第一五話 風の魔術師
「はあぁぁぁ!!」
「ぬぅ……ッ!!」
大地を砕かんばかりの強力な魔術がぶつかり合い、その衝撃波に飛ばされまいと両者は息をするのも忘れて雄叫びを上げる。
かたや大気を燃やさんと雄々しく燃え盛る炎剣。かたや何人の侵入も拒絶する風剣。
それを振るっているのは周囲に《魔術狩り》の象徴たる焔を従えた時無と、対抗するように周囲に風を纏ったフードの男。
両者が繰り広げる激しい近接戦は、戦闘経験に乏しい藍花にとって目で追うだけで精一杯だった。
「しぶとい……」
息を切らした時無の口から疲れを滲んだ声が聞こえてきた。
だがしかしそれも当然だろう。この戦闘が始まってからもう二〇分はたったろうか。ろくな援護もできず、ただ眺めることしかできない藍花にはその辛さは分からない。
威力の面において他の追随を許さない火の魔術を操る時無だが、相手が操る風の魔術は恐ろしく精錬されており、猛攻を仕掛ける時無をいなす男の手腕は素人目から見てもその凄まじさは感じられた。
藍花が幻術をかけていたのに、この場所を突き止められたのも、これほど手練れの魔術師ならば納得がいく。
「くそ…………氷咲、少しの間防御を」
「う、うん」
藍花の隣まで後退してきた時無を狙って四方八方から風の衝撃波が飛ばされてくる。
それを水壁を顕在させてなんとかやり過ごすが、全方位から飛んでくるこの不可解な魔術を長時間相手にするのは正直無理だ。
無表情ながらも苦しそうに肩を上下させている時無が先程から近接戦を仕掛けているのも、この予測不能な魔術のせいで戦術を考える暇もないからだ。
せめてこの魔術を防ぐだけの力が自分にあれば勝機も見えてくるのだろうが……。
一瞬自分の力の無さに嘆いた、その僅かな隙を突かれ、水壁が崩された。
「あうっ!」
背中を襲った強い衝撃に思わず声が漏れる。さらに顕在が危うくなってきた水壁を掻い潜って幾つかの魔術が飛んでくる。
痛い、痛い痛い痛い。骨にヒビが入ったんじゃないかというほどの痛さが背中を中心として広がる。
怖い。これを時無は戦いの間ずっと感じているのだろうか。自分がいかに安全な場所にいたのか、嫌でも知ってしまう。
もう嫌だ。ここに連れて来られる前かんじていた、独りで、寂しくて、悲しくて、あんな生活を続けたくないからこそ、この戦いに勝ち残らなきゃいけないのはわかっている。だけどそんなちっぽけな願いを叶えるために、こんな怖い思いをしたくない。
そこまでの代償が必要な願いなんかじゃ、ないはずなのに。
それとも神は、氷咲藍花が普通の人と同じように暮らすのは許さないと言っているのだろうか。
もともと疲れが溜まっていた身体が遂に限界に達し、それまでなんとか敵の魔術を防いでいた藍花の魔術も顕在するための魔力を失い、消失する。
これ見よがしに一斉に襲い掛かってくる敵の魔術を前にし、恐怖からか思わず涙が溢れる。
どうしてこんなことになっているのだろう。
そう、わたしはただ、普通の人が当たり前にしている家族団欒を、あの幸せだった頃の時間を取り戻したいだけなのに――。
「……助けて……ママ…………」
目の前まで迫った死の恐怖を体感する前に、意識は途切れた。
「さてどうしようか」
おそらく魔術の過剰使用だろう、その場で倒れてしまった藍花を背で庇う形で衝撃波を焔で相殺させながら、眼前の敵を睨む。
男の顔はやはりフードで隠れていて見ることはできない。
体中に敵の魔術にやられた切り傷をいくつもつくりながらも、時無の心に死への恐怖はなかった。
というのも、何を企んでいるのか男の魔術はこの戦闘が始まってから一度も自分たちの“急所”に放たれていないのだ。
それどころか今も藍花が倒れたというのに、奴の魔術の矛先はひとつも彼女を狙わず、全てこの身を標的としていた。
さらに向こうから攻めて来る気配はなく、かといって戦場から離脱するわけでもなく……。何か予期せぬ出来事があり戸惑っているのか、それとも弄んでいるのか。
あのフードさえなければ、せめて前者であるか後者であるかが判断できるのだが。
あくまで均衡状態を保とうとする敵魔術師の考えが読めない。
ただひとつわかっていることといえば――この場を切り抜ける機会は、奴が攻めて来ない今しかないということだ。
どちらにせよ隣で気を失って倒れている藍花を安全な場所で休ませることは最優先事項だろう。魔術の過剰使用による疲労は適切な処置をしなければ、それだけ回復が遅くなり、下手すれば死ぬ。
彼女には今後も役に立ってもらう場面が出てくるだろう。そのためにも一分でも早く休息を与える必要がある。
……何かと理由を立てて考えている自分に、時無は思わず眉をひそめる。
これではまるで言い訳してるみたいだ。何より敵の魔術を防ぎながら考えるほど重要なことではない。
調子が狂う。この氷咲藍花という少女に会ってから、ずっと。
「……あぁ、うざったい」
珍しくイライラしてきた。意図の読めない敵。なぜか気になる少女。そして何よりそんなことに調子を狂わされている未熟な己自身。
あの時決めた覚悟は、そんなもので狂うような物ではないはずだ。
――他の追随を許さぬ覇者の邁進を。
時無は静かに心のなかでそう呟いた。
育ての親とでも言うべき存在の人がよく言っていた言葉でもあり、自身を《魔術狩り》たらしめるための拘束具としての言葉でもある。
なにより顔すら見せないあの男を一泡吹かせなくては気が済まない。そして可能な限り抹殺する。
そうと決めた時無の行動は速かった。
それまで衝撃波らしき敵の魔術と相殺させていた焔を消滅させた。そしてあまり使わない魔術のため、わざわざ魔術海馬から術式を探り出し、魔力を総動員させて一気に顕在化させる。
「……ッ! なに?」
こちらの異変に気づいた男が警戒を示したが、もう遅い。
ありったけの魔力で顕在された、直径二メートルは軽く越す巨大な炎の球体は、銃弾の如く一直線に標的目掛けて駆けていた。
その圧倒的な物量と速度から男は避けることは間に合わず、従って防御することを止む無くされた。
奴ほどの手練れなら、これほどの魔術でも防ぐだけならばさして難儀なことではないだろう。しかしこの魔術の狙いは攻撃ではない。男が防御をした時点でその目的は果たされた。
後は疾風迅雷。勇往邁進。炎々と燃えたぎる双剣を両の手に、愚直なまでの最短距離で、敵の下へとこの身を疾走らせるのみ――。
「これは……ッ!?」
馬鹿でかい炎球をどうにか防いだ風の魔術師は次の瞬間、驚愕の声を上げた。
それも当然。先ほどの魔術によって視界を奪われていた男には、突如時無が目の前に現れたようにみえたはずだ。
「果てろ」
突き出された双剣は寸分違わず男の首元を貫かんとする。奇しくもそれは、昨日土の魔術師を仕留め損ねたときと全く同じ挙動だった。
「ぐっ……!!」
しかしその刃は男の首に届く寸前で止められる。時無の焔と同じく、奴が周囲に纏っている風が剣先に集まり壁を作っていた。
月明かりが照らす暗闇の中、ぶつかり合う二つの魔術の周囲に壮絶な火花が迸る。
眼前で煌く輝きに目を細めながら、時無はひとりほくそ笑んだ。
正直、まさかこれを止められるとは思ってもいなかった。――だが、“計算外”だったわけではない。
時無は躊躇なく剣を掴む右手を離した。瞬時に漆黒のコートの袖口を弄り目当ての物を掴む。その手に握られているのは、本来魔術師には縁のない代物。
しかし《魔術狩り》にとっては最大の得物――銃。
月夜に紛れるように在るそれは、これまでの時無の人生を物語るようにしみのような紅い斑点模様が目立つ。
不意をつくゼロ距離射撃。いかなる熟練の魔術師でも、無傷で防ぎ切ることは不可能だ。
「ッ!?」
銃声が轟き渡る。
一発の銃弾によってその均衡が崩れた二つの魔術は、盛大な爆発とともに両者を引き離す。
弾かれるように後退した時無は食い入る様に煙幕の先を見据える。
数秒経ったころだろうか、煙幕が晴れた先に男の姿はなかった。
「……逃げられた?」
あれだけの至近距離だ、負傷は免れていないはず。今はまだそう遠くには逃げていない。
追跡しようと自然と出た足を、しかし時無は止めた。
ひとまず目的は達成した。確かにあのまま逃すのはもったいないが、やはりまず拠点に戻って彼女を休ませるほうが重要だろう。
そう判断した時無は気を失っている藍花を抱え、何事なかったかのように思わされる無傷の家の戸を静かに開けた。




