#15 一人
家の扉を開けた。
見慣れた匂い。
見慣れた音。
母の声がする。
「おかえり」
カズトは小さく返す。
「ただいま」
それだけで、安心した。
ちゃんと帰ってきたんだと、思えた。
だが。
部屋に入った瞬間。
静けさが落ちてくる。
机。
ベッド。
クリスタル。
手帳。
全部、変わっていない。
でも。
何かが違う。
カズトは立ったまま、しばらく動けなかった。
「……一人だ」
ぽつりと出た言葉。
家族はいる。
でも。
それとは違う。
同じ時間を共有する誰か。
何でもないことを話す誰か。
それが、いない。
ふと。
胸の奥に、妙な衝動が湧いた。
カズトは外に出る。
夕方の公園。
子どもたちの声はない。
少し遅い時間だ。
カズトは近くの店で、ボールを買った。
安い革のボール。
手に馴染む。
公園の真ん中に立つ。
ボールを握る。
少し考える。
そして。
投げた。
シュッ。
ボールは空を切る。
地面に落ちて、転がる。
カズトは歩いて取りに行く。
拾う。
戻る。
また投げる。
シュッ。
コロコロ。
歩く。
拾う。
戻る。
繰り返す。
投げる。
拾う。
投げる。
拾う。
カズトは気づく。
これ。
キャッチボールじゃない。
ただの作業だ。
胸が少し痛む。
その時。
ポーチの中のクリスタルが光る。
オラクルの声。
「感情の揺らぎを検知」
カズトは何も答えない。
クリスタルを取り出す。
画面を開く。
指が、自然に動く。
連絡先一覧。
そこにある名前。
幼馴染
カズトの指が止まる。
画面を見つめる。
連絡はできる。
メッセージを送ればいい。
「久しぶり」
それだけでいい。
それだけで。
でも。
指が動かない。
何を話せばいい?
今さら?
どう思われる?
断られたら?
無視されたら?
頭の中で、声が増える。
止まらない。
カズトはそのまま画面を見つめる。
ボールは足元に転がっている。
何もできない。
時間だけが過ぎる。
やがて。
視界がにじんだ。
一滴、落ちる。
クリスタルの画面に。
ぽつ。
カズトは気づく。
自分が泣いていることに。
「……なんで」
小さな声。
怒りじゃない。
悔しさでもない。
ただ。
寂しい。
それだけだった。
オラクルが静かに言う。
「呼吸が乱れています」
カズトは何も言わない。
ただ。
画面を見たまま。
涙が落ちる。
止めようとも思わない。
しばらくして。
カズトはゆっくり息を吸った。
秒針を見る。
カチ。
カチ。
カチ。
四秒吸う。
二秒止める。
五秒吐く。
繰り返す。
少しずつ。
呼吸が戻る。
カズトはボールを拾う。
強く握る。
空に向かって投げる。
さっきより、少し強く。
ボールは高く上がる。
落ちてくる。
カズトは両手で受け止める。
ドン。
その感触。
確かに、そこにある。
カズトはクリスタルを見る。
幼馴染の名前。
まだそこにある。
消えていない。
指は、まだ動かない。
でも。
画面を閉じなかった。
カズトは小さく言う。
「……そのうち、な」
オラクルが答える。
「はい」
夕日が沈む。
公園に影が伸びる。
カズトはボールを持って歩き出す。
一人。
でも。
さっきより少しだけ。
軽かった。




