第六話 ピクニック
あれから三ヶ月が経った。
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この三ヶ月で、色々と分かったことがある。
まず、魔法とは空気中に漂うマナを扱う術らしい。
マナは全ての生物に宿っていて、魔法が使えない人間でも、その中に存在している。
最初にそれを聞いた時、俺は妙に感心した。
つまり、魔法ってのは一部の天才だけの特権じゃない。
誰の中にも、少しはその素があるってことだ。
……まあ、使いこなせるかは別問題なんだけど。
今、俺たちは居間の机で勉強をしている。
勉強とはいっても、前世でやったような退屈な暗記ではない。
この世界の魔法について、村について、家について、少しずつ学んでいる。
セレスの教え方は、相変わらずうまい。
難しい言葉をそのまま押しつけず、ちゃんと俺の頭に入る形にしてくれる。
「では、昨日の復習です」
「うん」
セレスは紙に簡単な図を描いた。
「魔法は大きく分けて三つあります」
「通常魔法、召喚魔法、精霊魔法」
「よく覚えていますね」
セレスはうなずき、指先で一つずつ示した。
「まず、通常魔法。これは体内のマナを使って、火や水、風などを操るものです」
「一番基本のやつだね」
「ええ。次に召喚魔法。これはマナで生成した魔獣を呼び出す術です」
「魔獣……」
「強力ですが、扱いが難しいので、子どもが気軽に触れるものではありません」
「うん、絶対無理そう」
「自覚があってよろしい」
最後に、セレスは少しだけ声を落とした。
「精霊魔法。これは精霊の力を借りる魔法です」
「精霊?」
「自然に宿る存在、という説明が一番近いですね。相性が合えば非常に強い力を引き出せます」
「でも、出会うのが大変そう」
「その通りです」
俺は少し身を乗り出した。
魔法の話は、何度聞いても飽きない。
こういうのはやっぱり男の夢だ。
火を出す、水を動かす、風を呼ぶ。
前世のゲームで見ていたものが、今は現実の知識として目の前にある。
「で、使い方は二つあるんだよね」
「ええ。詠唱と魔法陣です」
セレスは紙に、細い線で円を描いた。
「詠唱は、言葉で魔法を組み立てる方法です。細かい制御ができる反面、時間がかかります」
「長いのは戦いに向かない?」
「はい。だから大規模戦闘では魔法陣が主流です」
「陣って、地面に描くやつ?」
「そうです。事前に組み上げておけば、複雑な術式でも短時間で発動できます」
「へえ……」
つまり、詠唱はその場で組み立てる。
魔法陣は、先に仕込んでおく。
そういうことらしい。
俺は机に頬杖をついた。
「なんか、魔法って思ったより頭使うんだな」
「当然です」
「力技じゃないんだ」
「力技でもありますが、雑に振るうと崩れます」
「俺、たぶん雑に振るうタイプだと思う」
「でしょうね」
即答された。悔しいけど、否定できなかった。
そして、三つ目にして一番俺がびっくりしたのが、魔法のランク分けだった。
「魔法にはいくつかランクがあります」
「三級、二級、一級だっけ」
「大まかにはそうです」
セレスは指を折って説明してくれる。
「初級魔法や生活魔法は三級。攻撃魔法、治癒魔法、召喚魔法の多くは二級。そして、一級は非常に高度なものです」
「賢者とかが使うやつ」
「そういう認識でおおむね合っています」
さらに属性ごとにも細かいランクがあるらしい。
火、水、風、土、それぞれに三級、二級、一級。
聞けば聞くほど、ただの“魔法”という言葉の中に、とんでもなく広い世界が詰まっていた。
「ちなみに、セレスはどれくらい使えるの?」
「炎魔法が三級。治癒魔法が二級です」
「すごいの?」
「普通です」
セレスは普通と言っているが、多分すごいんだろう。
「実際に上には上がいます」
「そりゃそうだろうけど……」
「それでも、日常生活には十分です」
「日常生活で炎魔法使うの?」
「火起こしが早いです」
この人、本当に万能だ。
家事もできる。勉強も教えられる。魔法も使える。前世で言うなら、バフが盛りすぎている。
「剣術にも等級はありますが、私は扱えないので今は割愛します」
セレスはそう言って、さらりと話を切った。
「セレスでもできないことあるんだ」
「あります」
「なんか安心した」
「失礼ですね」
「だって万能すぎるし……」
俺がそう言うと、セレスは小さくため息をついた。
「私は、あくまで補助寄りです。戦う専門ではありません」
「でも治癒魔法二級なんでしょ?」
「魔法だけなら、王都にはもっと上がいます」
「王都こわ……」
この世界、思ったよりインフレしてないか?
机の上には、さっきまで使っていた炭筆と、簡単な図が描かれた紙が数枚並んでいる。
三ヶ月前の俺なら、魔法の話をここまで理解できる日が来るなんて思わなかっただろう。
セレスは最後に紙束をそろえると、ふっと息をついた。
「座学は終わりです。今日も庭で少し練習をしましょう」
そう言ってセレスと俺は庭に出た。
右手を前へ出し、手のひらを開く。
「……大気を漂う水よ、我が魔力に応え形を成せ――《ウォーターボール》」
言葉を口にした瞬間、胸の奥がふっと熱くなった。
手のひらの上に、澄んだ水が集まる。
丸く、重く、だけどしっかり形を持って――
小さな水球が生まれた。
「おお……!」
成功だ。そのまま次の瞬間、俺は勢いよく腕を振ってしまった。
水球は、俺の気合いに応えるみたいにすっ飛んだ。
……が。勢いが良すぎた。
きゅん、と風を切って飛んだ水球は、狙った木より少し右へ逸れ、庭の土をえぐるように着弾した。
「……やりましたね」
セレスは、土をえぐられた地面を見て、少しだけ目を見開いた。
俺は手のひらを見下ろした。
まだじんわりと熱が残っている。
詠唱を口にした瞬間、魔力が形になる感覚は、何度やっても少し不思議だった。
正直、最初は怖かった。
でも、やってみると分かる。
魔法は、ただの才能任せじゃない。
ちゃんと回数を重ねれば、少しずつ馴染んでくる。
――幸い、この世界はドラ◯エみたいに、使えば使うほど魔力量が増えるらしい。
最初にそれを聞いた時、俺はかなり救われた気分になった。
向いてる、向いてない、だけで全部が決まるわけじゃない。
だったら、地道にやる価値がある。
俺は息を整えて、もう一度手のひらを開いた。
「……大気を漂う水よ、我が魔力に応え形を成せ――《ウォーターボール》」
今度は、さっきより少し細く、ドリル状に。
小さく、細く、回転しながら……
けれど、ちゃんと安定している。
「おお……」
俺が感心していると、セレスがそっと頷いた。
「三ヶ月で、ここまで来ましたか」
「すごい?」
「ええ。十分に」
その言葉が嬉しくて、思わず胸を張る。
隠れて練習していた甲斐があった。
そう、実は俺、この三ヶ月、こっそりウォーターボールを作る練習をしていたのだ。
セレスと一緒にやる訓練だけじゃ足りない気がして、朝早くや昼の合間に、こっそり何度も試していた。
もちろん、最初は全然だめだった。
手のひらが熱くなるだけ。
水が出ても、すぐ霧散する。
形になったと思ったら、顔に跳ね返ってくる。
でも、続けているうちに少しずつできるようになった。
それは、かなり気持ちがよかった。
セレスはたぶん、俺が隠れて練習していたことに気づいている。
気づいていて、わざと何も言わない。
そういう人だ。
そこから、炎の魔法や風の魔法などの初級魔法はあらかた出来るようになった。
だが、治癒魔法はてんでダメだった。
指先に淡い光を灯そうとしても、すぐに霧みたいに散ってしまう。
マナを流し込む感覚は分かる。けれど、そこから先がどうにも繋がらない。
「……むずい」
庭の縁に座り込んだ俺は、ぐったりと肩を落とした。
目の前には、さっきまで練習していた小さな火種の跡と、風で崩れた落ち葉の山。
火は小さくともちゃんと出せる。風も少しなら動かせる。
なのに、治癒だけが何度やっても手応えがない。
セレスはそんな俺の隣で、静かにしゃがんだ。
「焦る必要はありません」
「でも、火とか風はできるのに……」
「治癒魔法は特殊です」
セレスはそう言って、俺の手をそっと取った。
「通常魔法は、“外へ放つ”感覚が重要です。ですが、治癒魔法は逆です」
「逆?」
「傷ついた相手の状態を感じ取り、乱れたマナを整える必要があります」
「難しそう」
「難しいです」
即答だった。俺は思わず空を見上げる。
火なら燃やせばいい。
風なら流せばいい。
水なら形を作ればいい。
でも治癒は違う。
ただ魔力を流すだけじゃ駄目らしい。
「つまり、こう……優しい感じ?」
「雑ですね」
セレスは小さく息を吐いた。
「ですが、方向性は間違っていません」
「ほんと?」
「治癒魔法は、制御と安定が特に重要です。攻撃魔法みたいに勢いで押し切れません」
「アルナ様とは相性が悪いですね」
「そんなぁ」
ちょっとはオブラートに包んでほしい。
セレスは俺の指先を見ながら続ける。
「アルナ様の魔法は、出力そのものは悪くありません」
「出力?」
「はい。ですが、流れが荒いです。勢いが強すぎる」
「水魔法でも地面えぐったしね……」
「ええ」
あれはちょっと気持ちよかったけど。
「治癒は、“壊す力”ではなく“整える力”です」
「整える……」
なんだろう。
急に難易度が文系っぽくなった。
俺が眉を寄せていると、セレスは庭の隅に咲いている小さな白い花を指差した。
「例えば、あの花を見てください」
「花?」
「もし水を与えすぎれば、根が傷みます」
「うん」
「逆に少なすぎれば枯れます」
「うん」
「必要なのは、適切な量を丁寧に与えることです」
なるほど。
つまり治癒魔法って、“回復魔法!”みたいな勢い技じゃなくて、細かい調整の世界なのか。
守れるようになりたいと言ったくせに、俺はまだ、治癒魔法ひとつまともに扱えない。
……まあ、それでも。
前世よりは、確実に前へ進んでいる。
「今日はここまでにしましょう」
セレスが立ち上がりながら言った。
「えー、もう少し」
「アルナ様」
「はい」
「顔色」
「……だめ?」
「だめです」
ぴしゃりと言われた。
俺は観念して立ち上がる。
確かに、少し頭が重い。
魔法を使いすぎると、身体の芯がじわじわ疲れてくるのだ。
「魔法って燃費悪いなぁ……」
「アルナ様が無駄遣いしているだけです」
「辛辣」
セレスは軽く服についた土を払うと、家の方へ歩き出した。
俺もその後ろを追いかける。
朝起きて、
手伝いをして、
勉強して、
魔法を覚えて、
疲れて眠る。
そんな毎日を、少しずつ積み重ねている。
――そして。
気づけば、季節は静かに移り変わっていた。
***
それからさらに、半年、俺は五歳になった。
春の終わりを越え、村には初夏の風が流れている。
そんな5歳になった俺は今、ピクニックに来ていた。
ピクニックの行き先は、家から少し歩いた川沿いの丘だった。
この世界には毎年誕生日を祝う文化がない。
代わりに、五歳ごとに盛大に祝う。
けれど、今の俺たちにはそんな盛大な祝いをする金なんてない。
だから俺は、修行の気晴らしにピクニックへ行こうと提案したのだ。
「祝いは、いつかちゃんとできる時にやればいいよ」
「……アルナがそう言うなら」
母さんは少し困ったように笑って、それでも頷いてくれた。
セレスは最初から反対しなかった。
むしろ、静かに荷物をまとめながら、
「気分転換は必要ですから」
と、さらりと言った。
そうして今、俺たちは川沿いの丘を歩いている。
初夏の風は気持ちがいい。
草はやわらかく揺れ、川の水は陽を受けてきらきらと光っていた。
丘の上には、大きな木が一本だけ立っている。
その根元が、今日の目的地だ。
「ここ、すごくいい場所だね」
俺が言うと、母さんは籠を抱えたまま辺りを見回した。
「ええ。静かで、景色もいいわ」
「人も少ないですしね」
セレスがそう付け足す。
確かに、村からは少し離れている。
川の音だけが近くて、あとは風と虫の声くらいだ。
俺は丘の上までたどり着くと、そのまま草の上にしゃがみこんだ。
「うわ、ふかふか……」
草を手で撫でると、やわらかい感触が返ってくる。
こういうの、前世だとあまり覚えがない。
見上げれば空、下を見れば草。
ただそれだけなのに、やけに満たされる。
母さんが布を広げ、その上に籠を置く。
中には、簡単な焼き菓子と果物、それから冷ましたスープが入っていた。
豪華ではない。
でも、こういうので十分だった。
「アルナ、そこに座ると服が汚れるわよ」
「もう汚れてるかも」
「ならなおさら気をつけるの」
「はーい」
言いながらも、俺は結局ごろっと横になった。
「母さん、探検してきていい?」
探検は良い機会だと思った。家からあまり出てなかった俺には刺激があるし、シンプルにこの世界には好奇心が湧いた。
俺がそう聞くと、母さんは焼き菓子を口に運ぼうとしていた手を止めた。
「探検?」
「うん。ちょっとだけ。あの木の向こうとか、川の方とか」
「……遠くには行かないのよ」
「行かない」
「一人で?」
「うん……」
言い切る前に、セレスが静かに口を挟んだ。
「奥様。私が少し見てきます」
「セレスが?」
「ええ。アルナ様を完全にひとりにはしません」
「それなら安心ね」
母さんはそう言って、俺に向き直った。
「勝手に川へ行っちゃだめよ。滑るから」
「分かった」
「草むらの中にも入らないこと」
「うん」
「あと、変なものを見つけたら触る前に呼ぶこと」
「変なものって何」
「変なものは、変なものよ」
母さんはくすくす笑った。
セレスは俺の肩にそっと手を置く。
「では、私は少し後ろから見ています」
「見張りみたい」
「見張りです」
俺は立ち上がると、丘の上から少しずつ歩き始めた。
草は膝の下まで伸びていて、歩くたびに柔らかく揺れる。
風が吹くと、さわさわと音がした。
近くには白い花が群れていて、よく見ると小さな虫が忙しそうに飛び回っている。
「……平和だなぁ」
思わず口にすると、後ろからセレスの声が返ってきた。
「よかったですね」
「うん」
「ですが、平和だからこそ油断しやすいとも言えます」
「急に怖いこと言うのやめて」
「事実です」
相変わらず容赦がない。
俺は笑いながら、丘の斜面を少しだけ降りた。
そこには、細い小道みたいなものがあって、その先に小さな木陰がある。
近づいてみると、木陰の根元に、石がいくつか積まれていた。
「ん?」
なんだこれ。
石は誰かが意図的に置いたようにも見えるし、ただ転がってきたようにも見える。
けれど、妙に整っている。
俺がじっと見ていると、セレスが少し離れた場所から声をかけた。
「何かありましたか」
「石がある」
「石はありますね」
「なんか、積んである」
セレスが近づいてきて、それを見る。
「宝石?」
セレスが視線を少し先へ向ける。
その瞬間、俺も息を呑んだ。
木陰の奥、草むらの隙間に、たしかに何かが光っている。
さっきはただの石ころに見えたが、近くで見ると違った。
小さな欠片みたいなそれは、陽の光を受けて、かすかに青白く瞬いていた。
「……ほんとだ」
思わず身を乗り出す。
「宝石、というほどではなさそうですが」
「でも光ってる」
俺の好奇心は止まらなかった。
光るものに弱いのは、子どもも前世の俺も変わらないらしい。
俺はしゃがみこみ、そっと手を伸ばした。
その瞬間。
ビリッ。
「いたっ!」
指先に、静電気みたいな鋭い痛みが走った。
思わず手を引っ込める。
心臓が跳ねた。
「アルナ様!」
セレスがすぐに膝をつく。
「大丈夫ですか」
「だ、大丈夫……だと思う」
「見せてください」
言われるまま手を開くと、指先が少し赤くなっていた。
でも、火傷みたいではない。
ただ、ピリッと痺れるような感じが残っている。
「静電気だったんでしょうか……」
セレスはそう呟いて、石をゆっくり指でつまんだ。すると、何も起きない。
青白く光っていたはずの欠片は、今はただの石にしか見えなかった。
さっきの不思議な感覚が、余計に夢みたいに思える。
「……普通だね」
「ええ。少なくとも、見た目は」
セレスは目を細めながら、石をひっくり返したり、光にかざしたりしている。
けれど、やはり変化はない。
「アルナ様の手にだけ反応した、という可能性もあります」
「え、それ怖くない?」
「少し」
「少しなの?」
セレスは答えず、石を俺に見せた。
「持ちますか」
「……うん」
今度は慎重に、指先でつまむ。
さっきのような痛みはない。
冷たくて、小さい。
ただそれだけなのに、なぜか気になる。
「なんだろう、これ」
「さあ」
「セレスでも分からないの?」
「私にも分からないことはあります」
少しだけ呆れた声だった。
俺は石を手のひらの上でころころ転がした。
光っていた時の名残が、まだ目に焼きついている。
……なんか、綺麗だ。
派手じゃない。
でも、じっと見ていると落ち着くような、不思議な色をしていた。
「……これ、持って帰ってもいい?」
「いいですが、奥様に見せる前に不用意に触らないでください」
「分かってる」
「本当に?」
「本当に」
セレスは小さく息を吐いた。
「では、私が一度確認してからにしましょう」
「えー」
「危ないものかもしれません」
「でも今のところ石だよ?」
「今のところ、です」
そう言いながらも、セレスは石を丁寧に布で包んでくれた。
俺はそれを見て、少しだけ残念な気持ちになる。
でも、母さんに渡すなら、ちゃんとした状態の方がいい。
「母さんに、あげたい」
「贈り物ですか」
「うん。ピクニックの記念」
「ふふ……そうですか」
セレスが少しだけ目を和らげた。
「奥様、喜ばれるでしょうね」
「ほんと?」
「ええ、すごく。アルナ様が見つけた物ですから」
その言い方は、なんだか少しだけ嬉しかった。
俺たちは丘の上へ戻ろうとした、その時。
「すみませーん! そこのお嬢さん!」
突然、後ろから男の声が飛んできた。
俺とセレスは同時に振り返る。
丘の下、小道の方から男がこちらへ手を振っていた。
年齢は二十代後半くらいだろうか。
茶色の外套に、旅人っぽい革袋。
腰には短剣が提げられているが、兵士というより旅人に近い雰囲気だ。
ただ――。
「お嬢さん?」
セレスが、自分の周囲を一度見回した。
「はい、そこの銀髪のお嬢さんです!」
男はにこやかに言った。
セレスは数秒黙ったあと、静かに俺を見下ろした。
「アルナ様。私は“お嬢さん”に見えるのでしょうか」
「見えるんじゃない?」
「……そうですか」
微妙に困った顔をしている。
珍しい。
男はそのまま軽い足取りでこちらへ近づいてきた。
「いやぁ、遠目から見えましてね。綺麗な銀髪だったので、つい声をかけてしまいました」
軽い。かなり軽い。新手のナンパか?
セレスは一歩だけ俺の前に出た。
「何かご用でしょうか」
「怪しい者じゃないですって。ただの旅人です」
男は両手を軽く上げる。
「ほら、武器も最低限しか持ってないでしょう?」
確かに、装備は軽い。
けれど、この世界で“怪しくないです”って言うやつ、だいたい怪しい気がする。
俺がじっと見ていると、男は「あ」と声を漏らした。
「おっと、坊ちゃんもいたんですね」
「いたよ」
「失礼失礼。仲のいい姉弟かと」
「「違います」」
俺とセレスの声が綺麗に重なった。
男は少し笑った。
「息ぴったりですねぇ」
「用件をどうぞ」
セレスは淡々としている。
男はそこでようやく本題を思い出したように、頭をかいた。
「人を探してるんです。ここら辺にいると噂がありまして。この紋章に心当たりは?」
男はそう言って、布をそっと広げた。
そこに縫い付けられていたのは、見覚えのある紋章だった。
丸い輪の中に、細い蔓のような線が絡み、その中央に小さな花を思わせる意匠がある。
派手ではないのに、妙に印象に残る模様だ。
俺はそれを見た瞬間、息を止めた。
……これ、見たことある。
家の中。
普段は開けない、奥の棚のさらに奥。
古びた木箱の蓋の内側に、同じ紋章が彫られていたはずだ。
「見覚えは、ありますか?」
そう言う男の顔は、不気味な笑顔をしていた。




