第9話 生放送の死角
都内のテレビ局。
大型音楽特番の生放送当日、局内は戦場のような熱気に包まれていた。
至る所にカメラが並び、インカムをつけたスタッフたちが慌ただしく走り回る。
色とりどりの照明が交錯するステージの裏側で、僕は「Spica-S」のセンターとして、いつもの穏やかな微笑みを絶やさずに立っていた。
(ここに、あの日、僕を運んだ人がいるかもしれない……)
僕はすれ違うスタッフ一人一人の顔を、さりげなく、けれど必死に追った。
「湊、緊張してるか? 今日は新曲の初披露だし、気合入れようぜ!」
陽介が僕の肩を叩く。
「うん、頑張るよ。……ちょっと、挨拶回りに行ってくるね」
僕はメンバーの輪を抜け、関係者席やスタッフの待機所が並ぶフロアへと足を向けた。
胸元には、番組の出演者パス。これがあれば、ある程度のエリアには自由に出入りできる。
「あ、湊くん! お疲れ様、今日も期待してるよ」
廊下の向こうから歩いてきたのは、あの夜のバーにもいた岩田プロデューサーだった。
心臓がドクリと跳ねる。
「岩田さん、お疲れ様です。先日は、ありがとうございました」
僕は深く頭を下げ、顔を上げた瞬間に彼の瞳をじっと見つめた。
もし彼が何かを知っているなら、一瞬でも動揺を見せるはずだ。
「はは、いいんだよ。それより、あのミュージカルの話、前向きに考えてくれてるかな? 演出の先生も、君の返事を心待ちにしているんだ」
岩田さんの表情は、完璧なビジネススマイルだった。そこには、僕を蹂躙した男のような卑屈な欲望も、何かを隠し持っているような暗さも感じられない。
「はい。……今、考えています」
「そうか、嬉しいな。あ、そうだ。あの日、君を車まで運んだうちの若手スタッフたちが、今日も現場に入ってるんだ。後で紹介するよ。君の熱心なファンでね」
岩田さんの言葉に、息が止まりそうになった。
「……本当ですか。ぜひ、ご挨拶させてください」
チャンスだ。
岩田さんの後ろについて歩きながら、僕は手のひらの汗を衣装の裾でそっと拭った。
案内されたのは、機材車が並ぶ搬入口に近い、薄暗いスタッフ用スペースだった。
そこには、重い機材を運ぶ数人の若い男たちがいた。
「おい、君たち。瀬名湊くんだよ」
スタッフたちが一斉に振り返る。
「うわ、本物だ……! お疲れ様です!」
僕は一人一人の顔を、記憶の中のあの影と照らし合わせる。
逆光の中で見た、あの逞しすぎる体格。 鼻を突いた、あの安っぽい香水の匂い。
(……いない)
ここには、あの男はいない。 スタッフたちの瞳にあるのは、純粋な憧れと、仕事に追われる疲労だけだ。
「あ、あの……湊さん、先日はすみませんでした! 飲みすぎてしまわれて、車までお運びしたんですけど……失礼なことはなかったでしょうか?」
一人のスタッフが申し訳なさそうに頭を下げた。
「いえ、そんな。助けていただいて、感謝しています。……あの、ちなみに、そのあとホテルまで付き添ってくれた方は……?」
「ホテル? いえ、僕たちは湊さんを車に乗せて、マネージャーの佐伯さんにお任せしたところで戻りましたが……」
スタッフの答えに、目の前が白く光ったような感覚がした。
「……佐伯さんに、任せた?」
じゃあ、あのホテルに僕を連れて行ったのは、佐伯さん一人だったということ?
いや、彼女がか細い腕で、意識のない僕をあんな場所まで運べるはずがない。
誰か、別の人間が介入している。
「湊くん、そろそろリハーサルの時間よ!」
遠くから、佐伯さんの呼ぶ声がした。
振り向くと、彼女はいつも通りの優しい笑顔で、僕に手招きをしている。
華やかなステージの裏側、張り巡らされたコードの隙間で、僕は言葉にならない違和感に飲み込まれそうになっていた。
「……はい、今行きます」
僕は笑顔を作り、走り出した。
生放送開始まで、あと一時間。
眩しいスポットライトの裏側に潜む真実のしっぽを、僕は今、確かに掴みかけていた。




