第15話 俺が上、あんたが下
「くえん、あのひと、こわい」
「実力は確かだろうよ……」
シトラが感じる不安には、なんのフォローにもならないが。
『やつらの結界だ』
「なんです?
――!!?」
翼がそう呟いた直後、石造りの壁が横から倒壊し、海水が流れ込んだ。
「水?」
『海水だ、テルクでは現実以上に、潮位の変化が激しい』
「激しいってレベルじゃ」
『どういう原理かは知らん、やつらのなかには自ら海水を集めるやつらがいる。
陸をもこうして棲み処にする、魔海狼』
「あれは、シャチ?」
魔海狼級――全長八メートル大なシャチのような外観で、狼の体毛のようにけばだった異形の群れ。
両腕の手甲鉤を振って、壱号機が迫る海中へ押し進む。
『おまえこそ、たかが首輪でなにができる?』
「!」
正論だ。
思念武器の形状を変えられるのを、この男はまだ見ていない。
気づけば遺跡の中はすっかり海中で、水圧が僕らの動きをじっとりと束縛していく。
首輪でも網でも、それを投げつけるための助走をつける空間はない。
これは、いまの僕にはどうにもならない場所か。
試しに、あの男の手甲鉤を模倣しようとしたが、今回はうまくいかない。
(思念武器の形成に必要な条件は何だ?
人形との同調率がどうとか、美岬嬢たちは言っていたが、ほんとうにそれだけなら、いまの僕が制限を受けるはずが――)
「できない。くえん、そうおもってるから」
「?」
シトラがそう言う。
海中を見渡す。壱号機は向こうで影になって、よく見えない。
「僕が『できない』と想ってるから?」
「くえん、真似しようとしちゃ、だめ」
「――」
(考えてみれば)
首輪と鎖はほとんど無意識的に形成したものだが、網は紐をよって十字に編むという具体的で単調なコマンドをあのときは考えていた。
「そうだな、いきなり手甲鉤のガワだけ真似ようたって……」
鉛筆や油絵のデッサン、講義を受けたことがある。
人間というのはおおよそそのものの機能や特徴を捉えているようでいて、その実『ものを見ているようで、きちんと観察できていない』という。
意識的に武具を再現したいなら、相応の観察や構造に対する洞察や理解を深めなくてはならない、ということだ。
「かといって、ぐ――」
(さっきからこいつら、ちょくちょく噛んでくるな!?)
鎖を握ったまま、別の石壁まで後退した。
蹲っているわけにもいかず、
「!?」
シャチの一頭が、横腹に食らいついてきて、投げられた。
踏みとどまろうとしても、水圧と潮流にあおられて、うまくいかない。
(方法はっ――)
足元を見る。
鮫人の両足には、踵の裏からひれのようなものが外側に向かって生えている。
鮫人――そういや、人魚の別名ではあったか。
だけど足のあるこいつが、どうやって泳ぐ……
「くえん、よけて!?」
「なっ――」
一号機が伸びる棒のようにして、こちらへ突貫する。
見える範囲にきたとき、その足首からジェットのような気泡が吹き荒れて、こっちの横っ腹に喰いついた異形へ、鉤爪が伸び――
「ごっ――ぐ――てめ――かはっ」
(こいつ、味方ごと――!?)
そのまままとめて、石壁に叩きつけられた。
爪は魔海狼ごと八号機を薙ぎ払う。
枸櫞は血を吐く――《《臓物ごと》》引っ搔き回された痛みで、くらくらする。
『この程度の実力で、よく戦う気になったな?
いいことを教えてやる、覚醒した人形は、自機を修復する機能が備わる。
たとえ手足をちぎられても、胴を寸断されても――お前は不死身だ。
ネーレイスと同じ、バケモノだ』
「あんたっ……なにを言って!」
『人形と同調すればするほど、人形が受けた傷は共鳴者に跳ね返るそうだ。
いっそいま死んでおけば、楽だったんじゃないか?
共鳴者殺しの手にかけるまでもない』
「こいつ――」
狂っている。
『俺はネーレイスの存在を絶対に許さない。
よく覚えておけ。お前がその力を手放さない限り、結局は同じことになる』
狂人の自分語りなんて、心底どうでもいい。
「……しとら、ケガは?」
「わたしよりくえんがぼろぼろ!
にげよう、くえん、あいつから!?」
「逃げて、なんになる」
狂人ではあるが、追撃するようでもない。
やつは魔海狼の残る群れに向かっていき、こちらは海中で取り残されている。
八号機の朱の装甲の内側から、血のような体液が海にただれて流れていく。
そして、やつの言った通り、食いちぎられた腹部は、ぶくぶくと再構築されていった。
「人ならざる人魚の力、なるほどな……」
だけど、僕が不死の人形を扱えるというなら。
「……たく、《《俺があんたより下なわけないだろう》》?」
いずれにせよ、半端者《未覚醒》に劣る理由もなくなる。
「くえん?」
シトラの声が不安げにかすんでいる。
まぁ、なにも問題はない。
こちらは力でそれを証明するだけだ。
意趣返しはすでに始まっている。
『なんだ……?』
壱号機は海中で、魔海狼たちが突如として痺れ、動けなくなるのを感じた。
「ここが海の中になるというなら、ここは僕のフィールドでもある。
違いますか?」
『なにをした?』
「やだなぁ、先輩がいっぴきいっぴきプチプチやってる手間を減らしてあげてるんじゃありませんか」
『余計なこと――っ!?』
人魚が、《《海を支配していけない道理はない》》。
海水、潮流、水圧……それらをいまの《《俺》》は、感覚で支配できる。
魔海狼に食いちぎられたことで流れた血がそのまま、《《この場の潮流の制御を乗っ取った》》。
海を通じて、魔海狼の生体電流に働きかけて、硬直させている。見てくれは地味だが、同様のことを壱号機にも働きかけることは可能なようだ。
すると――幻覚を見せることだってできよう。
翼は自身の首に背後から枷がかかる幻覚を見、振りかえるも朱桃の首輪は依然として向こうの手に握られている。
(あいつ、なにかしやがった)
『なにをした!?』
「立場をわきまえない半端者の首に枷を、てのは冗談ですけど。
長いこと人形を扱っていて、ろくに覚醒もできないひとが、よく吠えるんですね」
『お前っ――』
最後の魔海狼が沈むとともに、幻界のビジョンが解除され、いつもの港湾へ出た。
白と朱とが、夜更けの港に照らされながら、静かに対峙している。
八号機の通信を切って、彼はつぶやく。
「……俺が上、あんたが下だ、クソ野郎」
魔海狼に噛まれたのと同じ部位から、ずっと出血している。




