第19話 魂の共鳴
翌日、稽古場にはピアノの旋律が静かに、けれど厳かに響いていた。
今日は初めての歌唱指導。物語の核となるソロパートを、キャスト一人一人が披露していく。
(……この熱気。昨日の本読み以上だ)
窓を閉め切った室内は、喉をいたわる加湿器の蒸気と、演者たちの緊張感で満ちている。
「じゃあ、準主役、カイル役の高城くんからいこうか」
演出家の言葉に応じ、高城大和さんが中央に立った。
彼が深く息を吸い込み、声を放った瞬間、空気が物理的に揺れた。
「――♪ 凍てつく夜の、その果てに!」
雷鳴のような、圧倒的なバリトン。
大柄な体を楽器に変えたかのような力強い歌声が、天井を突き抜けんばかりに響き渡る。
その音圧に、僕は思わず足がすくみそうになった。
彼は芝居だけでなく、歌でも「王」としての風格を見せつけていた。
続いて、ヒロインの結城美波さんが前に出る。
彼女の小さな体から解き放たれたのは、天界の鐘を鳴らすような、どこまでも澄み渡るソプラノだった。
「――♪ 名もなき星が、一つだけ、夜を待っている」
儚げなのに、決して折れない芯の強さ。 昨日の疑惑を一時忘れさせるほど、その歌声には聴く者の心を浄化する魔力が宿っていた。
「……すごい」
僕は知らず知らずのうちに、拳を握りしめていた。
周りは「本物」ばかりだ。アイドルの知名度だけでここに立っていては、一瞬で彼らの歌声に飲み込まれて消えてしまう。
「最後は主演、ユイト役。瀬名くん、頼むよ」
全ての視線が僕に集まる。
佐伯さんが横で見守り、高城さんや結城さんも、品定めするような、けれど期待を込めた眼差しを向けている。
(……大丈夫。僕は、僕の声を出すだけだ)
ピアノの前奏が始まった。
昨夜、自宅の暗闇で、ユイトという役――そして自分自身の傷と向き合ったあの時間を思い出す。
美しく歌おうなんて思わない。
今の僕にしか歌えない、剥き出しの真実を。
僕は静かに口を開いた。
「――♪ 誰も知らない、痣に触れて」
その第一声で、稽古場が凍りついたように静まり返った。
僕の口から漏れたのは、これまでの「キラキラしたアイドル・瀬名湊」の歌い方ではなかった。
内側から滲み出るような、湿り気を帯びた切なさ。それでいて、絶望の淵から這い上がろうとする男の、野性的なまでの生命力が宿った歌声。
「――♪ 消せない過去なら、いっそ、この闇ごと焼き尽くせ!」
サビに向かって声を張り上げると、自分でも驚くほどの声量が空間を支配した。
喉がちぎれそうなほどの激情。
あの日、言葉にできなかった叫び。
家族を守りたいという祈り。
それらすべてが旋律に乗って、共演者たちの鼓動を直接叩く。
歌い終えた瞬間、そこには数秒間の、完全な沈黙があった。
「……はあ、はあ……」
肩を上下させる僕の前で、演出家がゆっくりと立ち上がり、深く頷いた。
「……素晴らしい。技術じゃない、魂が鳴っている。瀬名くん、君がユイトで本当に良かった」
隣で聴いていた高城さんが、信じられないものを見るような顔で呟く。
「……湊さん。あなた、一体どんな景色を見てきたんですか……」
結城さんも、言葉を失ったまま僕を見つめていた。
「アイドル」というレッテルを、実力というナイフで鮮やかに切り裂いた瞬間だった。
僕はそっと、自分の胸に手を当てた。
悲しみを力に変えることが、これほどまでに誰かを圧倒するのだとしたら。
僕はもう、この痛みすらも武器にして、舞台の頂点まで上り詰めてみせる。
その先に、僕を地獄に落とした奴らを見下ろせる、本当の光があるはずだから。




