第108話 事後処理
四神の結界が解かれると、直後セドナはどこへともなく、水平線の彼方へ立ち去った。
那戯の願った白夜が終わり、テルクに新たな夜が廻る。
『天充』
壱号機から、翼の声がする。
八号機はセドナのいなくなった祭壇に呆然と降り立っている。
『もう戻ろう。
いまの俺たちに、白錫を取り戻す方法はない。
八号機なら、またいつでもテルクへ来れるはずだ。
一度、立て直すべきだ』
「簡単に、言ってくれますね……えぇ、わかっています」
珊瑚や護斗たちもまだここにいて、立て続けの戦いに、疲弊は頂点に達している。枸櫞の我儘にずっと付き合わせるわけにもいかない。
*
社務所では回復した貫たちが、戦勝の宴を用意していた。
那戯をテルクの位相の狭間へ封じ、みなが生きて帰ってきたことを歓ぶ、そういう祝いの席。
枸櫞はさほど立たないうち、外の空気を吸うとひとりで出て行ってしまう。
見かねた浅葱が、やがて出てきた。
「……個というものを記号に還元してしまうのは、那戯に限った話じゃない。
テルクの海原は、それそのものが否応なく末端の個を呑み込む魔性です。まぁ、現実の社会も同じことなんですけど」
「琉稀がいなくなったのが、そうだって?」
「僕は最初、テルクから来たシトラに、姉さんを視ていました。
実際、その直感は半分正しかったわけですけど……でも泉客の、この土地が、シトラをシトラ自身にしていくんだと想います、きっとこれからは」
「――」
「ネーレイスとの戦いは、いつだって危険と隣り合わせだ。
そうしたいざってときの、お互いに覚悟してたところはありましたよ。
でもやっぱり、しんどいですね。
そんな結果を望んでいたわけじゃない。
……泉客へ来たときは、空っぽの自分を回すだけの動機が欲しかった。
だけどいまは、もうなにかに怒ることに使う気力が果てました。
安心、しちゃったのかも」
それまで背中を向けていた枸櫞は、浅葱へ振り返る。
「もう確信が持てないんですよ、今度琉稀さんを連れて戻るとき、それが琉稀さんのかたちを保ったものなのかって」
「――、天充くんは、私たちにできない、凄いことをやってのけた。
美岬ちゃんを取り戻して、みんなを無事に連れて帰ったじゃない。
もう充分、頑張ったよ。
きっと琉稀だって、わかってくれる……私の言葉なんて、軽いかもしれないけど」
「いえ――、ありがとうございます、先輩」
*
人の居ない発令所で、枸櫞は観測員の席に掛ける。
ぼんやりしていたら、美岬嬢がやってきた。
「……ヤヲ因子ってのはつくづく便利だな。
きみが壊したはずのここも、探査組の鮫人たちも、いまは大人しく遺跡に眠っている」
「えぇ――八号機がやったんでしょう?」
「さぁ、何のことやら」
どうせ王力あたりの権能で、因果をまた書き換えているに決まっていたが、
「照れてるの?」
「そんな可愛げが、僕にあるものかい」
「それも、そうね」
空っぽの言葉がふたりを行きかう。
「兄さんにけじめをつけてくれて、ありがとう。
あの人は死んだところで内省するたまでもないけど」
「人としては終わっていたけど、なまじ悪意がないから、僕たちには救えない……あいつがああまで、総体にこだわる感覚もわからないではないよ」
「それはきみが、王様だから?」
枸櫞は首を横に振る。
「ひとは自由で、愚かだから――あいつには世界を壊すより、その手でなにかを造るほうが、まだ見合っている。
人が滅んだ果ての世界があったなら、そこであいつは、きっと新たな造物主を演じることだろうよ……それこそ、もう誰にも邪魔されることなく」
「また、テルクへ行くんでしょう?
琉稀さんを取り戻しに」
「――」
枸櫞は肯定も否定もしない。
「なんで琉稀さんは、二度も奪われなきゃならなかった。
アーウィズォウトが、ひどく煩わしいよ。海原にさえ関わらなければ、自分の力できっと幸せになれる人だ。
普通のひとなんだ」
「愛して、いた?」
「そりゃ、ね……もう一度、因果を書き換えようと想う。
八号機で」
「そう」
琉稀が踵を返すと、彼は声をかける。
「もう行くのか?」
「うん。闢くんが――弟が待ってるから」
*
「ありがとう、アサくん。こんなことまで付き合ってくれて」
遺跡を見下ろす展望室から、護斗の声が返ってくる。
『いやまぁ、先輩を取り戻す手伝いくらいはするよ。だが、俺が五号機に乗るまでもなく、俺の力はお前が取り込んでいるだろう?』
「だから、きみに敬意を払いたいんだって」
遺跡の中で、回収した四号機の肩に手を置く。
五号機の異能を、王力を介して使うつもりだった。
シトラが浮かない顔をしている。
「くえん」
「うん……」
「もう、るきのこと、こーじんからおろしてあげようよ」
「?」
シトラの言葉を聞いて、ふと想う。
そうだった――僕は琉稀さんに言い寄るばかりで、琉稀さん自身の言葉だとか、なにを考えていたかとか……知らないまま、ここまで来てしまったんだ。
すぐにイメージは繋がった。
今度の心象風景は、清々しいほどの夕暮れの空。
子どもの姿をした琉稀が、ぶかぶかの服を垂らして、水鏡の上に立っている。
「――、時間はたっぷりあります。
先輩のこと、聞かせてください」




