#34 意識
四時間目。
教室に入ってきた先生は、いつもと違って教科書を持っていなかった。
黒板にも、まだ何も書かれていない。
「今日から、この学校での二年間について少し話をします」
生徒たちが顔を上げる。
「皆さんは、これから二年間、詠唱魔法を学びます」
「ですが――」
先生は黒板に二つの言葉を書いた。
『顕在意識』
『潜在意識』
カズトは、その二つを見つめた。
「難しい言葉に見えるかもしれません」
「簡単に言えば、顕在意識とは、今、自分が考えていること」
「そして潜在意識とは――」
先生は少し考えてから言った。
「自分では気づきにくいところにある、考え方や感じ方の癖です」
「人間は、生まれてから様々なものを見ます」
「親から教えられること」
「学校で教えられること」
「周囲の人間の言葉」
「成功した経験」
「失敗した経験」
「褒められた経験」
「傷ついた経験」
「そうしたものが積み重なって、自分の中に『こういうものだ』という感覚が作られていきます」
カズトの手が止まった。
先生は続ける。
「例えば――」
黒板に、
『火=危険』
と書いた。
「火を見て、怖いと思う人がいる」
その横に、
『火=暖かい』
と書く。
「一方で、暖炉の前で育った人なら、暖かさを思い浮かべるかもしれない」
さらに、
『火=料理』
「料理人なら、食事を思い浮かべるかもしれません」
同じ火。
同じ言葉。
しかし、頭の中に浮かぶものは違う。
「つまり、人間は生まれてから経験した様々な出来事によって、物事の見方を少しずつ作られていくのです」
教室が静かだった。
「では――」
先生が生徒たちを見る。
「皆さんが『自分の意思で考えている』と思っていることの中に、過去からの刷り込みが一つもないと言い切れるでしょうか?」
誰も答えなかった。
カズトは自分自身を振り返った。
魔法が弱い。
だから自分は駄目だ。
人に笑われる。
だから人は怖い。
失敗する。
だから挑戦しないほうがいい。
そういう考えは、自分で選んだものだっただろうか。
それとも――
いつの間にか、自分の中に入り込んでいたものだったのだろうか。
先生が言った。
「ここからが、この学校の少し変わったところです」
黒板に大きく書く。
『一般的な魔法を教える学校ではない』
「皆さんは、強力な魔法を覚えるためだけにここへ来たわけではありません」
「自分自身の意識を知るために来たのです」
カズトは顔を上げた。
「自分の中にある思い込みを見つける」
「なぜ自分はそう思うのかを考える」
「本当に自分が選んだ考えなのかを確かめる」
「そして――必要なら、自分で新しい考え方を選ぶ」
先生はそこで一度言葉を止めた。
「言い換えれば……」
少しだけ笑う。
「私たちは皆、生まれてから様々なものによって『洗脳されるようなもの』なのです」
教室がざわついた。
「洗脳……?」
「はい。もちろん、誰かが皆さんを意図的に洗脳している、という意味ではありません」
「知らないうちに、周囲の価値観や経験が自分の中に入ってくる」
「それを私は、あえてそう表現しています」
先生は黒板に線を引いた。
『過去の刷り込み』
↓
『現在の意識』
「問題なのは、刷り込みがあることではありません」
「問題なのは――」
先生はその下に書いた。
『自分で選んだと思い込んでいること』
カズトは息を止めた。
「だから、この二年間では皆さん自身の意識を観察します」
「そして、新しい言葉、新しいイメージ、新しい経験を、自分の中に増やしていく」
「言霊を学ぶということは、単語を覚えることではありません」
「その言葉から何を感じるのか」
「何を思い浮かべるのか」
「どんな経験と結びついているのか」
「そこまで含めて、一つの言葉を理解することです」
ユキジが手を挙げた。
「じゃあ……新しい魔法を覚えるっていうのは?」
先生はユキジを見る。
「いい質問です」
「新しい魔法を覚えるということは、ある意味では――」
先生は黒板に、
『新しい思考回路を作る』
と書いた。
「自分の中に、新しい可能性を覚えさせることでもあります」
カズトはノートに書き始めた。
新しい魔法。
新しい思考回路。
そして、その下に小さく、
『自分で選ぶ』
と書いた。
先生は最後に言った。
「この学校で皆さんにしてほしいのは、誰かの考えを新しく植え付けることではありません」
「むしろ逆です」
「自分の中に何があるのかを知る」
「それが誰かに教えられたものなのか」
「自分で経験して選んだものなのか」
「それとも、もう必要なくなったものなのか」
「一つずつ確かめるのです」
教室の中に沈黙が落ちた。
先生はカズトのノートを見た。
そこには、
『魅せられる』
という言葉が残っている。
「そして最後には――」
先生が言った。
「皆さん自身が、自分の言葉を選べるようになってください」
カズトはその言葉を聞きながら、ペンを握った。
今まで自分の中にあったもの。
誰かに言われた言葉。
過去の経験。
恐怖。
諦め。
それらは、確かに自分の中にある。
でも――
それらがあることと、
それらに従い続けることは、
同じではない。
カズトはノートの最後に一行を書いた。
『俺の意識は、俺が全部決めたものじゃない』
そして、その下に続けた。
『だからこそ、これから自分で選び直せる』
先生は黒板の文字を消した。
『顕在意識』
『潜在意識』
『刷り込み』
そして最後に、一つだけ残した。
『自分で選ぶ』
二年間。
この学校で学ぶのは、魔法だけではない。
自分の中にあるものを知り、
自分の頭で考え、
自分の言葉を選び、
その言葉に新しいイメージを与える。
それはまるで――
今まで知らないうちに受けてきた「魔法」を、一つずつ解いていくような授業だった。




