第84話 切り札
もう一度姉さんたちに会いに行くって、決めたんだろう、俺は。
こんなところで、尻込みはしていられない。
「――」
『枸櫞さん!!!』
催促する闢の声。
だが、あと少し待って欲しい。
すでに龍宮塔は周囲を泡に囲われている。
自分たちの鮫人も、急激な泡に押し上げられ、塔の上へと押し上げられつつあったが――
「ちょっと、静かにして」
いい加減、枸櫞さん枸櫞さん連呼されると、名前で弄られてた中学ぐらいの頃の苦い記憶が蘇って、しんどい。
名前……名前かぁ。
クエン酸、でパプリックなイメージは清涼感のあるスパークリングななにか。いやそれは炭酸だろう、それはそう。
目の前にはメタンの泡――俺、理系の脳味噌はあんまり持ってないんだけど。
(泡――或いは化学反応の応用、なにか思いつくもの……)
「闢くん、あの異形の解析を頼めるか?」
『これ以上なにを?』
「あの体表はスライム質のなにかに見えるんだが」
『成分構成や組成まではもっと近づかないとわかりません、ここに釘付けの状態では――』
「いや、やっぱり大丈夫だ。なんとなくわかってきた」
『え?』
架橋構造の破壊、だったか。クエン酸をかけてスライムのPVAやらゲルの液化をするやつがあったが、ここがテルクの海原であるなら、術者の想像力さえ追いついていれば、物質の想定は大まかでも同じことを異能で働きかけることができるんじゃないか?
異形の体表を象るものが、弱酸質のイオンがかける橋だとして、それを溶かすのに強酸のイオンをこちらが都合するイメージで。
「手伝ってくれるか、妖竜」
声があるでもないけれど、人形の奥から枸櫞だけにわかる手応えがあった。
彼は、塔にしがみついた状態で、異形の前に腕を翳した。
「――、解けろ」
直後、朱桃の指先からまったく新たな気泡の波がスクリューして、向こうの正面に叩き込まれる。
『まさか……捕らわれていた鮫人を!?』
異形が奇声をあげて、黒く砕けていく。
「反撃だ、闢くん!
今度こそあいつの核が露出した!」
『はい!』
十三号機が、異形の解れて散らばった中から、それを象っていたネーレイスの核を特定して、魚雷を連打する。枸櫞の狙いは功を奏し、あとの一帯には、沈黙する鮫人が停留していた。
『解放したのか、九号機から、残り。
最初からこうなるとわかっていたのか、天充?』
「いいえ、そんなに準備はよくありませんよ」
それができるなら、向こうからメタンの泡を浴びる前に、仕掛けていたはずだし。
架橋構造の破壊から、発想を応用した異能――だが、これさえあれば。
『その力で、海坊主に取り込まれた神社姫を?
枸櫞さん、流石ですね』
「――、まだなにも、誰も、諦めるわけにはいかないだろう。とにかく、向こうに停留してる鮫人を回収しよう。無事とは言い難いけれど、手がかりになってくれるかもしれない」
『は、はい!』
その後、ふたりは龍宮塔のなかに、解放した人形たちを連れてきて、寝かせる。
*
翼が話始めた。
『ずっと以前、テルクの王には、無意識にネーレイスへ、優位な正解を導き出す力があると、あいつは言っていた』
「泉客那戯が、ですか」
否定はされなかった。
『その頃、テルクの王とはどんなモノか、とんと俺には想像つかなかったが……今なら、わかる気がする。
天充、ネーレイスの体表を構成する成分について、グループ内では解析を続けていたが、根本的には同じマテリアルだとされていた』
「つまり――普段の白い奴らも、那戯が扱う黒いのや今回のも、色は違うけれど、ってことですか」
『何らかのイオンによる架橋構造でできていて、それを分解する技術を都合出来れば、或いは鮫人によるネーレイスの掃討はより効率化できるのじゃないか、という案だ。
ただし、そのイオンを構築する物質が、我々の世界にはない、稀少なものらしい』
「ヤヲ因子がそうであるように、ですか」
『そうだ。ヤヲ因子とてその全容がわかっていないが、“夢幻”と仮に名付けられたその粒子は、ネーレイスの身体を構築し、人形使いのヤヲ因子にも感応する。
おそらくいまのお前なら、すべてのネーレイスを水泡に帰することさえ可能だ。そう、お前だけが』
「なぜ今更、そんなことを?」
『――』
翼から返事はなかったが、眠る四機の鮫人に意識が向いているだろうことは、枸櫞にも窺えた。
少しして、彼がまた言う。
『九号機からを取り戻せたのは、紛れもなくお前の力だ。……ありがとう』
この男から素直に礼の言葉が出たのは驚きだが、彼らと過ごした時間が、翼にあったことも窺える。枸櫞は押し黙るほかなかった。
(でも、そうか。いま俺は……ネーレイスを侍らせている、泉客那戯への切り札を手に入れたんだ。この力なら、シトラにやっと手が届くんだ)




