第一六話 それぞれの想い
「くそ、なぜこんなことに……」
流血する腕をなんとか止血しながら木枯は苦言をこぼす。
敵の拠点を探り当てたところまでは万事うまくいっていた。ただ、その拠点にいた相手が、木枯にとっては特に看過できぬ問題だった。
だから戦闘にも集中できなかった。その結果がこれだ。
「なぜ……なぜ…………くそッ!!」
予想もしていなかった事態に、戸惑いを隠せない。
腕からの流血は止まらない。だがそんな痛みなどどうでもよかった。 三〇を過ぎたこの体でも、そんなものは後で治療すればどうとでもなる。
現在敗走しているという事実も今に限っては些細な問題だ。
ぶち当たっている問題はそれどころでない。事によってはこの《デスゲーム》で勝ち残る意味さえ無くなってしまうほどに。
「いったい……どうすれば…………」
運命の悪戯にしては質の悪い展開に、しかし具体的な打開策があるわけでもなく、ただ木枯は悔しげに歯軋りをするしかなかった。
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頭がぼうっとしている。薄っすらと開いているまぶたを重たそうに何度か瞬きさせると、ぼやけていた視界がだんだんと晴れてきた。
鮮明になった視界にまず飛び込んできたのは、あぁ懐かしい、あの頃ままの状態の自分の部屋だ。
はて、なんで部屋にいるのだろう、と藍花が首を傾げていると、不意にドアの前に二つの人影が現れた。
遠慮がちに佇む二人の容姿を見た藍花は、あまりの驚きに思わず絶句した。
「え……うそ…………そんな…………」
自然と涙が零れてきて、膝から下の力が抜け、だるま落としのようにその場に座り込んでしまった。
そんな藍花のことを見て、二人の男女が控えめに笑う。
その笑顔を見た瞬間、また涙が溢れてきた。
「今までどこに行っていたの……? ママ、パパ…………」
どこか控えめで、でも心底楽しそうな笑顔。そうだ。あの笑顔、間違いない。例え何年ぶりであろうとも、自分の親を見間違えたりなんてしない。
今すぐそばに行きたい。抱きつきたい。抱きしめて欲しい。この何年もの間、自分がどれだけ寂しかったことか。そしてもう一度あの幸せな日々を――。
しかし足が動かない。まるで身体がドアの向こうにいる両親の下へ行くのを拒んでいるかのように。
「ママ……?」
見れば両親もドアの前で立ったままで、こちらに入ってこようとはしない。浮かべる笑みも、どこか寂しげだ。
状況が読み込めず、それでもなんとか立ち上がろうとすると、
「駄目だ藍花! こっちにくるな」
「え……」
滅多に怒鳴らなかった父が、突然必死の形相で怒鳴った。しかし怒っているわけではないらしく、すぐに悲しげなほほ笑みを浮かべる。
「お前を一人置いていってしまって悪かった……でもまだ来ちゃだめだ」
「パパ……」
今にも泣き出しそうな顔になる父の手を、母が優しく握った。
どんなときでも凛々しく優しく強かった母も、今はその瞳を潤ませていた。
「本当にごめんね藍花……。でもあなたはまだそっちの世界でやるべきことがあるはずよ」
「やるべき……こと?」
なんだろう。言われてみれば何か大切なことを忘れている気がする。やけに頭がぼんやりとしていて思い出せない。
そんな藍花を見かねた母は、少し悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「……あなた、好きな人ができたでしょう? 隠しているつもりだろうけどバレバレよ。お母さんにはお見通しなんだから」
「ひゃうっ!?」
言われた途端、脳内にあの男の顔が浮かび上がり、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
「そ、そんなことないよ!」
「あらあら、そんなに顔を真っ赤にしていたら説得力がないわよ? その反応は恋する乙女の反応ね」
なぜか自慢げに話す母に、しかし言い訳ができない。わたしは彼が好きなのだろうか。確かに気にはなっているのだけれども。
しかしなぜママはこのことを知っているのだろう。
「まぁ、白馬の王子様よろしく二回も助けられちゃ、恋しちゃうのも仕方ないわよね~」
「う、うるさいっ! そ、それにそれだけじゃないもん! 他にももっといいとこやかっこいいとこあるし! ……ってなんで知っているのよ!?」
「あぁ、そうだったわね。なんてったってスカートの中を――」
「ストップ! ストーーーップ!!」
危ない、一番思い出したくないことを言われそうになった。
林檎のように顔を朱に染めている藍花に、母は途端真面目な口調で諭すように言った。
「いい、藍花。まずは自分の気持ちに素直になりなさい。建前とか筋道とかそんなの関係ない。その時あなたが本当にしたいと思ったことをやりなさい。それはきっと、あなたを一番いい結果へと導くから……」
何年ぶりに聞いた母の言葉が身体中に浸透するのを感じながら、藍花は首肯く。
「素直なあなたになれば、こんな可愛いわたし達の自慢の娘だもの。きっと相手の方も好きになってくれるに違いないから。だから自信を持ちなさい。後であれをしておけばよかったな、とか思わないように全力を尽くしなさい。頭のいいあなたなら、わかったよね? それじゃ、これからも私たちはあなたのことを見守っているから…………またね」
嬉しいような悲しいような、そんな笑みを浮かべながら二人は手を振り、ドアの向こうへと消えていってしまう。
「あ……、待って! ママ、パパ――」
ドアの向こうへと消えてゆく二人に伸ばした手は虚しく空を掴み、直後床が消え、藍花の意識はまた深い暗闇へと落ちていった。
「起きたか」
「…………ここは」
気づけば見覚えのあるベッドに横たわっている自分と、おしぼり片手に隣に立っている時無がいた。
間近にある彼の横顔を見て、なぜか一瞬心臓の鼓動が早まったのは気のせいだと信じたい。
少しして頭がはっきりとしてくると、先程のが夢だったのだと理解した。最後の自由落下の感覚が、ジェットコースターに乗っている夢から覚めた時のそれと似ているから間違いない。
寝起き特有のだるさをほぐしながら訊いた。
「そういえば、あの魔術師はどこにいったの?」
「あぁ、あと一歩のところで逃げられた」
「そう。…………ごめんなさい」
「……別に気にしてない」
淡々と無表情で答える時無に、藍花は申し訳なかった。
今回も結局なにも出来なかった。むしろ足手まといにすらなった。戦闘中に意識を失ったこの身体がこうして無事なのも、彼が助けてくれたからだろう。
「いっそ放っておいてくれていたら、こんなに悩まずに済んだのに……」
時無には聞こえない声で静かに呟く。
時無とは友達でも恋人でもない、ただ利害が一致した一時的な協力者の関係。そのはずだ。
ただの協力者の関係なのだから、いっそ見捨ててもおかしくないのだ。他人の命を助けるということはそれだけ自分の命を危険に晒しているということでもある。
それなのに彼は何度も救ってくれた。
それはもしかしたらまだ利用する価値があるという、ただそれだけなのかもしれない。いやそうなのだろう。そこに他意はないに決っている。
しかし、それでもやはり少なからず変な期待を抱いてしまうのだ。ただの協力者にするべきでない期待をしてしまっている。時無がどこまでも無表情でその真意が読めないからこそ、さらに期待が募っていく。
母が夢のなかで言っていた。建前や筋道なんか気にせず、したいことをしろと。
わたしはいったいどうしたいのか。それがわかればこの悩みも解決するんだろうが。
一つ嘆息をもらし、いまだ疲労が残っている上体をゆっくりと起こすと頭から何かが落ちた。
膝上に落ちたそれはおしぼりで、ようやく時無が片手におしぼりを持っていた理由が解った。
「看病してくれてたのね。ありがとう」
「いや……死ぬことはないだろうが、念には念をと思っただけだ」
ぶっきらぼうに話す時無がなんだかおかしくて、思わず笑ってしまう。
なぜ笑われたのか分からない様子の時無は、少し眉をひそめたが、思い出したように質問をしてきた。
「ところでだいぶうなされていたようだが、悪夢でも見ていたのか?」
「え? ……あぁ」
言われ、やっぱりうなされていたのかと藍花は一人納得する。
最近は見なくなっていたのだが、昔は両親が夢に出てきて、あの日のことを思い出すのかよくうなされていた。
従って悪夢というわけではないが、あまり見たくない夢に分類されるだろう。いくら二人に会えると言えども。
その時再度夢のなかで母が言った言葉が思い浮かび、気づけば自然と口が開いていた。
「ねえ、少し話聞いてもらってもいい?」
「……構わないが」
話すつもりなどなかったのに、自然と口から出た言葉に他ならぬ自分自身が驚いているが、すぐにまぁいいかと思いなおす。
母もまずは素直になれと言っていた。もっとも、人の心があるのかどうかすら怪しいとすら言われている――今はそんな噂は嘘だと一蹴できる――《魔術狩り》を自分に振り向かせることができるとは到底思えないが。
しかしそれでも、もしかしたら何かみつかるかもしれない。このどうしようもなくなっていく想いを、彼の迷惑にならないよう伝える方法とか。
「うん……少しね。わたしの昔話を聞いてもらいたいんだ」
そうだ、まずは素直になろう。協力者、なんて関係は金輪際無視だ。知ったことか。好きになっちゃったものはしょうがないじゃないか。
本当の、ありのままのわたしでいよう。
まだ名前も読んでくれない彼が、いつかきっと、必ず振り向いてくれると信じて。
そんな希望を抱きながら、藍花は言葉を紡いだ。




