二十三話 検問
七、八メートルはあるのだろうか。
近づくにつれ、その外壁はどんどん大きくなっていった。
最初は遠くに見える灰色の壁だった。それが今では見上げなければ全体が見えないほど巨大な存在になっている。
石を積み上げて作られた分厚い壁。長い年月を経ているのか、ところどころに雨風で削られた跡があった。
自分が小さいから余計に大きく見えるのかもしれない。だが、それを差し引いても圧倒される。
「すご……」
隣でルークが呟いた。アルナも同じ気持ちだった。
前世で見たビルとは訳が違う。もっと原始的で、もっと威圧的な存在感がある。
「ほんとに街なんだな……」
思わずそう漏らす。
これまで村と収容所しか知らなかったのだ。余計に実感が湧かない。
壁の外には畑が広がっていて、麦らしき作物が風に揺れている。
農民らしき人影もちらほらと見え、牛に似た動物を引いている者もいた。
人がいる。普通に暮らしている人間がいる。
その光景を見ただけで、なぜか少しだけ胸が軽くなった。
「アルナ」
ルークが服の裾を引っ張る。
「ん?」
「門のところ、人がいっぱいいる」
視線を向けると確かに門の前には列ができていた。
荷馬車や旅人。商人らしき男達。
鎧を着た傭兵のような集団。様々な人間が順番に並んでいる。
その横には槍を持った兵士が立っていた。
アルナは思わず眉をひそめた。
「検問かな」
「けんもん?」
「街に入る奴を確認してるんだろ」
収容所にいた頃はそんなものを見たことがなかったが、考えてみれば当然の話だった。街には商人もいれば旅人もいるし、中には盗賊や犯罪者だって紛れ込むかもしれない。誰でも好き勝手に出入りできるなら、街の治安なんてあっという間に崩壊してしまう。
問題は――俺達だった。
服は泥と血で汚れ、靴もボロボロで。身体中には逃亡や戦闘でできた傷が残っていた。どう見ても普通の子供には見えないし、むしろ兵士の立場なら真っ先に声を掛けたくなる見た目だ。
「……大丈夫かな」
隣から不安そうな声が聞こえる。
「今さらか?」
アルナが小さく返すと、ルークは門の前に立つ兵士達をちらちら見ながら肩を縮こませた。
「だって、兵士いるし……」
その言葉にはアルナも同意だった。正直に言えば、自分だって怖い。
ガルドに捕まった時の記憶がまだ鮮明に残っているせいだろう。
理屈では別人だと分かっていても、武装した大人を見ると身体が勝手に警戒してしまう。
だが、だからといって引き返せるわけでもない。
「平気だ」
アルナはルークに向けてというより、自分自身へ言い聞かせるように呟いた。
「堂々としてろ。変に怯えてた方が怪しまれるからな」
「う、うん……」
「俺達は森で親とはぐれた兄弟だ」
「兄弟」
「そうだ」
「兄弟、兄弟……」
なぜかルークは何度も同じ言葉を繰り返している。アルナは少しだけ不安になった。
こいつ、緊張すると余計なことを口走るタイプなんじゃないだろうな。
列の最後尾へ並ぶと、前にいた商人風の男がちらりとこちらを振り返った。値踏みするような視線が二人の服や傷跡を一瞬だけなぞる。しかし何かを言うことはなく、そのまま興味を失ったように前へ向き直った。
アルナは胸の内で小さく安堵する。少なくとも今のところは問題ない。
列はゆっくりと進み、少しずつ門との距離が縮まっていく。
近付けば近付くほど兵士達の姿は大きく見えた。
どの兵士も完全武装で、子供の自分達からすれば圧倒的な威圧感がある。
アルナは表情に出さないよう努めながらも、内心では嫌な想像ばかりしていた。
もし奴隷だと見抜かれたら。
もし収容所から手配が出ていたら。
もしガルドの死が既に知られていたら。
考えれば考えるほど胃が重くなる。
そんな中、門の前から兵士の声が響いた。
「次」
前に並んでいた商人が呼ばれる。
荷物の確認を受け、何やら紙を見せながら兵士と言葉を交わしていた。おそらく商人用の許可証か何かだろう。
数分後、商人は問題なく通される。
そして――。
「次だ」
兵士の視線が真っ直ぐこちらへ向いた。
隣ではルークが分かりやすく肩を震わせていた。
二人は唾を飲み込みながら門の前へ進む。近くで見る兵士は予想以上に大きかった。
ガルドほどではないが、それでも子供から見れば見上げるほどの巨体であり、腰に提げた剣だけでも自分達の身長に近い。
「お前達、名前は?」
来た。
アルナは一度だけ深く息を吸った。
落ち着け。慌てるな。設定通りに答えるだけだ。
「アルナです」
「ルークです」
兵士は返事を聞くと、今度は二人の全身へ視線を走らせた。
何もかもを確認するような目だった。
アルナの背中を嫌な汗が伝う。頼むから変な質問はしないでくれ。
「親は?」
兵士の問いに、アルナは用意していた答えをすぐ口にした。
「森で魔物に襲われて、はぐれました」
兵士の眉が僅かに動く。
「魔物?」
「はい」
「どこの森だ」
アルナの心臓が止まりそうになった。
まずい。
地名なんて知らない。
頭の中で地図を必死に思い出すが、街や村の名前はほとんど読めなかった。
どうする。どうする。
「東の森です」
結局、適当に答えるしかなかった。兵士は黙り込む。
終わった。
そんな考えが頭をよぎった時だった。
「災難だったな」
兵士はため息混じりにそう言った。
「最近あの辺りは魔物が増えてる」
「……え?」
思わず変な声が出そうになる。隣の兵士も腕を組みながら頷いていた。
「ああ。先月も村人が何人かやられたらしい」
「運が悪かったな、坊主」
アルナは慌てて頷く。
「あ、はい」
通った。少なくとも今の質問は乗り切った。
兵士はさらに二人を眺めると、今度は少し困ったような顔をした。
「金はあるのか?」
「あります」
アルナはすぐに革袋を取り出して見せる。その瞬間、兵士の目が僅かに見開かれた。
どうやら思っていた以上に中身が入っていたらしい。
しまった。子供が持つには多すぎたかもしれない。
だが兵士は特に怪しむ様子もなく、革袋を一瞥しただけで視線を戻した。
「身分証の無い者は交通料を払って貰うんだが、大丈夫そうだな」
そう言うと兵士はアルナの返事を待たずに革袋へ手を伸ばし、中から金貨を二枚取り出した。
ちゃり、と重い音が鳴る。
アルナは思わず目を見開いた。
高い。
いや、この世界の物価を知らないから本当に高いのかは分からない。でもどの世界でも金は高価だろう。
兵士は取り出した金貨を腰の革袋へ入れると、当然のような顔で頷いた。
「これで二人分だ」
アルナは内心で冷や汗を流した。
危ない。もし金が無かったらどうなっていたんだろうか。
ガルドから金を回収しておいて本当に良かった。
「ありがとうございます」
なるべく自然に礼を言う。兵士は軽く手を振った。
「礼を言う相手じゃない。規則だからな」
その言葉に隣の兵士が苦笑する。
「最近は身分証を持たずに来る奴も多いからな。特に難民や流民は増えてる」
「魔物の被害もありますしね」
別の兵士も会話へ加わった。
アルナは何となく相槌を打ちながら耳を傾ける。
流民。難民。つまり村を失った人間が珍しくないということだ。
それなら自分達の設定もそこまで不自然ではない。
兵士は最後に二人を見下ろした。
「街へ入ったらまず宿を探せ。夜になると子供二人じゃ危ない」
「はい」
「あと変な奴について行くなよ」
「分かりました」
アルナが返事をすると、兵士は満足そうに頷いた。
そして親指で門の内側を指差す。
「通れ」
その一言で終わりだった。
あまりにもあっさりしていて、一瞬理解が追いつかない。
「……え?」
思わず聞き返してしまう。兵士は呆れたような顔になった。
「だから通れと言ってる」
アルナは数秒固まった。
本当に終わりか?追加の質問は?身体検査は?
奴隷の確認とかは?何も無いのか?
そんな戸惑いをよそに、ルークがアルナの服を引っ張った。
「アルナ」
小さな声だった。だが、その声には隠しきれない喜びが混じっている。アルナはようやく我に返った。
「あ、ああ」
二人は門を潜ろうとした時「もう捕まるなよ」と言う兵士の声が聞こえた気がしたが、風と共に消えた。
巨大な石造りのアーチを抜けた瞬間。
「うわ……」
ルークが思わず声を漏らす。アルナも言葉を失った。
目の前には広い石畳の道が真っ直ぐ伸び、その両脇には木造や石造りの建物が隙間なく並んでいる。
店先には色鮮やかな布が吊るされ、見たこともない果物や肉が並べられ、人々の呼び込みの声が絶え間なく飛び交っていた。
「安いよ安いよー!」
「今朝採れたばかりだ!」
「そこの旅人、寄っていかないか!」
様々な声が入り混じる。
荷馬車が石畳を軋ませながら進み、子供達が笑いながら走り回り、犬のような動物が道端を駆け抜けていく。
圧巻だった。
転生して七年。
村と森、それから奴隷収容所しか知らなかったアルナにとって、目の前に広がる光景はもはや別世界と呼んでもいいほど衝撃的だった。
人がいる。それも一人や二人ではない。
何十人、何百人という人間が同じ場所で生活し、働き、笑い、怒り、当たり前のように行き交っている。
耳に飛び込んでくる声だけでも情報量が凄まじかった。
「アルナぁ……」
不安そうな声と共に、ルークが服の袖をちょこんと摘まんできた。
アルナはようやく街の光景から意識を引き剥がし、隣を見下ろす。
「ん?」
ルークは周囲をきょろきょろ見回しながら、小さく首を傾げた。
「これからどうするの?」
「……」
アルナは口を閉じた。
言われて初めて気付く。
街へ着くことばかり考えていて、その先をあまり考えていなかった。いや、正確には考える余裕が無かったのだろう。
収容所から脱獄して、生き延びて、森を抜けて。
とにかく目の前の問題を片付けることに必死だった。
だが今は違う。ひとまず追手にも見つかっていない。つまり次を考えなければならない。
「どうするか……」
アルナは腕を組みながら呟いた。
俺の一番の目的は神の欠片を集めることだ。
そして、そのためには故郷の村へ戻らなければならない。
あの家の近くに落ちていた欠片。
あれが本当に神の言う通りの物なら、まず最初に向かうべき場所は間違いなく故郷だ。
だが――。
(いや、無理だな)
アルナは小さく首を振った。
今のままでは無理だ。そもそもここがどこなのかすら分からない。
街の名前も国の名前も知らない。故郷までどれくらい離れているのかも。
まともな知識もない、そんな状態で旅に出れば、欠片を探す前に野垂れ死ぬ可能性の方が高い。
(それに……)
そこでアルナの腹が盛大に鳴った。
ぐぅぅぅぅぅ。
想像以上に大きな音だった。ルークがぱちぱちと瞬きをする。
「まずは飯だな」
「うん」
ルークは何も聞かずに頷いた。
***
しばらく歩いていると、どこからともなく香ばしい匂いが流れてきた。
匂いを辿るように進んでいくと、通りの一角に大きな木造の建物が見えてきた。
入口の上には看板が吊るされており、店の中からは賑やかな笑い声や食器のぶつかる音が聞こえてくる。
扉が開く度に温かい空気と料理の匂いが外へ漏れ出していた。
「飯屋かな」
「飯屋だね」
ルークがごくりと喉を鳴らす。
アルナも同じだった。
森を抜けてからまともな食事などほとんどしていない。
木の実や果物で空腹を誤魔化していただけだ。
今なら木の皮でも美味しく食べられる気がする。
「入るぞ」
「うん」
二人は意を決して扉を押した。
ガラン、と鈴の音が鳴る。
中は想像以上に広かった。
木製の机と椅子がいくつも並び、商人らしき男達や冒険者のような格好をした人間が酒を飲みながら談笑している。
奥では大鍋から湯気が立ち上り、店員達が忙しそうに料理を運んでいた。
途端に視線が集まる。
アルナは少しだけ身構えた。
理由は簡単だ。自分達の格好があまりにも浮いている。
どう見てもまともな客には見えないだろう。
しかし視線はほんの数秒で逸れた。誰も興味を失ったように食事へ戻っていく。
この街では珍しい光景ではないのかもしれない。
「いらっしゃい」
不意に声が掛かった。見ると三十代くらいの女性がこちらへ歩いてきていた。
日に焼けた健康的な肌と、豪快な笑顔が印象的だった。
「二人かい?」
「はい」
「好きな席使いな」
予想外にあっさりしていた。
アルナは少し拍子抜けしながらも、空いている席へ腰を下ろす。
椅子に座った瞬間、全身から力が抜けた。
収容所を脱出してから初めてと言っていいほど安心できる場所だった。
ルークも同じだったのだろう。
椅子へ座るなり机へ突っ伏しそうになっている。
その時、ふと壁際に立て掛けられていた木の板が目に入った。
どうやらメニューらしい。
アルナは席を立つと、その板へ近付いた。
乱雑な字で料理名が並んでおり、その下には数字が書かれている。
《肉と豆の煮込み アレス銅貨五枚》
《黒パンとスープ アレス銅貨三枚》
《焼き鳥肉 アレス銅貨四枚》
そんな文字が並んでいた。
「アレス銅貨……?」
アルナは小さく呟く。
そして腰の革袋を開き、中に入った貨幣を取り出した。
銀貨、銅貨、そして金貨。
門で徴収された時は必死だったせいで気付かなかったが、この貨幣には全て同じ紋章が刻まれている。
つまり貨幣の名前はアレス。そして、それを使っている国は――。
「アレス王国……」
アルナは手の中の銅貨を見つめながら、その名前を小さく繰り返した。
すると、不意に懐かしい記憶が脳裏へ浮かび上がる。
※※※
暖炉の火がぱちぱちと音を立てる部屋。
机の上に広げられた地図。
その隣で、優しく微笑みながら本を開いていたセレスの姿。
『では次に、この国についてです』
『国?』
幼い自分が首を傾げる。
当時は魔法の方が面白くて、地理の授業など半分ほどしか聞いていなかった気がする。
それでもセレスは根気強く教えてくれた。
『はい。ここはアレス王国の南西寄りの村です。貴族の屋敷からは少し離れていますが、完全な辺境ではありません』
『アレス王国……』
『王都はここですね』
セレスの指が地図の中央をなぞる。
『そして私達が住んでいるのは、この辺りです』
『結構離れてるね』
『ええ。ですが街道が整備されていますから、馬車なら比較的安全に移動できますよ』
※※※
そんな会話をした記憶があった。
アルナはゆっくりと目を閉じる。
村の位置。街道。近くにあった街の名前。
断片的な記憶を必死に掘り起こすが、残念ながら正確な地名までは思い出せない。
だが一つだけ確かなことがあった。
「故郷は思ったより近いかもしれないな……」
自然とそんな言葉が漏れる。
もしここが本当にアレス王国内なら、少なくとも別の国へ売り飛ばされたわけではない。
収容所から運ばれた距離を考えても、数ヶ月単位の移動をしたとは思えなかった。
案外、故郷と同じ地方にいる可能性すらある。
もちろん楽観はできない。
だが、何の手掛かりも無かった時と比べれば大きな前進だった。




