第101話 琉稀の消失
まぁ、このタイミングで枸櫞と交信してくるような存在は、限られている。……わかりきったことかもしれない。
「セドナ――なのか」
目の前に、枸櫞の全身より数倍は大きな、白い女の顔があった。
「教えて欲しい。
あなたの目的は、本当に那戯の言っている通りなのか」
だが目の前のそれは答えることなく――、空間が切り替わる。
*
「これが――那戯の望み」
白夜のオーロラ……海原のそれは、地球のそれとは異なるものだ。
目の前に、琉稀が立っていた。容姿はまるで似ていないのに、確かにセドナの気配を感じられる。
「琉稀さん……」
「器ではなかったの」
「?」
「ヤヲ因子が因果を書き換えるとき、私と複数のネーレイスが繋がった、だけど私には人間が捨てられないって」
「――、琉稀さん。僕と一緒に、帰りましょう。
みんなのところへ」
そうして枸櫞は、彼女へ腕を差し伸べたが、彼女はぼんやりしている。
「どうしたんです?
できないはず、ないでしょう。
この前だって、ちゃんと……――お帰りなさいって、みんなで」
アーウィズォウトに襲われても、取り戻せたのに。
「アーウィズォウトが、どうして私を半端に生かしたとおもう?」
「それは」
「那戯とも、テルクの王とも異なる人間と繋がるため。
枸櫞くん、わたし、もう嫌だ」
「!」
彼女へ向かって手を伸べるが、掻き消える。
目には見えても、同じ場所にいないのだ。
「嫌なら、僕が先輩を連れて帰りますから!
そこにいるんでしょう!?
待っててくださいよ!」
琉稀はその場に蹲って、泣いていた。
気づくと、その身体がシトラのように小さくなっている……、
「なにがあったんです!」
「枸櫞くん――私を捜しに来てくれて、ありがとう。
ごめんね、私が、弱くて」
「琉稀さんッ!?」
*
ぐしゃぐしゃになった、安産祈願のお守り。
小学生の翼くんはそれを持って、いつも苦い顔をしていた。
生まれてくることのなかった、彼の妹――彼から家族を奪ったネーレイスがよりにも水子という名を冠するのは皮肉もいいところだ。
それを倒したところで、彼が私に振り向いてくれるわけじゃない、そんなことはわかっていたけれど、なんとか支えになりたかった。
(琉稀さんの記憶か――)
翼へ淡い思慕を寄せていた頃の。それがわかると枸櫞は、複雑な顔を作るが、なぜこれを見せられているのか、その理由を知りたいところだ。
記憶は徐々に移ろっていく。
「那戯くんに妹さんがいたなんて、初めて聞いたよ」
「本当なのか?
最近まで一切表へ出てこなかったというのも引っ掛かる」
「あぁそっか、理事長や彼の性質なら、公然と英才教育受けさせてそうだものね……」
「触れにくい事情でもあったら面倒だが」
当然、当時のふたりに美岬は珊瑚によって造られた人形だったなどと、知る由もない。
そうして彼女と初めて顔を合わせた日、琉稀は酷く嫌な気分に襲われた。
美岬自身に非があったわけではない、ただ――
「どうかしたか、白錫?」
「え、いや……初めまして、あなたが美岬ちゃん?」
「はい」
翼は気づいていたろうか、彼女の顔が、翼の顔立ちをそのまま女の子にしたようなそれだったことを。
「よろしくね」
「――、那戯お兄ちゃ……どこに?」
「さぁ。顔合わせのときくらい、いて欲しいものだけど」
どこでもらったのか大きな亀のぬいぐるみを抱えた彼女は、それから押し黙ってしまった。
翼が言う。
「あまり怖がらせてやるなよ。人見知りがするんだろう」
(普段他人に興味無いやつが、美岬嬢には甘かったと)
ロリコン、ってわけでもなかろうけど、それから彼は美岬のことを本当の妹かのように手厚くサポートするようになった。那戯がいたから、結局は程々だったようだけれど、あれが琉稀には心底薄気味悪くて仕方なかったのは言うまでもなく。
すると琉稀は拗らせるほかなかった。
私のほうが、ずっと一緒に過ごしてきた、はずなのに、と。
「世の中、不公平だよ……。死人に心奪わるなんて、どうかしてる」
そも、ろくに生まれることもできなかった妹――それが翼の中でどれほど重苦しく影を落としたかは想像に難くないが、だからといって、あんな可愛げのない子が好みだったのか?
いや、わかってる。日に日に成長していく彼女はいつの間にか一族のほかがそうであったように、幼くして企業の経営に参画し、頭角を現すようになった。そして彼女自身、より美しく花開いていった。
それをずっと見せられてきた、なにも無いはずの私を……枸櫞くんだけは、寄り添おうとしてくれたのに、
「枸櫞くんが檸檬にずっと心囚われてたことすら、実のところ最初はよくわからなかった。私に姉妹なんていなかったから――シトラちゃんと遊ぶようになって、年下の子を初めて、可愛いって思える余裕ができたの、何が違ったんだろう?」
「――」
「そしたら今度、美岬ちゃんは、私から枸櫞くんまで、奪おうとするの。
平凡な私から、何もかもを搾取しないと止まらない――わかってるよ、あの子が悪意を持ってそうしているんじゃないことくらい。
だけどあの無神経さが許せないの、きみだって本当はそれを知っていたでしょう……?」
「それで、琉稀さんはどうしたいんですか」
「枸櫞くん、私を止めて。
私がバケモノになってしまう前に――美岬ちゃんに、罪はないから」
枸櫞が不穏なものを覚えたのは、言うまでもない。
「必ず、助ける。いなくなっちゃ嫌だ、琉稀さん……!」
*
翼がぼやく。
「拙いな、これは」
『四号機がどうしました?』
「水子級に囚われているかぎり、おそらくは美岬嬢はおろか、白錫が戻ってくることはない。アーウィズォウトの影響か」
『あのとき、あなたが彼女を盾にしなければ――みっちゃんが苦しむことはなかったのに』
珊瑚の言葉に、翼自身も複雑な面持ちになる。
「そうだな……これは俺の不甲斐なかったことへの、贖罪だ」




