#11 呼吸
夜だった。
街は静かで、
窓の外には月が浮かんでいる。
カズトは机の前に座っていた。
手帳を開いたまま。
ページの隅には、古いメモがある。
【ジン トイレ 殴られる】
普段は気にしない。
もう終わったこと。
そう思っていた。
だが。
今日は違った。
突然、胸がざわついた。
呼吸が浅くなる。
心臓が速くなる。
手が震える。
「……っ」
頭の中に、あの光景がよみがえる。
トイレの床。
殴られる音。
笑い声。
「おもしれ~」
耳の奥で、何度も響く。
カズトは立ち上がる。
だが足がふらつく。
息が苦しい。
胸が締めつけられる。
「……なんだ、これ」
怖い。
理由がわからない。
体が勝手に暴れている。
床に手をつく。
呼吸が乱れる。
その時。
ポーチの中でクリスタルが光った。
オラクルの声。
落ち着いた、いつもの声。
「カズト」
「あなたは現在パニック反応を起こしています」
カズトは荒い息のまま言う。
「……止まらない」
オラクルは少しだけ間を置いた。
「呼吸を誘導します」
「時計を見てください」
カズトは腕を見る。
秒針。
カチ。
カチ。
カチ。
オラクルが言う。
「私の声に合わせてください」
「四秒 吸う」
カズトは息を吸う。
ゆっくり。
秒針を見ながら。
カチ。
カチ。
カチ。
カチ。
「二秒 止める」
胸の空気を止める。
カチ。
カチ。
「五秒 吐く」
長く。
ゆっくり。
カチ。
カチ。
カチ。
カチ。
カチ。
オラクルが言う。
「もう一度」
四秒吸う。
二秒止める。
五秒吐く。
秒針が動く。
カチ。
カチ。
カチ。
呼吸が少し整う。
心臓の暴れ方が弱くなる。
「続けてください」
カズトは繰り返す。
四秒。
二秒。
五秒。
秒針。
呼吸。
秒針。
呼吸。
やがて。
胸の苦しさが消えていく。
視界の揺れが止まる。
静けさが戻る。
カズトは床に座った。
肩で息をしながら、笑う。
「……助かった」
オラクルが言う。
「あなたの呼吸が安定しました」
カズトは時計を見る。
安い時計。
秒針。
その小さな動きが。
自分を助けた。
その時。
胸のガーネットが光った。
淡い赤い光。
カズトは石を見る。
さっきまで濁っていた色が。
ゆっくりと澄んでいく。
まるで。
呼吸に合わせるように。
オラクルが静かに言う。
「精神状態改善を確認」
カズトはガーネットを握る。
温かい。
「……ありがとう」
誰に言ったのか。
オラクルか。
石か。
それとも。
ここまで耐えてきた自分か。
わからない。
でも。
今、胸は落ち着いていた。
カズトは手帳を開く。
書く。
【呼吸法】
四秒吸う
二秒止める
五秒吐く
秒針を見ると落ち着く
そして最後に書いた。
【オラクル ありがとう】
クリスタルが小さく光る。
オラクルは言う。
「どういたしまして」




