第64話 理由
職員寮の枸櫞の部屋へ戻ると、シトラが真っ先に出迎えてくれた。
「みさき、おかえりなさい!」
「ただいま、シトラちゃん。ありがとう」
「姉さん、おかえり!
テルクでなにかあった?
疲れてそうだけど」
「うん、もう済んだことだから……」
それでも彼女が精神的に負ったダメージは、回復までにしばらく時間を要するものだろう。今回は闢くんとかの『荒療治』が効いてくれたようだが、もうしばらくはそっと見守ってやろうところだ。
*
私を産んだのは、結局母ではなかったんだろう。
なのに生前の母は、私たちをよく可愛がってくれた。
兄の那戯と、分け隔てることなく――きっと。
後から調べると、泉客那戯は鮫人の技術からトレースして、私という人型を造ったらしい。
先史文明の技術、人とネーレイスの間に位置するもの。
天充枸櫞が闢くんの身内に私を択んだのは、そういうことだ。
哀しいけれど、彼の見立ては正しいんだとおもう。
天充くんと、那戯はよく似ている。
機械いじりに心得があったり、水面下に滾らせるその支配欲だったり。私は自分が主催者のつもりでいて、結局は海原の共鳴者たちに、振り回される側でしかなかった。
「美岬ちゃん、おかえりなさい」
「白錫先輩……」
琉稀はシトラたちのあとに続いて、彼女の手を優しく握った。
「戻ってくれて、本当に良かった」
「あの、わたし――」
あなたと天充くんに、いつも酷い態度をとっていた。
思い返すと、恥ずかしいことだらけだった。
琉稀は首を横に振る。
「これからの時間、楽しいことで沢山満たしていけばいい。
そうでしょう?
ひとをおもちゃにして扱うだけの奴らなんて、忘れてさ」
*
枸櫞はぼんやりと、波止場に立っていた。
最後に伏馬翼の所在が確認された場所だ。
あの男を、人として到底好きにはなれないが、ネーレイスに対する妥協しない、一貫した姿勢には、目を瞠るだけのものがあった。
那戯に利用されていたと、それから気づく機会は、あったんだろうか?
そこへ、自転車で護斗たちが通りすがる。
というか、僕を追ってきたんだろう。
なんでか、クーラーボックスと釣竿を複数担いでいた。
「――」
「みっちゃん、釣り下手?」
「わからん。きみらが手慣れてるだけだろう」
竿を借りて設置してから、三十分ほどの間に、護斗が六匹、珊瑚くんが四匹と着々釣っていくのに、用意してもらっておいて、僕は竿のまえで延々と待ち続けているだけだ。
もともとモチベーションもないといえ、同じ潮流のなかで、ここまで差が出るものなのか……?
「いやぁ、てっきりソラの字、なんでもできるやつかと想ってた。
全然可愛げがねぇんだもん」
「ひでぇ」
まるで久原女史のようなことを、護斗が言う。
「お前こそ、よかったのか。
美岬嬢の、そばにいなくて」
「お嬢には会ってきた。
先輩や新しい弟くんたちといる時間を、いまは大切にさせてやりたいし」
「健気だなぁ。アサくん、もっと身ぎれいにすればわりとモテるんじゃないの?
俺より普通に、ガタイいいんだし。
今時は包容力のあるやつが需要あるんだぜ、腕っぷしがあると、なおよい」
「ソラの字、人をおだてることには一級品だよな。
煽ることにも、だが」
「いま余計なこと言った?」
結構、含みのある言葉に聞こえた。
実際、初対面の頃もお互い――というか、舌戦では僕が一方
的にのしてたのか?
それではたしかに、可愛げがないと言われても仕方ないか。
枸櫞は気づくと、鼻歌を口ずさんでいる。
緩やかなトーンの、漫然と過ぎる時間を潰すのに適度な、海に合うフレーズの曲、姉さんの持ち歌にもいくらかあったはずだ。
そういえば姉さんは、テルクやネーレイスに関わる前から、海の詩を詠みたがったものだ。僕はいつもこうやって……姉さんの背中を、虚しく追って、置いていかれてしまう。
海にノスタルジーを感じるほど、豊かな感性はしていないつもりだったけど、なるほど――数十億年単位、生命の起源というやつは海にあるとされているし、そうおかしな感覚でもないんだろう。
「それ、みっちゃんのお姉さんの?」
「あぁ。なんか、久々に思い出して。
海、か……泉客那戯は、万物を海に還そうとする。
有史、ひとはようやっと、海から離れて歩く足を得たのに、この海原は、僕らの隣にあるんだから、ヘンな気分だ」
「「――」」
「海がいのちを培うのなら、それでもいい。
でも僕らは浜を、この地に立っている。
海を離れたものが、自由を求めちゃおかしいのか?
それが海の否定になるんじゃない、ただ僕らは、もっと多くの場所を歩くことができるんだぞ、どうせならもっとそれを愉しみたいじゃないの。
僕はひれのついた足じゃなく、人の足でここにいる。
あいつがテルクを制するってことは、局のラジオだって聞けなくなるだろう、せっかく出てる姉さんの歌だって、リクエストできない」
枸櫞は立ち上がり、護斗は本日十二匹目が竿にかかった。
「それが、那戯さんにお前が挑む理由か」
「絶好調じゃないの。
……挑む、ってのは微妙だな。
僕は那戯なんて、問題にしていないし。
ただ、ずっと答えが欲しかった」
「答えって?」
「シトラが僕のところへ、来てくれた理由。
意味のあること、価値が在ることなんだって、僕が信じたいだけかもしれないけど」




