第21話 シュラインノーブル・リターナー
喰らった姫魚を隷従させているというのか、あいつは。
見せつけてくれるものだが、それはそれだけ、
『やはり天充枸櫞は、ネーレイスに近づきすぎている。
野放しにしては危険すぎる』
「――覚醒した人形に、ネーレイスの半身だと?
そうまでして俺に殺されたいか!」
それまで躊躇っていたすべて、視界に覆う異形をまえに吹き飛んだ。ネーレイスのなにが危険か。あんなものはもはや泉客の手に負えたものではない、残念だが、美岬さんが八号機を手放すことでしか、事態は収拾できない!
久原が、正しかったんだ。
覚醒した人形が扱う異能ひとつでさえ厄介なのに、この期に及んで天充はまた強くなる。
お前の鎖のように、あらかたを支配できると割り切れていたのなら、別だったろう。
だが俺のところにあるのは、覚醒もろくにできない五号機がせいぜい。
銛の刃先に、確たる殺意を宿し――俺の戸惑いが、ここまで事態を悪化させたのだと、悔いる。
*
どのみち、左腕が熱を帯びて、感覚はないに等しい。
枸櫞のやっていることは、段々と無意識に傾いている。
現れた薄水色の、神社姫。その新たな復元体、といったほうがより正しいのだが。
こちらの首輪に繋がれているということは、八号機に従っているということだろう。犬じゃあるまいて……。
「シトラ?」「うん!」
うん、じゃない。
八号機からいつの間にか銛を拝借して、五号機と剣戟、どころか鍔迫り合いを始めていた。
拮抗――どころか訓練を受けているはずの護斗を圧倒している?
(今度はお互い、コクピットの直刺しを狙った?
手加減できる状況じゃないってのか、だがこちらもあと一押しが足りてない――)
「くえん!
あしゃぎりに、いつもの!」
「?」
「『おれがうえ、おまえがした』って!」
「……ガキの情操に、よろしくなかったかな」
別に毎度、そんなに言ってないとおもうが。
「すぐやって!」
(わかっちゃいるけど、なにを?)
人形に乗るたび、それが危険な衝動だとわかっているはずなのに呑まれそうになる。すべてを侍らせる力――人形に乗った程度で溺れる全能感など、浅い。
僕は僕にできないことを、いつも平然とやってのけるひとの背中をずっと見ていた。
指を咥えて、ひるがえって自分に、なにができたか。
姉さんが生きていたあの頃、鮫人に乗れていたら、この力に呑まれたかもしれないけれど……僕は自分にはできない領分があると知っている、弁えている。
ときとして絶望だとか、無力感だとか呼ぶんだろうそれは、僕に力への安住など赦さず、ただただ、力を吸いたいだけの飢餓感を齎した。
それは底の割れた器に、水を注ぎ続けるようなもの。
いつか僕は壊れるかもしれないが、壊れることに対する危機感は欠落している。
死ぬかもしれない、姉さんがいないセカイで生きていける確信なんて怪しいけれど、僕はそこまで無気力で、自堕落になれない。
美岬との約束がある、シトラが僕に、生きろと促す。
そういう周りの人間の言葉、全部から逃げ続けられるほど、俺も《《強くない》》んだよ、父さん。
首輪――この鎖が、なにを縛っているか。
己を生かすことを、義務にしてしまう束縛。
俺が強く生きようとあれば、周りの弱い誰かも、いつかは――また一歩をともに歩もうとしてくれるかもしれない、押しつけがましい願いを、また誰かに首輪として押し付ける。
神社姫の分体から、首輪が外れた。
自主的に外されたのだ、この場合、首輪は拘束していたというより、分体の召喚具としてこそ機能したんだろう。
なら、自由になったその首輪を、次に俺はどう使う?
鎖を引いて、八号機はそれを再度手中へ収める。
「もうひとつ、作れないかな。
シトラの分身がアレなら、これも輪っかを殖やしたって。そうか……」
ふと、緊箍児、だったかのことを思い出す。
あれは頭の輪だけれど、猿のように暴れる奴を黙らせる法力というかありそうだし、イメージとしたらちょうどいいか。構造なんて知ったこっちゃないが、思いついちゃったんだから、しょうがない。
「アサくん。
いまその悪夢から、引きずり出してやるよ」
護斗を縛る暗示を、僕の力で人形もろともに上書きしてやる。
*
神社姫の首と額には、隷従を示すように赤い紋様が刻まれている。
(こいつが出てきて、八号機には距離を置かれた、まずいな、次を仕掛けられる。
こうなっては膠着だ、そのまえに終わらせなければならなかったのに!)
「お嬢、……すまない、俺は!」
次に首輪が側面から投げつけられ、鎖の軌道を目で追って、五号機はそれをすんでのところで回避したが、かわりに反対側面から神社姫の身体に重なり、回避できない死角となった。
気づいた時には青白く光る光輪が、五号機の額を捉えていた。
「ぐっ――あぁあああああああああああ!!?」
頭の中が明滅し、自分が何を考えているかさえわからなくなって――護斗は気絶した。
*
「やはり機密保持条項を守ってはいただけませんでしたか、久原さん」
昇降機から上がってきたところを、美岬の連れてきたガードマンらに取り押さえられた久原である。
彼女の懐に隠していたフラッシュメモリを、美岬はその場で薄型のノートパソコンに接続し、発令所の外に部外秘の機密情報を持ち出した、動かぬ証拠だと言う。
そんな美岬の隣に、ぼろぼろになった枸櫞が歩いてくる。
久原はせせら笑った。
「顔色が悪いじゃない、よく歩けてるのね?」
「――、お互いにほとほと呆れますよ。
最後に質問していいですか」
「いいわ。答えられることなら、だけど」
「あなたはネーレイスや鮫人の技術が、国益につながるだなんて、本気で信じてるんですか。
護斗くんをあんな風にしてまで、することでしたか。
……いやね、手段がいいとか悪いとか言ってるんじゃないんですよ。あなたをそこまでさせてしまったのは、なんでしょう。アサくんに俺を殺させるのだって、子どもにやらせる程度のことに、大して確度なんてなかったはずだ。
彼は優秀だけれど、工作員としては不安定すぎた。
大人が大人の手で手を汚すなり、責任を取るんじゃダメだったんです?」
「そうね。
鮫人の力もネーレイスも、ずっと御伽噺に沈んでいてくれればいいって、いまだってそう考えてるわ。
鮫人に乗れる共鳴者は、継承こそ途絶えていないけれど、あなたたちの世代よりうえの現役は、残念ながら断絶しているのよ。結局、テルクで不測の出来事が起きれば、早い話が人形を共鳴者ごと葬るほかない。
ネーレイスというものを、我々はいまだ知らなすぎる。
ゆえに研究より、脅威がまさってしまう。
手駒は、新しく育てるほかなかった」
「これからあなたは、《《古巣》》へ戻る。
そしたら結局、僕らはあなたの思い通り、今までより首が回らんくなるんでしょう。
政府か軍のいずれだかは知りませんが、あなたのように考えている人は少なくないんでしょ?」
「見透かしたその性格はかわいくないけど、そんなに嫌いでもなかったわ、きみ」
「――、そりゃどうも」
結局は殺しあうはめになったが、その捨て台詞はリップサービスのつもりだろうか。
連行される背中を見送ってから、僕はそろそろ血が足らない。ふらついたところを、美岬嬢に右側から支えられた。
「ありがとう、美岬さん。
あんまり僕をときめかせないでやって」
「冗談やめて。とにかく、医務室へ。
もちろん、護斗くんとは別だけど。
……ごめんなさい、ふたりに任せるしかなくて、今回。
またケガだってさせて」
美岬の肩からの震えが、そのまま伝わってくるが。
「本当に耐えてくれたのは、アサくんだよ。
あいつによく頑張ったって、きみの口から伝えてやって。どうせ僕は、あとであいつのこと殴るから」
そのぐらいの権利は、僕たちにもあるはずだ。




