第20話 彼の力
夕暮れの空が歪み、八号機が現れる。
身体を温めようと林へ薪を取ってきた枸櫞だったが、テルクの黒い枝々は多少の摩擦では発火してくれない。いたずらに体温を濡れた服に喰われて、先ほどから脱いで天日干していたが、生乾きのシャツをまた羽織りなおす。
シトラの前で下まで脱ぐわけにもいかんので、パンツは濡れたままだ、気持ちわりぃ。
「八号機、乗っているのは朝桐くんだな」
直後、答えを示すかのように朱桃が銛を召喚する。
「自分の思念武器まで、再現できるのか。
でもネーレイスもいないのに――いや」
狙いは、僕らだろう。
『天充、お前がいるから、美岬さんはおかしくなったんだ……』
「は?」
『死んでくれないか』
五号機の足元にいた、僕とシトラを狙って銛の先端が振り下ろされ――シトラを抱えて、僕は砂地を蹴った。
「シトラ、大丈夫か!?」
ご丁寧に、突いた後は銛の刃先を横に振りぬいて、大規模な砂塵を巻き散らした。僕は彼女の口を押えながら、自分の目や口に入った砂で咳き込む。
「護斗のやつ、どうなってる!」
「くえん、あしゃぎりを、たすけてあげて」
「――、シトラ、林へ走れ。
僕は八号機をっ」
一時的にシトラを逃がし、八号機を見上げ、念じる。
「お前は俺のものだろうが!
軽々しく乗っ取られやがって!」
そう叫んだ直後、コクピットの中――護斗の頭上に、跳ばされていた。
「!?」
「そらみつ――」
覆いかぶさろうとすると、首を掴まれてモニターに押し付けられる。
「排除する」
「おい、何考えてる!」
「お前が悪いんだ、ネーレイスに取り入って、テルクと世界の調和を乱そうとする。だから殺す、あのこどもも」
「!?」
直後、左肩に手がかかり、脱臼させられた。
だがそんな痛みより、シトラだ。
護斗はきっと、自分の意志で動いてすらいない。
だけど、だからって――
「う――るさい、ちゃちいんだよ。
結局久原の操り人形か、共鳴者殺しが聞いてあきれる!」
「知っているんだな――覚悟してくれ。
おまえは運がなかった」
「!?」
次は左手の薬指。枸櫞は叫びたいのをぎりぎりこらえて、彼の側頭に膝を入れる。
「そんなに乗りたきゃ、自分のを使えよあほたれが!?」
「!」
背面のハッチが開くと外海の風が吹きすさんでおり、そんなテルクの宙へと、ふらつく彼を強引に押し出した。
この高さだが彼なら死にはすまい、案の定というか、直後五号機のコクピットへ跳躍したらしく、人形はまた銛を顕現させて、首を擡げようとしている。
「あのカス……まじで、覚えとけよ」
脱臼した肩を、強引に嵌めなおした。
いまは力が入らなくとも、操縦するための両腕がいる。
立ち向かわなければ、シトラを奪われてしまう。
あいつがなにを望むかは、関係ない。
どうせ久原の言うことを実行するしかない立場だ。
『護斗くんがシトラを狙うようなら、きみが彼を止めてほしい』
このまえ、彼の部屋を訪れた岬が言っていた。
きみにすれば、彼のほうが僕より長い付き合いだし、配下としても信用しているだろうに。そう訊けば、
『彼も難しい立場なの。久原さんは彼にメンテナンスと称して、個人的な手ほどきをしている。その内容は、おそらく対共鳴者用に備えた、相応の強制力がある暗示や戦闘技術の提供』
『強制力?』
『具体的に詰めきれていないけれど、私の護衛や体裁を口実に、イレギュラーがあれば彼を用いて即座、排斥しにかかるつもりでしょう。
異質な覚醒を遂げた八号機は、久原さんにとって、脅威でしかないのよ』
(美岬嬢――獅子身中の虫が多すぎや、しないか)
おかげで僕の寿命を、急激にすり減らされているんだが。
僕はあんたの頼みに釣り合う報酬なんて、得られるんだろうかね?
『天充、シトラを――大人しく、あのネーレイスを引き渡せ。
そうすれば、命だけは拾える』
「いやだね。取引にもなっていない、あの子に空間を跳躍する異能がある限り」
『お前の言うことなら、あの子は』
「シトラは譲れない、死んでもだ。
タマ奪うつもりで来てたろう?
なにを躊躇ってる」
『あれはネーレイスだ、お前の姉さんじゃないだろう!』
「だとしても、僕を導いてくれた。けして都合のいい子じゃないんだ。
自分の力で生きろと示す、あの子は――ひとを平然と犠牲にしたがるやつよりは、よほどましでしょう」
『騙されてるんだよおまえは!?
また人魚の唄に踊らされて!』
「だったら、アサくんこそどうなの?
結局は久原《大人》の言い草に振り回されているだけか、気にくわないくせに」
『お前に何が分かる!?』
こういうとき、追い込まれた側の定型句というやつは、本当に限られるのだな。護斗の言葉に、ある種感心さえしている。
彼の情緒が安定しなかったのも、久原からかかる心理的なプレッシャーと暗示に由来しているのだろう。
だが、
『天充――俺は、なにを?』
「……?」
ひとの肩を抜いたときは、欠片も迷わなかったくせに。
「フェイント?
そんなタマじゃないだろう」
「あしゃぎり!」
「シトラ!?」
直後、シトラがこちらのコクピットへ転移してきた。
彼女の声を聞いた途端、五号機がこちらへ飛びかかってきた。
「――」
『ネーレイス、ころす!』
「きみがネーレイスを憎む理由なんて!」
『そいつもお前も、美岬さんを脅かす!
だからやれって――なんで?』
銛を用いた槍術、八号機も手元に遺った彼の銛で対応するが、やはり場数が違うんだろう、あっさり突き飛ばされた。かし護斗は、追い打ちをかけようところで動きがまた鈍る。
『ぐ――すまない、天充。
役立たずの俺を、殺せ』
「冗談じゃない。
殺したがるのは、お前の意思じゃないんだろう!?」
――あしゃぎりを、たすけてあげて。
(助けろって?
シトラはどうして、自分の敵にそこまで甘くなれる)
「くえん!」
「――、助けるって、どうやって。
いまのあいつには、自分さえないんだぞ」
「しとらのつかって、ちから!」
「力?」
シトラの力とは、なんだ。
鮫人にこれまでできたこと。首輪を出して、海水を支配した。
けれどここは、砂浜だ。
こちらが直後海に触れようと動くと、五号機は的確に気づいて、海の反対側に八号機を押し返してしまった。
「く」
八号機が他とは異質なのは、神社姫を喰らったこと。
シトラはそれに前後して現れた。
するとやはり、神社姫は彼女の――かりにそうだとして、一度人形が取り込んだものを、どうやって解き放つと?
ヒントはぼくらの手の内にあるはずだ、シトラに甘えるな、考え続けろ、僕が次にすべきは……。
そも僕はなぜ銛を持っている?
この銛は、僕のものじゃない。
僕のほんとうの武器は――首輪。支配する力、隷従させ、屈服させる。
人魚だろうが鮫人だろうが、関係ない。
*
(またあの役に立たない首輪を?)
八号機は彼が出した銛を前に構え、後ろに控える手になぜかいつもの鎖を握っている。
(仕掛けてくる前に叩け――っ、なぜ俺が俺の邪魔をしている!?)
『振り払いなさい朝桐くん、ネーレイスの甘言に惑わされてはいけない!』
「は、い……」
久原の声が通信機から流れる。五号機に乗り移って起動したのに、気づいたんだろう。
暗示の効果だと、わかっている。無意識から久原の指示に従うように仕込まれて、美岬を守るためなら、俺はそれをよしとした。
はずなのに――これは本当に、お嬢を守ることに繋がっているのか?
『なにをぐだぐだやっているの!
せめて状況を伝えなさい!』
「――、八号機が、鎖を」
なにに?
五号機の首を捉える可能性はあるが、それよりはやくこちらが間合いに入れば、鎖などさしたる問題にはならない、はず。
「!?」
そう思い踏み込んだが、八号機はやはり両手の得物を扱いきれていない。
手にしてまもない銛を手放さず、片手でこちらをいなすだけは大したものだが――首輪さえ手放さないとは。
『すまない、アサくん。
こちらも手短に済ませたいんだ』
「なに?」
後ろに隠れた首輪から、なにか流れが生じていた。
衝撃に弾かれ、五号機は砂上を後退する。
「この期に、及んで?」
『何が起きた!?』
目の前にいたのは、捕食されたはずの神社姫だった。
ひとつ、大きな違い。
その首は、彼の枷で繋がれている。




