第67話 波止場
「シトラを取り戻す、か……」
そうするべきが道理なのはわかっている。迷うべきところでもない。ただ、十三号機でテルクへの跳躍ができたところで、那戯の手札が未知数だ。
「三、から四人。
命を預けあうやつが欲しいところだが、乗ってくれるだろうか、濱田先輩は。浅葱さんは、貫さんの介抱に努めているわけだし、気が進まないな」
「どうして貫さんが襲われたんだよ!?」
「おそらく十中八九、泉客那戯の仕業だ。
まだ実際に不意を討たれたのか、テルクで会敵した結果かまではわからないが……共鳴者殺しの力を、奪われているだろう」
「あんたは、なぜそう言い切れる?」
十三号機の少年は、未だにまごついている。
泉客に来てから、彼の周りには善きものがあれで沢山あった。
だからこそ、血縁者の不条理極まりない動きに、納得がいかない。
「僕が泉客那戯なら、必ずそうするからだ。
他の共鳴者は、王権の競争者となる。
必然、共鳴者殺しの力は潰すか、奪うかしかなくなる。
あいつには悪意はない、あるとすれば、呆れだ。
社会に対する、世界に対する――人間すべてに対して、ネーレイスやテルクの進化についてこれないモノになど、そもそも興味がない」
「だけど、あんたを徹底して踏み躙ろうとしている」
「僕の尊厳や意義を踏み躙るのは、あくまで《《ついで》》だ。
やつの目的さえ叶えば、僕が憎んでいる人間たちもすべて、彼の力で一掃される。口では詫びても、邪魔をしたという意識すら、ほんとうのところは持ち合わせてもいない。
だから僕の怨恨になど興味もないし、敗者として扱えてしまう」
「……なんなんだよ、那戯って人間は。
美岬ねえさんの、兄貴、なんだろう?」
「そう。人の子でありながら、徹底して共感性に欠けている。
死生観が生きながらにして、人魚の魔性のそれと大差なかった男だろう、普通はもっと肉体の生老病死のそれに振り回されて然るもんだが――だから簡単に、解脱を試みてしまえるのか」
「意味わからん」
「簡単に言うとね、あいつは人間らしい人間の愚かさ、悉くが邪魔……というか、必要ないんだよな。
自分は生まれながらに、確立した理念のそれに従い、行動できてしまえる」
いつの時代の裕福な若者にもよくある慢心のそれと、ある意味で変わらない。
体力と感性の優れた時代に摂取した全能感や渇望、青年期にありがちなもの、それが豊かな家庭に生まれ育ち、挫折を知らず成長とともに自信と慢心を肥大させたとして。
別の人生、艱難辛苦を送っている『貧困な』人間などないものやノイズとして扱えるのと、同じこと。
志ばかりは高いが、本当に足元や身近な人間、或いは社会の底辺を触れるでもなく、それがどういう経緯で発するか、想像する力を養っているでもない。
……というのが、枸櫞の想像する彼の人物的な背景だ。
――なぜなら、その背中を追って育ったろう美岬は、実際そのように歪んだから。金や権力で、ひとは自分の想い通りについてくると、本気で考えている。
兄妹のどことない稚拙さは、そうして通底してしまったのではないかと、枸櫞はとてもいやな想像をしていた。
「泉客美岬が、ずっとそうであったように」
「姉さんはあんなやつとは違うだろ!?」
「そうとも。
人は成長できるからだ、……かたやあの男は人魚の中に答えを見出し、人に期待することをやめてしまった。
あとは俺たちが、お互いの正しさをぶつけ合うだけだ。
生き残ったものが、正しかったことにされるだろうよ」
「それが、泉客那戯の望む世界だから?」
枸櫞は首を横に振る。
「人間はそうすることでしか、いつも世界を治められないからだ。
法や制度を敷くにも、まずは覇権と信用を勝ち得なければならない、だけど那戯は、ひとからの信用など求めていない。
ネーレイスのように、自らに隷属しうる手駒があれば、それでやつの世界は完結する。
それが嫌だと言うなら、共鳴者として――テルクに向かう資格のあるものだけが、抗うことを許される」
「!」
「闢くん、ここからは命がけだ。
お姉さんのためでも、シトラのためでもなく、きみは自分自身のために、命を懸けられるか?」
酷な選択を、子どもに強いている自覚はあった。
彼はただの子どもでなく、戦う力を持っている、だけれど――それはこれまで、強要された役割であって、彼自身の意思でできたことではない。かりに意思があったとして、またテルクに立って戦わせることを、枸櫞はほかの大人でやれない以上、自分から問い質さざるをえないのだ。
「……ここに来てから、いろんな温かいものを教わったはずなんだ。
交叉のふたりや、姉さんやシトラからも。
記憶をかき消されそうになって、その意味を初めて、じっくり考えた。俺は俺が、それを喪わないために、泉客那戯を倒したい」
「じゃあ、僕を手伝ってくれないか。
きみだけは、責任を持って――僕が生かしてみせる」
「そいつは気に喰わんな」
波止場に、ふたりの後ろから、もうひとりやってきた。
枸櫞は身構える。
「伏馬、翼――?」




