを見ているのだろうが、ボクには通信容量からできない時間のつぶし方だった。
SNSでBABのトレンドを見る。BABは宇宙を舞台に星の地上で経営をしたり、モンスターと戦ったり、戦艦を動かし艦隊戦をしたり、そんな感じになんでもできるゲームだった。ボクがというよりも多くの男子の心を惹くようなゲームであったが、何よりもリアルマネートレードができる点が魅力だった。そう、ボクにとってはBABも大事な収入源だった。
辺境の中立星系の土地を買い、宇宙にものすごく手間と時間のかかる工場プラントをいくつも建設してその利用権を大手の国家(ギルドのようなもの、プレイヤーが集まって作る集団)に貸す事で利益を出していた。大手国家が自分で建設を嫌がるレベルの面倒な施設を提供することでそれなりにボクはゲームから収入を得ていた。そしてこれはこれで、元から工業ゲームが好きだったこともあり、ゲームとして楽しめるものだった。
キャンパス最寄りの金町駅から電車に乗り、西日暮里で山手線に乗り換える。新宿で京王線に乗り、ようやく調布駅に着いた。
調布駅で夕飯を買い家に帰る。家までは駅から徒歩で10分だった。家に着くと母が食事をしていた。
「拓狼、あんたの飯はないよ」
「知ってるよ、いつもの事だろう」
「お父さんが今月も仕送りを送ってこないからねぇ」
母はそう言う。そういった問題ではないだろうとボクは思う。母もパートに行っているので自分の手元のお金を減らしたくない、ただそれだけなのだろうと思う。ただ、母だけが悪いわけではない。すべてくそ親父が悪いのだ。愛媛だか愛知だかの工場に出稼ぎに行ってその収入のほとんどをパチンコで溶かしていると聞いた。なまじ稼ぎとしては悪くないため、ボクや露の奨学金に制限がかかる。給与の全部をギャンブルに溶かすというのもおかしいのでどうせ向こうで愛人でも囲っているのだろう。それとは別にそんな男と結婚して、あまつさえ出産した母を軽蔑していた。
「みゃう」という鳴き声を上げて愛猫のニケが足元に来る。白に黒のハチワレ柄をしたかわいい奴だ。2色だから二毛、ニケだ。
「ニケ、ボクにとってお前が唯一の家族のようなものだな。長生きしてくれよ」
「んにゃう」と答え、ニケはどこかにスタスタと歩いて行った。その会話を聞く母は我関せずだ。この人はボクらに興味がないのだろう。見ているスマホ画面をのぞき見すると中古のルイ・ヴィトンの販売ページを見ていた。この人は自分の事しか見ていないのだ。
親失格だな。そう考えながら自室に戻る。小さな昔からある勉強机で食事を取る。
これが、ボクの生活だ。こんな場所はボクがいるべき場所ではない。早いところ出ていきたいと思う。もしもAIが株の取引を上手くやってくれたら。そう思うことが何度あったことか。しかしうまくいかないものだ。何事も、ずっとそうだった。




