第80話 もくぎょ?
北の果てで、白夜を視た。
日付を跨いでなお、沈まない陽に焦がされて――これは、地軸と星の位置が齎す、奇跡のようなかけがえのない時間。
だけれど人の身で、ずっとこれを浴び続けることは難しい。
ほんの僕の一生を費やす程度の長さの時間、この美しいものに浸り続けていたい、だけなのだ。
*
『なんでしたっけ、船乗りの墓場、とかなんとか。
三角形の……最近、雑誌で教えてもらったんです、貫さんに』
「バミューダトライアングル」
『そう、それです』
「闢くん、物知りだねぇ」
まぁそう言いたくなるのもわかる、今回龍宮塔がある海域は、どうやら史跡や一部現世の難破舟、航空機の残骸とおぼしきものが周囲にあった。
『どういうことなんでしょう?
あれって、飛行機の残骸に見えますし』
「テルクと現世の境界なんて、存外曖昧なところはあるけどな。
テルクから向こう側へ流出するものは聞かないのに、向こうから流れ着くものはあるみたい。そういう調査の記録は、僕よりそこの“先輩”に聞いた方が早そうだな」
『!』
しばらくの間、翼は闢に話をせっつかれていた。
云うてオカルト誌の擦り倒されたド定番と、郷土史料の見知った話を聞かされるだけなので、枸櫞は退屈に聞き流すのだったが。
「……テルクでは、自他の境界が曖昧になる」
『なんです、急に』
「ネーレイスの唄、人魚の唄は、なぜそんなものが必要だったんだろうな。
人がいようがいるまいが、人魚は海で唄い続けるしかないのに」
『さぁ……動物のような、求愛、ですとか?』
「なるほどね、そうかもしれない。
だけど唄が囁くのは、愛だけじゃないだろう。
人魚は愛など持たずとも、個体としては完結している。
不老不死の象徴を視て、唄を浴びるまでもなく、人はそれに惑わされてしまうんだ」
きっとあの白夜は、那戯の記憶の断片だったんだろう。
本当に、美しいものを見たという感慨だけが伝わってくる。
「この記憶も、自分の起源も、拘るほどにひとは己を呪っていく。
テルクの因果は不思議だな、普通は『人魚が惑わしたから、難破した』という物語か、『それは単なる天候の不順だった』と科学での説明がついて嘘と真の二極化して扱われるものでしょう――だけどヤヲ因子の性質は、因果の前後を問題にしない。
もとは単なる天候の不順も、あとから本当にネーレイスのせいにされたり、干渉する余地が生まれちゃったりするんだろうかな」
『なんですかそれ、ややこしい』
「あぁ、本当に、な」
泉客那戯は、きっと僕らを放置して、セドナを捕まえようとするだろう。あの男は最初から、なりふり構ってなどいられない。
口では何とでも、人を苛つかせられるが、やつは自分の限界をよく知っている。万能であっても、全能者ではない。
だから、セドナの力をあてにする。
僕らはそれを阻むことの一点に、勝機を見出す。
『でも、これからどうするんです?
もし神社姫を取り戻したところで、もとのもくぎょ?』
『木阿弥だ』
『それです、翼さんやっぱり頭いいですね!』
翼は通信の向こう側で、純朴な少年の反応に面食らっているようだ。
『まだどんな手を使って、神社姫の捕食をなかったことにしたのか、わかっていないのに』
「言いたいことは分かる、神社姫を取り戻しても、原因を解決しないと徒労に終わるって話だな。
まぁ……まったく心当たりがないではないんだ」
『どういうことです?』
「那戯のやつは、覚醒した自身の異能を最大限活用しようと考えたはずだ。それがヤヲ因子を含んだ粘土である以上、美岬嬢《人形造り》なんかより先にしなきゃならないことがあるんだから」
『と言いますと』
「《《ヤヲ因子を観測すること》》、そのための装置を造ろうとしたんじゃないかな。“因果律の眼”、とでも言っておこうか、便宜上。結果としてそれはヤヲ因子を通じて、因果律を観測し、干渉するための技術基盤になったはずだ。
特定の時間軸と事象にあたりを付けるほどのものだ、生易しいものじゃないだろう。
それがどこにあるのか、まずは確かめたい。
ただまぁ――」
だと言うなら、僕らの龍宮探索は、どのみちそろそろ切り上げなきゃならない。
『那戯を倒すのに、それだけで足りると想ってるのか?』
「だったらあんたが、とっとと壱号機取り返してくれてれば、もっとやりやすかったんですがね……まぁいいや。
それより、那戯の生前に乗ってた鮫人って」
『白號機と本人は呼んでいた。
死んだ鮫人の寄せ集めだ、それが?』
「鮫人のフランケンシュタインですか。
いえ、確かめたかっただけです、ありがとうございます」
なんでやつに粘土の異能が生えたのか、今なら少しだけわかるような気がしないでもない。白虎といえば、金運、魔除け、後門の守護神――やつもなんだかんだで、験を担ぐほうだったようだ。
『自分でものを組み立てるということに、昔から異様なまでに没頭していたな。その手つきで、お嬢を造ったというなら、気色悪い話だが――なるほど、病みつきになるわけだ』
枸櫞は海中の残骸を眺めていた。
やつは廃棄されるはずだった鮫人の残骸を活用し、独自に人形を組み上げるスキルがあったが、ジャンカーやってるにも関わらず、あそこに埋もれる残骸たちを有効に活用する手立てなんて、自分ではなかなかぱっと思い浮かびそうにない。




