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やり直し転生  作者: 爪楊枝
第二章
25/29

第二十五話

少し時間が経った頃、アルナは店の奥に置かれた椅子へ腰掛け、口髭の男と並ぶようにして試着室の方を眺めていた。


とはいえ、試着室は厚手の布で仕切られているため中の様子はまったく見えない。時折、衣擦れの音や、おばさんが服を選ぶ声だけが聞こえてくる。


「あらっ、男の子だったの?」

「……うん」

「まあまあ、ごめんねぇ。てっきり女の子かと思ったよ」

「よく間違えられる……」

「でも本当に可愛い顔してるねぇ。この服も似合いそうだよ」

「え、これ……?」

「大丈夫大丈夫、着てみな!」


カーテン越しに聞こえてくるやり取りに、アルナは何とも言えない顔になった。ルーク、やっぱり間違えられたか。


顔だけ見れば本当に女の子みたいだし、髪も少し長い。声だって高い。初対面なら間違えても不思議ではない。


それより問題は、今のこの状況だった。


「……」


アルナは隣へ視線を向ける。


「……」


口髭の男も何も言わない。


気まずい。ものすごく気まずい。


生まれ変わってからもう七、八年近く経つ。その間、大人の男と関わる機会はそれなりにあった。だが、思い返してみればロクな記憶がない。


村を襲った男達。収容所の看守。ガルド。


村には優しかった男もいたのかもしれないが、どうしても嫌な記憶の方が先に浮かぶ。


そのせいか、こうして何もしてこない普通の大人と二人きりになるだけで、妙に身体が強張る。


黙って床を見つめていると、不意に隣から声が飛んできた。


「……お前ら、どこから来たんだ」


アルナは肩を僅かに揺らした。


やっぱり聞かれるか。


「あ、えっと……東の森から来ました。途中で魔物に襲われて、親とはぐれてしまって……それでルークと二人で逃げてきたんです」


できるだけ自然に、門で使った設定と同じ内容を答える。


男はアルナの顔をしばらく見ていた。


疑われているのか。


アルナの背中にまた嫌な汗が滲む。


しかし男はそれ以上追及することなく、短く息を吐いた。


「そうか……。あそこは最近、魔物が増えてるらしいからな」

「……はい」


それだけだった。


また沈黙が落ちる。奥からは相変わらず、おばさんとルークの声が聞こえている。


「ほら、腕上げて!」

「こう?」

「そうそう。あんた細いねぇ、ちゃんと食べてる?」

「今日は……」

「今日は?」

「……何でもない」


アルナは苦笑しかけたが、隣の男がいることを思い出して表情を戻した。


そしてまた数秒。


「……行く当てはあるのか?」


再び男が口を開く。


アルナはすぐには答えられなかった。


行く当てか。あるようで、無い。故郷へ帰りたい。でも、その故郷はセドリックとかいう糞野郎に焼かれた。


母さんは死んで、セレスがどうなったかも分からない。


そしてルークは……。


そういえば、あいつは攫われたと言ってたな。なら両親は生きているのか。村が残っている可能性もある。


いずれは、ルークの故郷も探した方がいいのかもしれないな。でも今は、まず自分の村だ。


神の欠片。あれを見つけなければ始まらない。


アルナが考え込んでいると、男は少しだけ気まずそうに視線を逸らした。


「……行く当てが無ぇなら、近くに孤児院がある」

「え?」

「この通りを西に行って、噴水のある広場を右だ。教会と一緒になってる。事情を話せば、しばらく置いてくれるはずだ」


思ってもみなかった言葉だった。


アルナは目を瞬かせる。

さっきまで自分達を追い返そうとしていた男と同じ人物とは思えない。


「……ありがとうございます」


自然と頭が下がった。


「でも、大丈夫です。行きたい場所があるんです」

「場所?」

「はい。ただ……」


アルナは言葉を詰まらせる。


「名前が分からなくて……」


言ってから、改めて自分でも情けなくなる。


暮らしてた村の名前くらい覚えとけよ、俺!


七年近く生活していたのに、村の正式な名前が思い出せない。


というか、セレスも普段「この村は」とか「村の外では」としか言ってなかった気がする。


母さんも地名を口にすることは少なかった。

当時の俺も、どうせ外へ出る予定なんて無いと思っていたから気にしていなかった。


過去の自分を殴りたい。


「……場所は覚えてんのか?」


アルナは顔を上げた。


「は、はい!」


そこは覚えている。


以前セレスに見せてもらった地図で、王都の位置や街道。村がある大まかな方角は教えられていた。細かい地名は忘れていても、位置関係だけは何となく残っている。……たぶん。


男は少し考えてから立ち上がり、店の奥へ向かった。


「待ってろ」


そう言い残し、棚の下を探り始める。

数十秒後、男は丸められた羊皮紙を持って戻ってきた。


「ほら」


机の上に広げた。


「……地図」


アルナは思わず身を乗り出した。見覚えがある。


もちろん同じ地図ではない。


だが、書かれている形が、以前セレスと一緒に見たものによく似ていた。


中央付近に大きく記された王都。


そこから枝分かれする街道。


大小様々な街や村。アルナは必死に記憶を掘り起こす。


『私達が住んでいるのは、この辺りです』


確か……。


アルナの指が地図の上をゆっくり滑る。


そして、ある場所で止まった。


「多分、ここです」


男はアルナの指先を見る。その瞬間、僅かに表情が変わった。


「……ここか?」

「はい。多分ですけど」


男はしばらく何も言わなかった。


嫌な沈黙だった。


「……そこには、何にもねぇぞ」

「え?」

「いや、昔はあったんだけどな」


男は頭を掻きながら、少し言いづらそうに続けた。


「確か一年くらい前だったか。村が一つあった。だが滅んだよ」


アルナの胸の奥が冷たくなる。


「……滅んだ」

「ああ。噂じゃ、どっかの貴族のご機嫌を損ねたらしい。詳しいことは知らねぇが、兵が入って焼かれたって話だ」


知っている。全部覚えている。

男はアルナの表情を見て、少しだけ眉を寄せた。


「だから、今そこに行っても何も無ぇぞ」

「……知っています」


男が黙る。アルナは地図から目を離さないまま、ゆっくり言葉を続けた。


「知っています。でも、行きたいんです」

「……」

「ここには、僕の大切なものがあるんです」


神の欠片。


そして、それだけじゃない。家があった。母さんがいた。セレスがいた。


自分がこの世界で初めて生きた場所だった。


何も無くなっていたとしても、神の欠片とは関係なく、一度は帰らなければならない。


男はしばらくアルナを見つめていたが、やがて大きく息を吐いた。


「……そうか」


それ以上、理由は聞かなかった。


代わりに地図の上へ指を置き、現在地からアルナの示した場所まで線を辿る。


「歩いて行くのはやめとけ。ガキ二人じゃ遠すぎる」

「やっぱりですか」

「街道を使っても何日もかかる。魔物も出るし、途中で野宿もしなきゃならん」


男は少し考えたあと、別の場所を指した。


「近くに組合馬車の乗り場がある。そこに辻馬車も集まってる」

「辻馬車?」

「金を払えば、行き先に近い場所まで乗せてもらえる馬車だ。目的地そのものまで行く奴がいるかは知らんが、近くの町か村までなら行けるだろ」

「なるほど……」


アルナは地図と男の指先を見比べる。歩くよりは圧倒的に安全だ。問題は金。


「ただ、安くはねぇぞ」


男がそう言って、アルナの革袋へ視線を向けた。


ちゃり、と中の硬貨が鳴った。


「……まあ」


男は口髭を撫でる。


「金は……あるな」

「……ありますね」


アルナも革袋を見る。


ガルド。お前、最後まで助かるな。


心の中でそんなことを思った、その時だった。


シャッ、と試着室のカーテンが開いた。


「お待たせ!」


おばさんの明るい声が響く。アルナと男が同時に振り返る。


そして。


「……どう?」


ルークが少し恥ずかしそうに立っていた。


淡い青灰色のチュニック。その腰を細い革ベルトで締め、下には焦げ茶色の細身のズボンを穿いている。足元には旅向けの丈夫そうな革のショートブーツ。そして肩には、膝あたりまである灰青色の外套が掛けられていた。


全体的に動きやすそうで、これから旅をするにはちょうどいい格好だ。


ただ――。


「……」


アルナは何とも言えない顔になる。


細い腰に革ベルトが巻かれているせいで、華奢な体つきが余計に目立っていた。元々女の子と間違えられる顔立ちなのに、淡い色のチュニックまで着ているせいで、遠目から見れば完全に少女に見えなくもない。


「どうしたの?」


ルークが不安そうに自分の服を見下ろす。


「変?」

「いや、変じゃないけど……」


アルナは言葉を選ぶ。


「似合ってるよ。すごく」

「ほんと?」


ぱっと表情が明るくなる。


「ほら見な!」


後ろに立っていたおばさんが得意げに腰へ手を当てた。


「この子はこういう淡い色が似合うんだよ。顔が綺麗だからねぇ」

「だから男だって言ってるだろ」


口髭の男が呆れたように言う。


「分かってるよ! 男だからって黒とか茶色ばっかり着せなきゃならない決まりでもあるのかい?」

「いや、そういう意味じゃねぇけどよ……」

「だったら黙ってな!」


また怒られた。


この夫婦、完全に力関係が決まってるな。


「アルナ」


ルークが外套の端を摘まみながら、くるりと一度だけ回ってみせる。


「これ、すごくあったかい」

「よかったな」

「それにフードもあるよ」


そう言って、ルークは嬉しそうにフードを被った。


ふわり、と灰青色の布が頭を覆う。


少し大きめに作られているのか、フードを深く被るとルークの顔の半分ほどが影に隠れた。


「おお……」


アルナは思わず声を漏らす。


「何?」

「いや、そのフードいいな」

「そう?」


ルークがフードの端を摘まみながら首を傾げていると、後ろにいたおばさんがぱん、と手を叩いた。


「ほら! 次はあんたの番だよ!」

「え、俺?」

「そうだよ。いつまでその血まみれの服でいるつもりだい」

「いや、それはそうですけど……」

「いいから来な!」


反論する暇もなく腕を掴まれ、アルナはそのまま試着室へ引っ張られていった。

背後ではルークが楽しそうに笑っており、口髭の男は「ご愁傷さま」とでも言いたげな顔でこちらを見ている。


それから数十分後。


シャッ、とカーテンが開いた。


「……疲れた」


アルナはげんなりした顔で試着室から出てきた。


何着試されたのか、途中から数えるのをやめた。動きやすさがどうだ、丈が長いだ、こっちの方が似合うだと散々着替えさせられた末、ようやく決まったのは旅人らしい実用重視の服だった。


全体的に派手さはないが、森や街道を歩くには十分そうな格好だった。


「おお!」


ルークが目を輝かせる。


「アルナ、似合ってるよ!」

「そうか?」

「うん! なんか旅する人みたい!」

「実際これから旅するんだけどな」


アルナは袖を軽く引っ張りながら、自分の服を見下ろす。


さっきまで着ていた奴隷服とはまるで違う。


泥もない。血もない。穴も開いていない。


ただ普通の服だ。


それだけなのに、妙に身体が軽くなったような気がした。


「よし、これで決まりだね」


おばさんが満足そうに頷く。


「二人分で銀貨八枚だよ」

「はい」


アルナは革袋から銀貨を八枚取り出し、机の上へ並べた。ちゃりちゃりと小気味いい音が鳴る。


口髭の男がそれを数え、最後に一枚ずつ確かめてから頷いた。


「確かに」

「ありがとうございました」


アルナが頭を下げると、ルークも慌てて真似をする。


「ありがとうございました!」

「また来なよ、おチビちゃん達」

「今度は血まみれじゃない時にな」


男がそう言うと、すぐさまおばさんの肘が脇腹へ入った。


「余計なこと言うんじゃないよ!」

「いてぇ!」


最後まで変わらない夫婦だった。


アルナとルークは思わず笑いながら店を出ようとする。


その時。


「おい、坊主」


後ろから口髭の男の声が飛んできた。

アルナは足を止めて振り返る。


「はい?」

「さっきの村のことだ」


男は少しだけ考えるように顎へ手を当て、それから言った。


「名前、思い出した。エルム村だ」

「……え?」


アルナの目が僅かに見開く。


エルム村。


その名前を頭の中で繰り返す。不思議な感覚だった。


聞いた瞬間、どこか懐かしいような、でも初めて聞いたような気もする。


もしかしたら昔、誰かが口にしていたのかもしれない。それを自分が覚えていなかっただけなのだろう。


「エルム村……」

「ああ。今は地図にも載らなくなり始めてるけどな。昔はそう呼ばれてた」

「ありがとうございます」


アルナは今度こそ、しっかりと頭を下げた。


「本当に助かりました」

「礼なんかいらねぇよ。行くなら気を付けろ」

「はい」


男はそれ以上何も言わず、また椅子へ腰掛けた。


アルナはその姿を少しだけ見つめてから、今度こそ店を出た。


外へ出ると、空はさらに暗くなっていた。夕日は建物の向こうへ沈みかけ、通りにはちらほらと灯りが点き始めている。


「ねえ、アルナ」


隣を歩いていたルークが顔を上げる。


「ん?」

「さっき、おじさんと何話してたの?」

「ああ、それか」


アルナは少しだけ歩く速度を落とした。


「俺の故郷のこと」

「故郷?」

「ああ。この街からそこまで遠くない場所に、俺が昔住んでた村があるらしい」

「へぇ……」


ルークは興味深そうに聞いている。


アルナは少しだけ迷ったが、そのまま続けた。


「そこに行きたいんだ」

「行きたい場所って、その村?」

「エルム村って名前だったらしい。俺、今までちゃんと知らなかったんだ」


名前を口にしただけで、胸の奥に少しだけ重いものが落ちた。


母さん。セレス。家。神の欠片。


全部そこにある。


いや、正確には「あるかもしれない」。


それでも行かなければならない。


「だから、明日からそこを目指したいと思ってる」

「うん」


ルークは驚くほどあっさり頷いた。

アルナは思わず横を見る。


「……いいのか?」

「何が?」

「いや、お前にも行きたい場所とかあるだろ」


ルークは少しだけ考えるように視線を上へ向けた。


「僕は今、アルナと一緒にいるから」

「……」

「それにアルナが行きたいなら、僕も行くよ」


本当に迷いのない声だった。


アルナは一瞬返事に困り、少しだけ視線を逸らす。


「……そうか」

「うん」


ルークは笑った。


「じゃあ決まりだね」

「ああ」


二人は並んで夕暮れの街を歩いていく。


***


宿屋の部屋は、思っていたよりずっとまともだった。


小さな部屋ではあるが、木製のベッドが二つ並び、壁際には机と椅子まで置かれている。窓には簡素なカーテンが掛けられ、隅には水の入った桶と布まで用意されていた。


「ベッド……!」


部屋へ入った瞬間、ルークが目を輝かせた。


そして次の瞬間には荷物を放り出し、勢いよく片方のベッドへ飛び込んだ。


「うわぁぁ……!」


ぼふっ、と布団が沈む。


「やわらかい!」

「おい、靴脱げ靴!」

「あっ」


ルークは慌てて起き上がり、ブーツを脱ぐ。


アルナは呆れながらも、少し笑った。


自分ももう一つのベッドへ腰掛ける。


柔らかい。収容所の硬い床とも、森の地面とも違う。


ちゃんとした布団だった。


「……はぁ」


思わず息が漏れる。


ようやく。


本当にようやく、安心して眠れる場所まで辿り着いた。そして明日からは、エルム村へ向かう。


アルナは天井を見上げながら、静かに目を細めた。

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