#33 物語の中のピンチ
レナステリアワードエナジーアカデミー。
国語。
小説。
そして瞑想。
言葉を知り、物語から人の感情を知り、頭の中を整える。
詠唱魔法の学校なのに、魔法そのものを使う授業はまだ始まっていない。
そして――
三時間目。
「今日は少し趣向を変えます」
教室に入ってきた先生が、そう言った。
「動画鑑賞です」
「動画……?」
カズトが首を傾げる。
先生が教室の前にある巨大なクリスタルへ近づいた。
それは黒板のような形をした、大きな板状のクリスタルだった。
表面は何も映していない。
「これは地球から映像を受信するためのクリスタルです」
「地球……」
教室の何人かがざわめいた。
地球。
この世界とは別の世界。
そこには自分たちとは違う文化があり、違う技術があり、そして――物語がある。
先生が説明する。
「皆さんはこれから詠唱魔法を使っていくことになります」
「実際の戦闘や危険な状況では、当然ですが平常時と同じ集中力を保てないことがあります」
カズトは静かに聞いていた。
「恐怖」
「焦り」
「疲労」
「痛み」
「仲間を守らなければならないという責任」
「そうしたものによって、詠唱への集中が若干弱くなることはあります」
先生は黒板に書いた。
『集中力の低下』
「これは、ある程度は仕方ありません」
そして、その下にもう一つ書く。
『イメージの消失』
「しかし――」
先生はチョークを止めた。
「こちらは困ります」
教室が静かになった。
「詠唱の途中で多少焦ってもいい」
「声が震えてもいい」
「呼吸が乱れてもいい」
「それでも、言葉のイメージだけは手放さない」
「そこが重要です」
カズトは昨日の瞑想授業を思い出した。
頭を整える。
一つの言葉を思い浮かべる。
そして、そのイメージを維持する。
「では、なぜ動画を見るのか」
先生はクリスタルに目を向けた。
「皆さんに、ピンチを経験してもらうためです」
「……え?」
「もちろん、本物のピンチではありません」
先生がクリスタルに手を触れる。
大きな黒板のようなクリスタルに、映像が浮かび始めた。
地球の映画。
見知らぬ街。
見知らぬ人々。
そして――
突然、主人公たちに危機が訪れる。
「うわっ!」
教室から声が上がった。
画面の中では主人公たちが逃げている。
追いかけてくる敵。
迫る時間。
仲間とはぐれる。
出口が見つからない。
「これが、物語の中の『ピンチ』です」
先生が言った。
「主人公たちは、この状況で何を考えるでしょう?」
カズトは画面を見つめた。
敵が迫る。
主人公の呼吸が荒くなる。
手が震える。
それでも主人公は仲間に声をかける。
「逃げるだけじゃない」
「ここを突破する」
そんな場面だった。
先生は映像を一時停止した。
「今の主人公は、平常時と同じ状態だったでしょうか?」
「……違います」
カズトが答える。
「じゃあ、どうして考えられたのでしょう?」
カズトは少し考えた。
「……全部を考えられなくなっても、必要なことだけは残っていたから?」
先生が頷いた。
「その通りです」
「ピンチになったとき、頭の中の情報が全部消えるわけではありません」
「だからこそ、普段から『必要なものを残す』練習をするのです」
先生は昨日の瞑想を指した。
「瞑想は、そのための訓練でもあります」
次に、先生は別の映像を流した。
今度はアニメだった。
主人公が追い詰められている。
仲間が倒れている。
敵が目の前にいる。
主人公は一瞬だけ目を閉じる。
そして、ある言葉を叫ぶ。
映像が止まった。
「さて」
先生が振り返る。
「この主人公は、何を思い浮かべていたと思いますか?」
生徒たちがそれぞれ答える。
「仲間!」
「勝つ方法!」
「家!」
「剣!」
様々な答えが出た。
先生は笑った。
「正解はありません」
「物語を見ている皆さんが、どう想像したかが重要なのです」
カズトは画面を見ながら考えた。
ピンチ。
恐怖。
焦り。
それでも頭の中に一つだけ残す。
言葉。
その言葉から生まれるイメージ。
それを消さない。
「……なるほど」
カズトが呟いた。
「実戦の予習なんだ」
「そうです」
先生が答えた。
「本物の危険を経験してから学ぶのでは遅い場合があります」
「だから物語を使います」
「映画でもアニメでも構いません」
「主人公たちがどんな状況に追い込まれ、どう考え、何を残して行動するのかを見る」
「それが、皆さんにとっての予習になります」
カズトは、ふと教室を見回した。
この学校には、自分と同じように何らかの事情を抱えた生徒がいる。
魔法の弱さによって傷ついた者。
魔法そのものに問題を抱えた者。
そして、長い詠唱魔法を必要としている者。
幸いなことに――
体内の魔力そのものに呪いを受けて、魔力を完全に扱えない生徒はいなかった。
少なくとも、この学校で学ぶために必要な魔力は残されている。
先生が言った。
「このクリスタルを見るときは、目に少量の魔力を流してください」
「目に……?」
ユキジが聞き返す。
「はい」
先生が実演する。
目に魔力を流す。
すると、板状のクリスタルに映し出された映像が、より鮮明になった。
「これは視覚補助のための魔力操作です」
「魔力を目へ流すことで、クリスタルから送られてくる映像を認識しやすくします」
生徒たちが次々に試していく。
カズトも目に魔力を流した。
すると――
巨大なクリスタルに映し出された地球の映像が、はっきりと見えた。
街。
人。
建物。
そして、物語。
まるで本当にその場にいるようだった。
カズトは少し驚いた。
「……地球の映像って、こんなに綺麗なんだ」
「これも一つの『イメージ』です」
先生が言った。
「皆さんが物語を見ることで、頭の中に様々な状況の引き出しができます」
「危険な場所」
「逃げ場のない場所」
「仲間を守る場面」
「突然の出来事」
「予想外の敵」
「そうしたものを一度でも物語の中で見ておけば、実際に似た状況になったとき――」
先生は一拍置いた。
「完全な未知ではなくなります」
カズトはノートを開いた。
そして書く。
『ピンチを物語で予習する』
その下にもう一行。
『集中が落ちても、イメージは残す』
さらにその下。
『言霊を忘れない』
カズトはペンを止めた。
昨日までの授業が、一本につながっていく。
国語。
言葉を知る。
小説。
人の感情を知る。
瞑想。
頭を整える。
そして――
動画鑑賞。
ピンチの状況を知る。
カズトは巨大なクリスタルの画面を見つめた。
次の映画が始まる。
また主人公が走り出す。
また危機が迫る。
また、主人公は追い詰められる。
でも今度は、カズトはただ物語を見るだけではなかった。
主人公の頭の中に――
どんな言葉が残っているのか。
どんなイメージを握っているのか。
それを考えながら、画面を見ていた。
詠唱魔法。
それは、平和な場所で完璧に唱えるためだけの魔法ではない。
恐怖の中でも。
焦りの中でも。
多少集中が乱れても。
最後に一つだけ、言葉とイメージを残す。
そのために――
物語は、魔法の教科書にもなっていた。




