VSチワワ その3
俺はつつじ荘近くのつつじの植え込みの陰まで逃げてきた。来るまでにわかったが、左頬の髭は痺れてはいるが千切れてはいないようだ。加えて首(頭の付け根、人間の様な首は無い)も痛く、左頬も痛く、左目も痛く、頭もクラクラして吐き気がする。喉も渇き、足も痛い。腹も擦り傷だらけだ。くっそ! 俺は右の髭だけでやや手間取って頭の後ろに括り付けたままの風呂敷から薬草を取り出し、雑に包みを解いて一気に食べた。口が曲がる程不味い。むせそうになるがなんとか飲み下した。滋養と薬効が全身を巡り、浅い傷はたちまち癒え、左頬と左髭もだいぶマシになり、フラつきと吐き気も収まった。口直しに手近なつつじの葉を食べて多少は乾きも癒えた。
「よしっ!」
俺は自分が全速で這ってきた道をチラリと見てヤツの姿がまだ見えないのを確認すると、雑木林の傍にあるつつじ荘へ急いだ。
つつじ荘は80年前に立てられた蔦で半ば覆われた4階建てのオンボロアパートだ。住人は全員貧乏人だが、一応勤め人が住んでいるので平日の昼間はひっそりとしている。といってもさすがに玄関からは入れない。意外と変な時間に荘に居る者も珍しくないからな。俺はアパートの側面を覆った蔦を伝って上へと登り始めた。4階の壁まで登ると髭で蔦を掴んでフォローしつつ、横に移動し、蔦で隠された小さな足場に降りた。そこをそのまま這って進むと左手の壁に猫の出入り口の様な板の面がある。上を蝶番で止められたその板をくぐり、俺はつつじ荘に入った。板は几帳面な仲間が樟脳を塗りたくっていて鼻がムズムズしたが構ってられない。俺は壁と壁の間に仕込まれた俺達が一匹通れるくらいの幅の暗い通路を進んだ。白黒になるが俺達は暗い場所でも目は見える。目当ての部屋の壁の裏まで来た。
星型の目印の付いた壁の脇にはボタンがあり、これを髭で押す。ポチっとな。シュッ、軽い音を立てて星印の壁は横にスライドし、開いた。中へ入ると油絵の具の臭い。ヤツがくたばって2年経つのにまだ残っている。出入り口を隠す壊れたソファの後ろから顔を出すとメチャクチャになったヤツのアトリエはやっぱり今日もそのままだった。この部屋には30年間、絵描きの幽霊が住み着いていた。頭のおかしいヤツだったが、接し方を間違えなければ害は無かった。だが2年前、冒険者に退治されちまった。ヤツの持っていたレアアイテムが目当てだ。普通に強盗殺人だが、モンスターに法は適用されない。あいつ、最後まで絵は下手くそだったなぁ。俺は冒険者の剣で斬り裂かれて落ちた『愛しの貴族令嬢』の肖像画を見て沁々と思った。どう見てもドレスを着た雌のホムンクルス。
しんみりしていたが、それどころじゃなかった! 俺は気を取り直して書棚の方へ這い進んだ。途中、冒険者にブッ壊されたまま放置されているアトリエの玄関をチラリと見る。出入り、自由、だな。俺は這う速度を増して書棚の脇に来ると、なんの目印も無い壁の上段レンガを1回、下段のレンガを1回、続けて押した。すると、シュッと音を立てて壁がスライドして開き、俺は中へ這い込んだ。後ろでシュッと壁が閉じると、俺は大きく息を吐いた。隠し窓から日が差し込んでいる。
「一先ずだ」
俺は風呂敷を髭でまさぐり、最後の薬草を取り出し、口に放り込んだ。ま、マズイ。たいして間を置かず二つ目を食べたので体が震える。もう1つ続けて食べたら吐くか下すかするな。それでも傷と疲労は完全に癒えた。後は渇きだけ。俺は狭い隠し部屋の前方壁を見た。レバーが7本並んでいるがこれはフェイク。どのレバーを引いても仕掛けが作動する。『偽の選択肢の提示』をするタイプのトラップ。正解は左側の壁に雑然と嵌め込まれた様な4色のレンガの内、一つだけ離れた位置に嵌め込まれた『青』のレンガ。そいつを髭で押すと、ゴゴッと、重い音を立て正面の壁の右端の方の石壁がスライドした。俺はその中へ入った。
後ろでゴゴッと石壁が閉じる。振り返ると壁には文字が書かれている。妖精の言葉で『盾』というらしい。この石壁は大男がハンマーでぶっ叩いても壊れない。石壁も一連の仕掛けも元々つつじ荘を縄張りにしていたレプラコーン族が作ったものだ。俺達は以前は連中に森から持ってきた食べ物等を売って小遣いを稼いでいた。だが、用心棒として飼っていた絵描きの幽霊を倒され、慎重なレプラコーン達はまだ人間に気付かれてもいないこのつつじ荘をさっさと捨ててどこかへ去ってしまっていた。結果、出入りしていた俺達が棚ぼたでここを縄張りにしちまったって訳。サイズが合わないし、俺を含め殆どのケムシーノは魔法を使えないから色々改造したけどさ。
元はレプラコーン用の緩い傾斜の階段を這い上ってゆく。踊場を何度か折り返して目当ての屋根裏部屋が近付くと、微かにピーピー笛の音が聴こえ出し、俺はガックリした。ケムリンだ、ケムリンが来てる。よりにもよって今日来てるっ! 階段を上りきり、いよいよ笛の音のうるさい樫の扉の前に来ると、俺は一度頭の中を整理してから髭でノブを回して中に入った。屋根裏部屋にはブリキの亀の像が一つ、天窓に繋がった鎖が2本、棚がいくつか、暖炉、あまり使わないが簡単なキッチン、トイレに続くドア、風呂に続くドア、温室に続くドア、物置に続くドア、俺達に必要無いからテーブルは無いがソファはあちこちに4つ置かれ、ハンモックは7つも掛かっていた。その内の一つに同じケムシーノ族のケムリンが仰向けにやや丸まって収まり、口に加えたお気に入りの玩具の笛をピーピー鳴らしていた。
「あれ、ヒロシじゃん。今日来る日だっけ? どったの?」
笛を口から話して呑気に聞いてくる。どったの? じゃねーよっ。俺は後ろで閉めた樫のドアに髭で鍵をかけた。
「ヤバいヤツに追われてる。たぶんもうすぐここに来る。人間にも見られた。ヨゼフだ」
『道具箱』と呼んでる棚に移動しながら早口で言うとケムリンはポカンと口を開けていたが、
「は? どゆこと? つつじ荘もバレちゃったの? ヨゼフ、なら大丈夫だと思うけど、なんに追われてんの?」
珍しくケムリンまで早口で聞いてきた。
「犬」
短く答えて『道具箱』を開ける俺。中にはみかんが一つ、胡桃が4つ。
「ケムリン」
「犬ってどゆこと? どっかの番犬? だったら」
「ケムリン、それより『道具箱』に食べ物しか入ってない」
取り敢えずみかんを髭で取って皮ごとかじる。渇いた喉にありがたいが、それどころじゃなかった。
「『道具箱』に、『道具』が無い」
「道具? ああ、来月この屋根裏部屋の管理人がミチヨさんからケムぴょんさんに代わるでしょ? あの二人、仲悪いから、『道具箱』の中身は引き継がないんだって。先週全部持ってったよ? でも森の倉庫に」
「森の倉庫とかどうでもいいっ!! なぜ! 今っ! ここに無い!!」
急に怒鳴ったからケムリンは驚いてハンモックから落ちてしまった。すまん、ケムリン。だが『道具箱』の中身で! ここでチワワ野郎を仕止めるつもりだったのにっ!
「ケムリン使える道具、持ってるか?!」
「ええっ?」
ケムリンは慌てて床に適当に放っていた人間から盗んだポシェットを改造した自分の鞄を髭でまさぐった。
「や、薬草二つ。毒消し一つ。後は食べ物と、笛が二つ。あ、1個吹いてたから笛は3つだ」
笛、3つ必要?! まあいい! 俺はどうにか考えを整理した。
「薬草1個と煙玉1個、交換してくれ」
「うんっ」
ケムリンは薬草を一つ取って髭を伸ばし、俺は風呂敷から煙玉を一つ取って髭を伸ばし、交換した。これで使えそうな俺の持ち物は、薬草1個、煙玉1個、辛子玉1個。
「犬に追われているの?」
「チワワだよ。村長の家で新しく飼ったらしい。ヤバいヤツだ」
ケムリンはまたポカンとした顔をした。
「村長の犬って『ポン助』でしょ? 3週間前に来た。あの子、大人しいよ?」
「『ポン助』っ?! 大人しい??」
そんなフレンドリーな名前だったのかアイツ? いや、そこはいい。『3週間前』ってのが気になる。どういう意味だ? あんな狂暴なヤツが3週間も大人しくしていたのか? 3週間も? 環境に慣れていなかっただけか? 確かに一時期流行ったが、未だに定期的に村長の家に忍び込んでるのは俺だけだ。唯一強く、屋敷に臭いの痕跡の残ってる俺がようやく現れて、そこで初めて本気になったと考えられないでもない。しかし、準備期間にしては長過ぎる気もする。なんだ? 何か変だぞ? 俺は何に違和感を感じている? 俺が固まってしまったので、ケムリンが困惑し始めたところで、
「シンニュウシャッ! シンニュウシャダヨォッ!!」
ブリキの亀像が騒ぎ始めた。来やがったっ! 亀はレバーのある隠し部屋に未登録の者が入り込むと騒ぐ仕掛けになっている。
「レンガのボタンをどうして?!」
驚くケムリン。
「臭いだ。ヤツは臭いで判断している。隠し部屋のレバートラップも意味無い。すぐ来るぞ! 天窓だっ!」
俺は天窓の下の鎖に移動した。ケムリンも続く。
「物置部屋のダストシュートで逃げた方が速いんじゃない?!」
「シンニュウシャ! シンニュウシャッ!!」
「ダストシュートはヤツも気付いてすぐ使うだろう。それに地上を逃げても追い付かれる。雑木林を使う!」
「どゆことソレ?!」
「シンニュウシャ! シンニュウシャッ!!」
「いいから! 亀うるせぇっ! この高さで待て!」
俺は鎖を4分の3昇った所で止まってケムリンを待った。
「なんで待つの?」
ケムリンが聞くと同時にドォーンッ!!! 樫のドアが外から『何か』に打ち付けられる。ヤツだ。
「ええっ?! あれポン助なの?」
「そうだ。鎖のトラップでハメる。時間を稼ぐ」
「シンニュウシャキタ! ドアノマエ! マジデ! マジデッ!!」
ドォーンッ!!! 2発目の衝撃で樫のドアをぶち破り、砲弾の様に『ポン助』は屋根裏部屋に飛び込んできた。
「ガルルルッ」
低く唸るチワワ野郎。
「キョウハイイヒダ」
いらんことを言って静かになるブリキの亀。
「ガルルゥバァッ!!」
ヤツは信じられない速度で駆け、ソファの一つを踏み台に、天窓下の2本の鎖に飛び付いてきた。1本の鎖に右前足の爪と右後ろ足の爪を、もう1本の鎖に左前足の爪と左後ろ足の爪を掛け、力任せにガシガシと鎖を揺らして昇ってくる!
「ええっ?! ポン助ぇ?!」
ヤツのパワーを初めて見たケムリンは驚愕したが、俺が無言で再び鎖を昇り出すと慌てて自分も昇り出した。俺は鎖を5分の4程度昇ると、体一つ離れた辺りにいるケムリンに目配せした。
「ガルルッ!!」
ケムリンのすぐ後ろにヤツが迫ってる。俺達は同時に鎖を離した。
「ガウっ?」
戸惑うポン助野郎。俺達は髭を天窓に伸ばし、ケムリンは2本の髭を、俺は1本の髭を天窓下の取手に絡め、俺は更に取手の脇にある隠しボタンを押した。途端、バチンッ! 天窓下から下がっていた鎖は根元から断たれ、落下していった。ヤツも鎖と一緒に床に落ちてゆく!
「キャワンッ?!」
俺は初めて聞くチワワらしいヤツの鳴き声を聞きながら、俺達は髭を縮めて天窓下の枠までたどり着いた。ヤツは器用に一緒に落下した2本の鎖を避けて、4本足で着地したが、鎖のトラップはこれだけじゃない! 出入り口に鉄格子も降りた。物置部屋のダストシュートの仕掛けに気付くまでヤツはここから出られない。
「ガルルルッ」
降りた鉄格子を振り返っていたヤツは俺達を一度、ジトッとした目で見たが、すぐに顔を背け、周囲の臭いを嗅ぎ回り始めた。
「ああいうヤツなんだ。行こう」
「うん」
俺達は天窓を開け、屋根の上に這い出て行った。




