第75話 魔障
美岬嬢は鮫人の運用ログを見たうえで、僕の処遇を客観的に判断しようと努めていた。だが、既に彼女は正気でなかった。
「すまない、朝桐くんを、生かしてやれなかった」
「……仕方ないよ。枸櫞くんは、悪くない。
状況に振り回されたのは、護斗くんもきみも、被害者みたいなものだから。ねえ、《《天充くん》》」
「!」
「それでも私を可哀想だと想うなら、私の最初の復讐に、手を貸してくれる?」
そうして僕が次にやらされたことは、銃を手渡され、
「久原さんを排除しなければ、この先もきっと同じことが繰り返される。きみだって、わかっているでしょう?」
久原咲智の殺害と、その痕跡の抹消だ。
彼女が失踪したように見せかけ、湾内へ沈める。
僕は断れなかったのではなく、断らないのだった。
僕はいずれ、姉さんを殺したあの男らを必ず殺すだろう。
なら今更死人のひとりやふたり、増えたって仕方ない。
どうせそうなることを、美岬も見越していて――僕を択んだのだ。
「大丈夫だよ枸櫞くん、あなたが地獄に行くと言うなら、私も一緒に堕ちてあげる。あなたを独りにするようなこと、しないから」
だけどその口調はもっと、彼女自身の内面に向いたもののように聞き受けた。自分は天充枸櫞を、殺人の駒として手放さない――だから私をあなたが手放すなんて、そんなこと、ありえないでしょうと、言うかのようで。
まぁ実際、僕には今更、喪うようなものなんてなかったんだ。
引き金を引くこと、人を殺すこと。
自覚しているはずだったのに、あまりにも引き金の軽かった。
そりゃあそうだ、僕にとってこの世界で、人間と呼べるのは姉さん――天充檸檬をおいてほかにおらず、姉さんのいない世界で、誰が死んだところで、どうでもいいのだ。
それでもできれば、誰かの大切なひとを手にかけるようなことなどないことを祈ったけれど、護斗くんを手にかけたのは、実質僕だ。
五号機が両腕を切り落とされなければ、水子級を相手にあんな無様なことにはなりえず、帰還した直後、やってきた翼には胸倉を掴まれて説教されたぐらいだ。
僕は、鮫人に乗って、戦い続ける理由がよくわからないでいた。
翼先輩は立派だとおもう。水子級に奪われた家族の仇を討つために、今日まで必死に努力しているのだから。
それに較べて、なにもない僕は……美岬のために一心不乱だった、朝桐くんさえ見殺して、なにをやっているんだか。
久原を処分した夜、美岬はすでに職員寮へ移った僕の部屋へやってきて、一夜を共にした。
それは僕を男として認めたとか、許したということじゃなく――彼女にしてみれば、忌まわしい魔性との契約にひたって眠ることに他ならなかったはずだ。僕らはお互いに、どうかしている。
そうやって僕に覆いかぶさる美岬の姿が、なんでかいつかのあの人に重なって――……
*
顎が外れるかってくらい、きつく殴られた。
薄れていた意識が戻ると、隣に翼がいる。
「やっと正気に戻ったか、スカポンタン」
「――、あぁ、そうですね。
お手間取らせたようで」
八号機に海坊主がのしかかったとき、僕の意識はそっちに持っていかれた。ここはまだ、十三号機の中だった。
「天充、いまならぎりぎり、お前の意見を汲んでやらんでもないぞ。
あの海坊主を倒すか、否か。
手出しされたくないなら」
「ええ――迷うところじゃ、ありませんよね。
伏馬先輩……ありがとうございました」
憎たらしい男だが、海坊主の幻惑を振り払ってくれたことには、素直に感謝しなくてはなるまい。黒い神社姫の頭が、八号機の上から墨のように黒い滂沱の雨を流し、その顔を汚している。
「僕がふたりを、取り戻す」
シトラと姉さんが、あれに囚われているというなら、なおのこと。
枸櫞は八号機のなかへ、転移した。
「姉さん。
僕はちゃんと、気づいておかなきゃいけなかったんだよね。
姉さんたちに、どれほど愛されていたのか――って。
だからさ。次はその涙のわけを、応えてよ。
でないなら……僕たちは、この場で一緒に死ぬしかない」
八号機は護斗の銛を手元へ召喚する。
そうして幻惑――あの過去のなかで視た、妖竜の片翼と尻尾もいつの間にか顕現している。




