第32話 エピローグ 西武新宿駅で
9月頭のとある日、西武新宿駅に併設されたカフェの中で僕は煙草に火をつけた。待ち人が少し遅れるという連絡があったのでコーヒーを頼み気長に待つ。
「浜野さんすみません。シフトが長引いちゃって遅くなりました」
「別に気にしないよ」
清水明日香が慌てたように店内に入ってきた。バイト先の着替えの入ったカバンとタワーレコードのビニール袋を手に僕と向かい合うように席に座る。
「さては、集合場所をこのカフェにしたのって喫煙可能だから?体に悪いですよ?」
余計なお世話だ。僕はそう思う。
「そんな理由なら、スタバでもよかったじゃないですか。新作まだ飲んでなくて」
「スタバの新作を追うのは不経済なんじゃなかったか?」
「そう思ってたんですけどね?実際に飲んでみると彩りが人生に増えたって気がして。あと料理のレパートリーが増えた気がします」
そんなものなのかと納得する。
「それで、あの件は結局どうなったんですか?」
あの件とは大橋村で僕らが直面したことだ。あれは本当にひやひやする場面が多かった。
「未曾有の被害を出した、ただの山火事。そういう風に報道はされているな。多分真夜の実家がいいようにしてくれたのだろうな」
真夜の実家は高名な退魔の家柄だ。真夜は実家とは仲が悪いとは言っていたが、状況が状況なだけに対応してくれたのだろう。
「真夜さん、元気してます?」
「4日前に神社に寄ったときはピンピンしてたね」
「感謝、伝えないとですね。私が今こうして生きていられるのは浜野さんと真夜さんのおかげなんですから」
違う。そんなことはない。僕は煙草の煙を吐く。
「感謝なら直接伝えたほうがいい。あいつの鷺丸神社の住所を送る」
スマホをいじり、清水にマップアプリから住所を共有する。違うだろう浜野貫之。お前が伝えないといけないことは。
「それで、依頼料のことですが」
そう、それが今日依頼人である清水明日香と会った理由だ。
「いらない」
「え?」
「今回の依頼、報酬を受け取る資格が僕にはない」
そうじゃないもっというべきことがお前にはあるだろう。
「いや、色々ありましたし、あそこまでたどり着けたのは浜野さんのおかげです」
本心だろう。それはわかっている。だが、僕にとっては引けない一件があるだろう。
「坂上祭さんの失踪調査を依頼されながら、その対象を死なせてしまった。祭さんの死は僕の責任です。なので、その報酬は受け取れません」
僕は、清水のカバンに入っている銀行の封筒に目を向けながらそう言う。
「そんな、あれはどうにもできなかった事じゃないですか。私も、私がもっと気をつけられていれば。あの時先に気づいて声をかけていられれば」
涙を浮かべながら清水は言う。
「そんなのは理想論だ。僕は、祭さんを救う方法があった。持っていたはずなんだ」
そう、それが僕の言わなきゃいけないことだ。探偵、いや天野美佐の弟子、浜野貫之には許されないものであった。
「浜野さんそれだって理想論ですよ」
清水は言う。
「でも、わかりました。依頼料を受け取れないというのならば、そのお気持ちは尊重します」
少しして、清水の表情が暗くなる。
「浜野さん、私化け物に見えませんか?」
腰を席に深く沈めて僕は言う。
「タワーレコードでCDを買う化け物がどこにいる?」
清水の荷物を見てそう言った。
「そっか、そうですね」
清水の顔には笑顔が戻った。
「それから、僕は化け物って言葉は嫌いなんだ。鬼みたいに意味が広すぎる」
「じゃあ、ああいった存在はなんて呼ぶんですか?」
「人の営む社会とは相反する存在を魔性と。清水さん、あなたは人と人間の違いがわかりますか?」
「わからないです」
少し考えて清水は答える。
「人は霊長目のホモサピエンスのことを指して、人間とは社会を持つ人を示す。社会とは人の意識、無意識関わらず作られる不可視のネットワークだ。あの村は明らかにそれに属していなかった」
「清水さんあなたはどうです?大学に通い、もしかしたらサークルに参加しているかもしれない。生活費を稼ぐためにアルバイトをしている。あなたはただ力が強いっていう特徴のある人間だ。DNA的に見たら何か違いはあるのかもしれない。でも、そんなことを言ったら遺伝子や性質の異なる大多数と異なるホモサピエンスなどいくらでもいる。ウサイン・ボルトやメアリー・マローンのように少し変わっているだけなんですよあなたは」
僕はそう伝えた。これは本心である。清水明日香はまぎれもなく人間だ。師匠だってそう言うだろう。清水は納得したようだった
「浜野さん。浜野さんの仕事をしていると化け物、いや魔性に会うことは多いですか?」
清水が聞いてくる。質問の意図が読めない。
「ごくまれにというのが正確だろうね」
僕は答える。
「私を弟子にしてくれませんか?」
まったく想像していなかった言葉だ。弟子を取る。僕らにとってはその言葉の意味は深すぎる。受けることは決してできない願いであった。
「どうして?」
「私、思ったんです。魔性って言われる者の中にも私みたいにただの人間でいたい存在がいるんじゃないかって。もしいるのなら助けてあげたいって」
僕は笑った。それこそ店全体に聞こえるほどの大声で笑った。馬鹿にしているわけではない。そんなことを考える人間がこの世にあらわれるなんて思っていなかったのだ。
「いや、笑ってしまい、すまない。馬鹿にしたわけではないんだ。それは、そうだな。僕は応援しないし、手伝うつもりはない。だが、もし実現できるとするならば君のような人間なんだろうなとは思う」
「そうだな、探偵事務所の下にカフェがあるだろう?そう、ソミールだ。そこでアルバイトをするのはどうだ?何か必要に応じて君を呼ぼう。それでどうだい?」
これは僕なりの最大の賛辞だった。




