第8話 追跡の第一歩
翌朝。
鏡の中にいるのは、昨日までのようにただ絶望に震える少年ではなかった。
腫れた瞼を冷やし、丁寧にメイクを施す。僕を愛してくれる人たちが信じている完璧なアイドルの姿を取り戻すために。
(まずは、あの日何があったのかを知らなきゃ……)
撮影に向かう送迎車の中で、僕は膝の上に置いたスマホを操作した。
あの日、意識を失う直前まで持っていたスマホ。もしかしたら、僕の知らない間に何かが記録されているかもしれない。
設定画面からGoogleマップを開く。
指先が微かに震える。
あの日――ライブ終わりの日付をタップした。
深夜1時、西麻布のバー。 そこから移動記録が途絶え、次に記録されていたのは午前10時、自分のマンションだった。
「……移動履歴が、ない」
バッテリーが切れていたのか、それとも電波が届かなかったのか。
空白の数時間。
僕の記憶から抜け落ちているあの時間が、そのまま地図の上でも空白になっていた。
「湊くん、どうしたの? ずっとスマホ見つめて。……あ、もしかしてミュージカルの話、もう前向きに考えてくれてる?」
助手席に座る佐伯さんが、バックミラー越しに僕に微笑みかけた。
主演の依頼。まだ返事はできていない。やりたい気持ちはあるけれど、今の僕にはその資格がないような気がして、足がすくんでしまう。
「いえ、写真を見てただけです。……佐伯さん、あの日、僕をホテルに運んでくれたのは、どこのタクシー会社か覚えてますか? 忘れ物をしてしまって」
できるだけ自然に、世間話のトーンで尋ねた。何か手がかりを掴みたかった。
「えっ? 忘れ物? ……うーん、ごめんなさい。あの日、岩田さんのスタッフさんが呼んでくれた車だったから、私、会社までは見てなかったのよね。でも、お店の人が呼んでくれたはずだから、聞いてみましょうか?」
佐伯さんは親身になって提案してくれる。
「いいえ、大したものじゃないので大丈夫です。お騒がせしました」
僕は微笑んでスマホをポケットにしまった。
やっぱり、あの日バーにいた人たちや、そのスタッフさんに聞けば、何かが分かるかもしれない。
(あの男が持っていた、ビデオカメラ……)
もし、不本意な映像が残っているのだとしたら。
流出なんてことになったら、兄も母も、グループのみんなも、取り返しのつかないことになってしまう。
「僕が、見つけなきゃ」
誰が犯人だとか、誰を疑うとか、そんな余裕は今の僕にはない。
ただ、みんなが守ってくれている「瀬名湊」という光を、これ以上汚されたくない。
その一心だった。
あの日、僕の身に起きたことが、何かの間違いであってほしい。 カメラの映像を回収して、すべてをなかったことにできれば、また元通りの日々に戻れるはずなんだ。
来週には、大型のテレビ番組への出演が予定されている。 そこには、あの日僕を激励してくれた岩田プロデューサーや、多くの関係者が集まるはずだ。
そこに行けば、あの日僕を運んでくれたスタッフさんにも会えるかもしれない。
「流出する前に、僕が見つけ出す」
心の中で何度も繰り返す。 悲しみはまだ胸の奥で渦巻いているけれど、今は「家族を守る」という目的が、僕を支えていた。
「湊くん、着いたわよ。今日のスタジオ、少し冷えるから気をつけてね」
「はい。ありがとうございます、佐伯さん」
僕は車のドアを開け、眩しい光の中へと踏み出した。 一歩一歩、自分自身の足で。 真実に辿り着き、みんなの誇りであり続けるための、孤独な捜索が始まった。




