第103話 きみしかここに、いなかった
「私のこと、好きじゃないって言ってたくせに。
……どうしてまた来たの?」
「きみしかここに、いなかったから」
枸櫞は残酷なことを言っている自覚のあった。
彼にとってすべては、泉客美岬から始まったことだ。
復讐の導火線に火を入れられ、ここまでの日々を走り続けてきた。
ここまで来て、枸櫞は苛立ちを隠せない。
「やぁ、那戯のお人形さん。
どうしてきみは僕の前に現れるたび、僕の大切な人たちをこうも無碍に扱ってくれるのかな。いや、君自身の本意ですらないことが多分に含まれるのはわかってる。
きみも被害者だと、頭の片隅ではわかっているんだ。
……きみを待っている、理事長や闢くんを、哀しませるわけにもいかないだろう」
「そんなに私を殺したければ、殺せばいい。
人形の息の根を止めるなんて、あなたには造作ないことでしょう、テルクの王様」
「――」
枸櫞は静かに、オーロラを見上げ、仰ぐ。
物騒なほどに、美しい。
「てっきり、悪夢ってのは夜に視るものだとばかり、想ってたよ。
けどそうか……昼と夜の境界がなければ、悪い夢だってずっと続いていくんだ」
「最低な、気づきだね」
「おぅ。
どのみち、けじめはつけなきゃな。
北の祭壇と、奴は言っていた。儀式は始まっているんだろう。
僕らは悪足搔きをしなきゃならない、今ここで走り続ける、護斗くんたちのやっていることを、無駄にできない」
「あぁ、どうしてあなたが王様なのか、ちょっとだけわかった気がする。
どれほどの受難、艱難辛苦を味わったとて、あなたは世界の均衡を乱すほどの自棄にはならないし、なれないのね」
「――」
美岬は疲れ切った目を、彼に向けた。
その顔がどことなく琉稀に重なって、枸櫞は顔を顰める。
「天充枸櫞。
結局あなたは、誰よりも義務のために生きているのよ。
自らを魔性だなととどこまで嘯いても、その生来からの生真面目さが、あなたをつまらない人間に仕立《呪っ》てしまうの。
あなたと私に、大して差はなかったのね。
私はあの男の奴隷で、あなたはテルクという世界の奴隷。
ほんと、笑える」
自嘲と嘲弄の入り混じった笑い声。押し殺す必要もない。
ひとしきり笑った彼女は、また枸櫞を冷たく見据えるのだ。
「どうして私は琉稀先輩じゃないんだろうね?
天充檸檬でもないのに、終焉にはあなたとここにいる」
「――」
枸櫞はしばらく、黙って立っていた。
「琉稀さんはどうしてこう、運がないのかね。
珊瑚くんやアサくんだって戻ってこれたのに、あと一歩のところで」
「どうするの、伏馬先輩を殺す?」
「それも良いかもな、全部終わった暁には……」
けれど言うほど、枸櫞はそんなことに拘っていなかった。
「きみは逐一、言うことが物騒だが。実際誰かを手に掛けたことでもあるのか?」
「そんなこと、聞きたいの」
「そうまでして誰かや何かを蹴落とすか、排斥しなければ、きみは自分の存在を証明できないとか?
血の気の多い話だな」
「勝手に決めないで、言い掛かりよ」
「じゃあ、感心しない悪癖だ。きみがどうなろうが構わないが、那戯の真似をして、自分を無理に呪う必要なんてないだろう」
「ほかにやることなんてなかったから。守りたいものが増えるって、恐ろしいことなのね、枸櫞くん。
酷いこと思いつくよね、だから私に闢くんを預けたりしたんだ」
確かにそれは、那戯という支えを喪って、やけに走るしかなかったはずの彼女には、酷なことであったはずだ。
「拒むこともできた。きみの自由だ、誰に強要されることでもない」
「そうして言葉巧みに私を誘導したあなたが、今は本当に憎いよ」
「なら、殺すか?」
彼女は無表情になった。
那戯は北の祭壇の周囲に、四神をモチーフとした粘土の異形を誂えたとのこと。
「彼はネーレイスさえ、信じていない。
だから自ら、粘土で手駒を誂えた」
「白號を含む、か――まぁいいけど」
「拘束されたセドナへ至る結界を破るには、那戯の駒すべてを倒さなければならない。
あなたが手にした力は、あくまでネーレイスへの特攻でしょう?
その程度の搦め手なら、あの男はすぐに対応してしまう」
「不沈の艦隊を叩くよりはマシだろう。
美岬さん、きみに八号機からのヤヲ因子をここで受け渡す。
これを受け取ったとき、きみは那戯から、完全に独立するだろう」
「――」
「言いたいことがあるなら、今の内だ」
「那戯の、《《兄さん》》は」
あれをまだ、兄と呼ぶ。
「どうしたら、心変わりしてくれるのかな。
自分の野望を、打ち砕かれたとき?」
「自分の生き死ににすら頓着しない男だけれど、負けたら負けたで、リカバリーを考えて執着するかもしらないな。
或いは、目的そのものを奪ってしまうか、だ」
「……どういう?」
「彼はすでに人間でなく、ヤヲ因子を通して事象に表明する。
だから俺たちは、あの男の魂に絡むヤヲ因子の供給を断つ。そうすれば、生き死にはさておき、それ以上は動けなくなる。
あいつは自己の成果を証明したがるけれど、自己を顕示する欲は驚くほどにない。
きみや俺がシステムの奴隷であるように、あいつも自身の義務感で人を滅ぼそうとしている。
セドナを扱うのも、セドナの意思を無視しないと言った。
その上で、やめないとなると――余程の確信があるようだ。
俺はセドナに会って、今度こそ確かめるよ。
世界を巻き込んだ復讐の答えってやつが、そこにあるのなら、だから」
「うん」
二人は己らの為すべきを、わかっていた。
「ここから四号機を再起動するにしても、五体の鮫人でどこまでできるかはわからない」
「でも、やるのでしょう?
護斗くんたちのところへ、戻らなきゃ」




