第一七話 とある少女の過去の話
今からおよそ一〇年前。
都会から少し離れた場所の小さな一軒家に、わたしは家族と三人で住んでいた。
一人っ子だったわたしは周りにも同年代の子がいなかったから遊び相手が少なかったけど、それでも十分楽しい、恵まれた生活だった。
だけどある日。わたしが丁度学校終え、帰宅した時、家には誰もいなかった。
両親は研究者という職業柄、家を空けることは多かったけど、その日は出掛ける約束があったから、わたしが帰るまでには家にいると言っていた。だから少し待ったら帰ってくると思っていた。
だけどそれから何時間待っても二人は帰ってこなかった。日が傾き、窓から薄暮の風が入ってきても、空から光が消え月が己を主張しはじめても、二人は帰ってこなかった。
そして日を跨ごうかという時間のとき、半分寝ながら両親の帰りを待っていたわたしは、突如鳴ったチャイムに体を跳ね起こしながら玄関に向かった。
やっと帰ってきた。約束も破って、さらにこんな遅くまで帰ってこなかった二人をなんて叱ってやろうか。どれだけ心細かったか思い知らせてやらなくちゃ。
眠い頭でそんなこと思いながら玄関を開けたら、そこに両親の姿はなく、代わりに見知らぬ大人の人が立っていた。
そして状況が読めず茫然と立ち尽くすわたしに、その中の一人が、淡々と告げた。
『お気の毒ですが、あなたの両親は先ほどお亡くなりになられました』
それからたくさんのことを話されたけど、わたしの頭は真っ白になっていて、ほとんど覚えていなかった。
辛うじて覚えていることと言えば、魔術に関する研究者だった両親が、とある実験中にその被験者である魔術師が錯乱し、暴走した魔術を避けることができずそのまま帰らぬ人となったこと。
その魔術師は今も逃亡中だから、捕えるためにも協力してほしいとのこと。
そして気がつけばわたしはどこかの研究所に放り込まれていた。
その後はもう地獄としか思えない生活になった。
学校や遊びなんかはあるはずもなく、ご飯と寝る時間以外はひたすら魔術の実験をする日々。そこにはわたしの意思などなく、ただの実験道具として扱われた。
それが何週間、何ヶ月、何年と繰り返され、身体的にも精神的にもボロボロの布雑巾のようになっていく中、わたしはただひたすらにパパとママと暮らしていたあのころに戻りたいと願っていた。
そしてここに連れて来られる前、わたしは決死の覚悟で研究所を抜け出した。
もちろん研究所には彼らの仲間の魔術師たちが逃亡者を出さないよう見張っていたけれど、皮肉にもわたしは彼らの実験によって強化された魔術で彼らに気づかれずに逃げられた。
その後はひたすら走った。わたしが抜けだしたことはすぐにバレるだろうから、息が切れ、膝ががくがくしても止まらず走った。止まってしまったらわたしはまた地獄に連れ戻されてしまうから。
しばらく走っていると都会に出た。ボロボロの服を着ていたわたしはこのままではすぐにバレてしまうから、目に止まった洋服店に入り、予め研究所から少しずつ盗んできたお金で新しい洋服を買った。
オシャレも何もわからなかったから、全部店員さんに選んでもらった。今まで着たこともない可愛らしい衣服を纏ったわたしは不釣合いじゃないかと不安になったけど、似合ってますよと褒められた時はすごく嬉しくて、幸せで……久々に生きてる実感が湧いた。
でももうじき追手がこの辺りにも来るころだから、また逃げなきゃなと思った、そんな時。
いきなり頭の中にあの声が響いてきた。
『あなたが今持っている願いは、命に変えてでも叶えたいですか?』
その声を聞いて、疑いはしたけど迷うことはなかった。
どちらにせよこの先わたしは一生逃走することになる。でも戦闘経験もないわたしが精練された魔術師たちである彼らからは逃げ切れるはずもない。
だからわたしはその声に向かって、ありったけの力を込めて叫んだ。藁にも縋る思いで。
――命は惜しくない。だからわたしの願いを叶えて。
「それで今に至る。……まぁ、あのまま研究所に戻されるよりかは良かったかもしれないけどね」
藍花は最後にそう呟いて話を終えた。
自嘲的な笑いを浮かべている目の前の少女の瞳は少しばかり潤んでいた。
「それじゃ、お前が叶えたい願いっていうのは――」
「あの日パパとママが死なない、あの幸せな日々をいつまでも過ごしていたい」
時無の言葉を引き継ぐように、藍花は神妙な面持ちで言った。
その意志の強さは、時無の想像を遙かに超えていた。
「過去を変えるなんて、都合がよすぎることはわかってる。そもそも魔法でそんなことができる保証もないし……正直今はもう叶わないんじゃないかっていう思いのほうが強い気がする」
でも、と。溢れそうになった雫を拭ってから、藍花は力強い声で決意を告げてくる。
「それでもわたしはなんとしてもこの願いを叶えてみせる。このままじゃ終われない。まだしたいこと、やりたいこと、たくさんある……“まだ”死ねない」
「…………そうか」
「うん。……なんか暗くなる話ごめんね。でもおかげでなんかすっきりしたよ」
その言葉通り、藍花は晴れやかな笑みを浮かべる。これまで彼女を縛っていたものが解け、もう迷わないという、そんな強い意思がひしひしと感じられる。
しかしその笑みを見た途端、胸の奥に針が刺さるような、チクリとした痛みが時無を襲った。最近藍花を見ると感じるそれがなんの痛みなのか最初は解らなかったが、今は理解できた。
彼女が浮かべている笑顔が、相手に全幅の信頼を寄せているからこそできる、心からの笑みだからだ。
彼女が今どんな想いを抱いているのかは知らないが、過去の話をしたりなど、少なくとも協力者という関係以上に時無のことを安心できる相手だと信頼してくれているのだろう。
そう、それだ。それなのだ。
神々しさまで感じるこの華やかな笑みを見れば、嫌でもそれが伝わってくる。そしてそれが伝わるだけ、いつかこの笑顔を“奪わなくてはならない”のだと思わされる。
この儚くも可憐で、美しい花を摘まなくてはいけない。その事実が時無にこれまで感じたことのない痛みを味合わせていた。
「……過去の話を俺に話してよかったのか?」
「うん。自分の想いを後押しするきっかけにもなったし。……それに時無なら、話してもいいような気がしたんだ」
これまでとは打って変わり包み隠さず本心をさらけ出してくる彼女に、一瞬心が揺らぎそうになるが、それも何年と掲げ続けてきた願いには敵わない。
忘れてはならないのだ。彼女と自分は互いに互いを利用しているだけなのだと。
それはずっと続くものではないのだと。
「信用してくれるのは嬉しいが、忘れたか? 俺もお前も、《デスゲーム》の参加者なんだぞ」
あくまで淡々と、無表情で喋る。
少しばかり遠回しな言い方になったが、藍花は時無が言わんとすることに気がついたようだ。
そう、この悪戯の勝者は一人だけ。仮に他の魔術師を全員倒しても、最後には時無と藍花が互いに殺し合うことになる。
「それは…………大丈夫だと思う」
しかしそれでも藍花は優しい笑みを絶やすことなく、時無への信頼が揺らいだ様子もなかった。
いや、むしろ彼女の決意がさらに固まったような気さえする。
「わたしたちはきっと勝ち残る。そして二人とも願いを叶えてみせる。……そのためにわたしは最善をつくすわ」
「二人で勝ち残る……?」
藍花が何を考えているのか時無が思考を巡らしていると、丁度部屋の窓から心地良い太陽の光が差し込んできた。
「もう昼になるのね。わたしは半日寝ていたのか」
「……いや、お前は丸一日寝ていたぞ」
「えっ?」
信じられない、といった様子でこちらを見つめてくる藍花。
「そ、それじゃあの魔術師が来て、わたしが気を失ったのは今朝じゃなくて――」
「昨日の明け方、だ」
「……うっそ」
丸一日寝込んでいたという事実を突きつけられた藍花は、ひどく落ち込んだ様子で頭を抱えて唸り出す。その動揺っぷりは、この少女はこんな表情もできたんだな、と思うほどだ。
「ということは丸一日あなたに迷惑を……ごめんなさい」
「別に謝ることもない。どちらにせよ、昨日はここから動かなかっただろうからな」
「そうなの?」
くりくりの無邪気な瞳で問うてくる眼前の少女に、時無は気づかれない程度に小さくため息を吐く。
何が藍花をここまで変えさせたのかは知らないが、ここまで彼女の対応が豹変すると、慣れていないせいか正直対応に困る。どう接すればいいのか分からない。
なによりそんなことを思う人間の心がまだ己にあったのかと思うと、皮肉の一つでも言いたくなる。
百を超える人を殺してきた人殺しの分際で、まだ人であろうとするのかと。
「あぁ。昨日は周辺で誰かが大っぴらに殺りあっていたからな。わざわざそこに混ざる奴はただのバカだ」
「そうだったんだ。それじゃあまた脱落者が?」
「いや、あの男からの定時報告じゃ、昨日の脱落者はいないそうだ」
「そう……それじゃ残りはわたしたちと、土と、風と、雷の魔術師ね」
言って横になった藍花は、まだ疲労がのこっているようだった。
「そうだ。だから今のうちに休んでおけ。《デスゲーム》の制限時間はそろそろ半分を過ぎる。誰かが行動を起こすとすれば、それはそう遠くないはずだ」
新しい冷えたおしぼりを藍花に渡し、部屋の電気を消す。
「それってもしかして、近いうちに大きな戦闘が起きるってこと?」
不安そうに揺れる双眸は、思わずこの少女を守らなければと思ってしまうほど儚かった。
寝室の戸を閉める直前、また夢の世界に落ちていこうとしている藍花に一言囁いた。
「今夜、俺達も含め大半のやつらが行動を起こすはずだ。つまり、今夜でこのイカれた悪戯は大きな転機を迎え、一気に終局へと加速する。――最後の最後でヘマをやらかすなよ」
「……うん。大丈夫、もう足手まといにはならないから」
返ってきた力強い声を聞き、また胸にあの痛みを感じながら時無は戸を閉めた。
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「少しは女の子として見てくれたかな……?」
暗くなった寝室で一人横になっている藍花は静かに呟いた。
地獄のような所から抜けだして、わけもわからないまま連れて来られた場所で何度も命を救ってくれた。
まさに白馬の王子様のような時無だが、そもそも彼に恋という概念があるのかすら不明だ。……いや、さすがにあるか。
この想いを伝える機会があるかはわからない。だがせめて、恩返しはしたいと思う。
それに今はもう、時無を犠牲にしてまでママとパパを取り戻したいとは思わない。それはわたしが本当にしたいことじゃないから。
普通の人たちが送る、平凡だけど幸せな生活。その中に時無がいないなんて、絶対に嫌だ。ママとパパと、そして時無とわたし。この四人がいないとだめだ。
そのためにも二人で勝ち残る方法を探すのだ。
そう。捉え方さえ変えれば、“生き残れなくても、勝ち残ることはできる”のだから。




