二十話 復活
「――いやぁっ!! 離してぇ!!」
目覚めて最初に聞こえたのは、ルークの叫び声だった。
一瞬、何が起こっているのか分からなかった。
ぼやけた視界。冷たい地面。身体にまとわりつく血の感触。
だが次の瞬間、喉を焼くような激痛が全てを思い出させる。
「――っ!!」
肺が勝手に空気を吸い込んだ。
焼けるような痛みと共に、身体が大きく跳ねる。喉の奥で血が絡み、アルナは激しく咳き込んだ。
「がっ、は……っ!!」
冷たい夜気が肺へ流れ込む。
土と血の臭い。
焼け焦げた木々。
湿った森の空気。
アルナは震える手で地面を掴んだ。
「ぁ……っ、はぁ……!」
生きている。
いや――生き返ったんだ。
喉へ触れる。傷は塞がっていたが、皮膚の奥にはまだ裂かれた感覚が残っている。呼吸をするたび、神経を焼かれるみたいに痛かった。
その時だった。
「やだぁ!! アルナぁ!!」
ルークの泣き叫ぶ声。アルナは反射的に顔を上げた。少し離れた場所で、ガルドがルークを肩へ担ぎ上げていた。
「暴れんな」
ガルドの声だった。
鎧は砕け、全身が血塗れだった。雷に焼かれた跡も残っている。片腕はだらりと垂れ下がり、呼吸も荒いが、それでも立っている。
ルークは必死に暴れていた。
「離してっ!! やだぁ!!」
小さな拳で何度もガルドの背中を叩く。
だがガルドは意に介さない。
「……死体に縋っても無駄だ」
掠れた声で吐き捨てる。
「お前は連れ戻す。見せしめだ」
ルークの顔は涙と泥でぐしゃぐしゃだった。
「いやぁ……! アルナぁ…置いてかないでぇ……!」
掠れた泣き声が森へ響く。
その声を聞いた瞬間、アルナの胸の奥で何かがぶつりと切れた。
――次は殺す。
白い空間で口にした言葉が脳裏に蘇る。
アルナはゆっくり立ち上がった。
喉が痛む。身体中が軋む。だが、不思議と足は震えなかった。
ガルドはまだ気付いていない。
ルークを担ぎながら、ゆっくり森の奥へ歩いていく。足取りは重い。傷は深いはずだ。それでも警戒を切っていない辺り、流石というべきなのだろう。
アルナは無言で周囲を見渡した。
折れた木。
焼け焦げた地面。
そして少し先に転がっている剣。俺の血に濡れた刃が月明かりを反射していた。
アルナはゆっくりそれを拾い上げた。剣を握った瞬間、冷たい感触が掌へ張り付く。
自分の血で濡れているせいか、柄はぬるりとしていた。
そして、ただゆっくり歩き出した。
草を踏む音を殺す。
呼吸を抑える。
視線は、ガルドの背中だけを見ていた。
心臓が鳴っている。
でも不思議と迷いはなかった。
脳裏に浮かぶのは、白い空間での言葉。
――次は殺す。
ルークはまだ泣いている。
「ぅ……ぁ……アルナぁ……」
ガルドは振り返らない。
限界なのだろう。出血も酷い。片腕もまともに動いていない。
あと数歩。
アルナは剣を握り直した。
喉の奥が熱い。
胃が捻れるように気持ち悪い。
それでも、止まらなかった。
一歩。
また一歩。
そして――。
アルナは無言のまま、剣を突き出した。
「――っ」
初めて人を刺した感触は、なんとも言えない感触だった。
肉を裂き、骨の隙間へ無理やり鉄を押し込む感覚が腕へ伝わる。
ぐち、と生暖かい何かが手に飛び散った。
刃は背中から深く沈み込み、そのまま腹を貫いた。
「……なっ!?」
ガルドの身体が硬直する。
ルークが目を見開いていた。
ガルドはゆっくり自分の腹を見下ろした。
そこから、血に濡れた剣先が突き出ている。
「が……っ」
掠れた呻き。
アルナは歯を食いしばったまま、剣をさらに押し込んだ。
骨に当たる嫌な感触。
肉の中を刃が抉る感覚。
手の震えが止まらない。
怖い。気持ち悪い。
吐きそうで、最悪な気分だった。それでもアルナは止めなかった。ガルドが苦しげに振り返る。
「お、まえ……」
その目には、はっきりと驚愕が浮かんでいた。
死んだはずの少年が、背後に立っている。信じられない様な顔だった。
「なっ、なんで生ぎでっ……」
アルナは答えない。答える必要なんてなかった。
ただ、剣を握る手に力を込める。
「がっ……ぁぁっ!!」
ガルドの口から苦鳴が漏れる。
ルークはガルドの肩の上で呆然としていた。
「……ぇ」
涙で濡れた瞳が、震えながらアルナを見る。
「ア……ル、ナ……?」
信じられない。
そんな顔だった。
アルナはゆっくり口を開く。
「……ルーク」
掠れた声だった。
喉はまだ焼けるように痛む。それでも、その声を聞いた瞬間。
「アルナぁっ!!」
ルークが泣き崩れた。
生きてる。
そう理解した途端、張り詰めていたものが切れたみたいに大粒の涙を零す。
ガルドは歯を食いしばった。
「ぐっ……!」
次の瞬間、肘を後ろへ叩き込んでくる。
鈍い衝撃がアルナの顔面に炸裂した。
「がっ……!」
視界が揺れる。
鼻の奥で嫌な音がした。口の中へ鉄臭い血が広がる。アルナの身体はそのまま吹き飛ばされ、背後の木へ激突した。
「ぁ……!」
肺から空気が抜ける。
そのまま地面を転がった。
傷だらけの身体に衝撃が走り、喉の裂傷がまた熱を持つ。傷は塞がっていても、痛みまでは消えていなかった。
「アルナっ!!」
ルークの悲鳴。
ガルドはルークを乱暴に地面へ放り投げた。
「きゃっ……!」
小さな身体が土の上を転がる。
ガルドは腹を押さえながら、無理やり剣を引き抜いた。
「がぁぁぁっ!!」
血が噴き出す。
背中から腹まで貫かれた傷口から、大量の血がどろりと溢れた。ガルドの顔が苦痛で歪む。
それでも倒れない。
血塗れの剣を握り締めたまま、ガルドはアルナを睨みつけた。
「何で生ぎでんだァッ!!」
怒号が森を震わせる。
目には明確な恐怖が浮かんでいた。
確かに殺したはずだった。
喉を裂き、息が止まる瞬間まで見届けた。
なのに、アイツは立っている。
血塗れで。
息を荒げながら。
それでも、確かに生きていた。
アルナは木に手を付きながら、ゆっくり立ち上がる。
足が震える。
視界も少し揺れていた。
肘の一撃だけで頭がくらくらした。身体は限界に近い。それでも、剣だけは離さなかった。
「……っ」
喉が焼ける。上手く声が出ない。
だがアルナは血を吐き捨てながら、ガルドを睨み返した。
ガルドの表情が歪む。
「化け物が……」
その声には、怒りより恐怖の方が混ざっていた。
「治癒魔法が間に合ったのか……!?それともお前……本当に悪魔にでもなったのか!?」
ガルドの額から脂汗が流れる。
腹を押さえた手の隙間から、どろどろと血が溢れていた。
その声には、はっきりと怯えが混ざっていた。
死んだ人間が立ち上がる。そんなもの、常識で説明できるはずがない。
ルークも息を呑んだままアルナを見ている。
「……言っただろ」
掠れた声だった。
喉が焼けるように痛む。それでもアルナは視線を逸らさなかった。
「これ以上、俺たちの邪魔するなら――」
一歩、前へ出る。
「殺すってよ」
ガルドの瞳が揺れる。その瞬間、空気が変わった。さっきまでのアルナとは違う。
迷いがない。人を刺した後も震えている。
怖がっている。
吐きそうな顔もしている。
なのにそれでもアイツは、本当に俺を……
ガルドは奥歯を噛み締めた。
「……調子に乗るなよ、ガキがァッ!!」
地面を蹴る。
血を撒き散らしながら、ガルドが一直線に突っ込んでくる。片腕はまともに動いていない。それでも剣筋だけは鋭い。
「死ねぇッ!!」
怒号と同時に、剣が閃いた。
アルナは反応するより先に、腹へ凄まじい衝撃を感じた。
「――がっ……!!」
刃が腹を貫く。
次の瞬間には、焼けた鉄を押し込まれたみたいな激痛が全身を突き抜けた。
肉が裂ける感覚。
内臓を無理やり抉られる感覚。ガルドの剣は深々とアルナの腹へ沈み込んでいた。
「この死に損ないがァッ!!」
ガルドが叫ぶ。
至近距離。
血走った目がアルナを睨んでいた。アルナの口から大量の血が溢れる。
「かっ……ぁ……!」
鉄臭い液体が喉を逆流し、ぼたぼたと地面へ落ちた。ルークの悲鳴が響く。
「アルナぁぁっ!!」
ガルドはさらに剣を押し込もうとする。
骨が砕ける嫌な音が響いた。
「死ね!! 死ねよ!! 化け物がァッ!!」
恐怖混じりの絶叫だった。
だがアルナは倒れなかった。
「……っ、は……」
アルナの喉から血が溢れる。
腹を貫かれたまま、身体はもうまともに立っているのもおかしい状態だった。それでもアルナは倒れない。
震える指で、ガルドの腕を掴む。
「……な、に……?」
ガルドの顔が歪む。アルナはゆっくり口を開いた。
「……血でも……電気は、通るよな……」
掠れた声。
だが、その言葉を聞いた瞬間。
「――なっ!?」
ガルドの目が見開かれた。
アルナの足元。
地面へ広がる大量の血。二人の足元で、それは混ざっていた。
「ま、さか――」
アルナの瞳が淡く光る。
次の瞬間。
バチッ――!!
青白い火花が血溜まりを走った。
「ぁ……?」
ルークが息を呑む。
電撃は一瞬で血を伝い、ガルドの身体へ駆け上がった。
「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!?」
絶叫。ガルドの全身が跳ねる。
筋肉が痙攣し、骨が軋み、焦げ臭い匂いが夜の森へ広がった。雷光が二人の間で暴れ狂う。
アルナ自身の身体も焼かれる。
「ぐ、ぁぁ……っ!!」
視界が白く染まる。
神経が焼き切れそうな激痛。
それでもアルナは笑った。血まみれの口元を歪めながら。
「……道連れだ…」
「や、め――」
ガルドが逃げようとする。
だが遅い。アルナは腕を離さない。
バチバチバチバチッ!!
雷が暴走する。
血を伝い、互いの身体を何度も何度も焼き続ける。ガルドの悲鳴は途中から声にならなくなった。
これで良かったんだ。
ぼんやりと、そう思う。
最悪、ルークさえ生きていればいい。
俺は屑だ。前世では何も出来なかった。
逃げて、怯えて、自分が傷付かない事ばっか考えてた。
誰かを助ける勇気なんてなかった。
母さんも守れなかった。結局また死ぬのかよ、って笑えてくる。
神様には早速契約破る事になるなぁ。
俺は死んでもいいんだ。でも、ルークは違う。
アイツはまだ子供だ。
泣き虫で、弱くて、すぐ不安そうな顔をするくせに、それでも誰かを信じようとする。
俺みたいに、全部諦めた目をしてない。
だから――。
「っ、ぁ……る、な……!」
遠くでルークの声がする。
その瞬間、アルナの中で何かが切れた。
雷が止む。多分、俺の魔力が無くなったんだろう。
焦げ臭い煙が、静かな森へゆっくり広がっていた。
「……は……っ、ぁ……」
アルナは荒い呼吸を繰り返す。
耳鳴りが酷い。
視界もぼやけて、何がどこにあるのか上手く分からなかった。
掴んでいたガルドの腕から、力が抜ける。
重たい音を立てて、男の身体が膝から崩れ落ちた。
「……」
ガルドはもう死んでいた
炭のように焼け焦げた皮膚。
白目を剥いた瞳。口からは細く煙が上がっている。
足が揺れる。
「アルナっ!!」
ルークが駆け寄ってくる。
泣きながら。
転びそうになりながら。
小さな手を必死に伸ばして。
その姿を見た瞬間、アルナの全身から力が抜けた。
「あ……」
膝が折れる。
そのまま前へ倒れそうになった身体を、ルークが必死に抱き止めようとする。
「アルナっ! アルナぁっ!!」
細い腕じゃ支え切れない。
二人まとめて地面へ崩れ落ちた。
「ぅ……ぁ……」
ルークの声が震えている。
アルナの服を掴む手も、涙でぐしゃぐしゃの顔も、全部震えていた。
「やだ……やだよぉ……死なないでぇ……!」
「……る、さい……」
掠れた声だった。
ルークがびくっと顔を上げる。
「ぁ……!」
アルナは薄く目を開けていた。
焦点の合わない瞳が、ぼんやりルークを見る。
「アルナっ!! だ、大丈夫!? 今、治癒魔法っ……!」
震える手で、ルークがアルナの腹へ触れようとする。
だがアルナは弱々しく首を振った。
「む、り……だろ……」
腹の傷は酷かった。
血も止まっていない。
ルークの治癒魔法は確かに凄い。けれど今のルーク自身、逃走と恐怖で魔力をかなり消耗している。顔色も真っ青だった。
「で、でも……! でもぉ……!」
ルークの声が崩れる。アルナはぼんやり夜空を見上げた。
木々の隙間から月が見える。
さっきまで殺し合いをしていたとは思えないくらい、静かな夜だった。
「……勝った、な」
「っ……!」
ルークが涙を零す。
「う、うん……! 勝ったよぉ……!」
アルナは少しだけ口元を歪めた。
笑おうとしたのかもしれない。だが次の瞬間、喉から血が込み上げる。
「がっ……ごほっ!」「アルナ!?」
赤黒い血が口端から零れ落ちた。ルークは慌ててアルナの身体を抱き寄せる。
「しゃ、喋っちゃ駄目ぇ……!」
「……お前、さ」
アルナは途切れ途切れに呟く。
「ちゃんと……逃げろよ……」
「やだ……!」
即答だった。
ルークは何度も首を振る。
「やだやだやだっ!! 一人にしない……!」
「……大丈夫」
アルナは薄く笑う。
「大丈夫だから……」
「だ、だってぇ……!」
ルークの涙がぽたぽたアルナの頬へ落ちる。
温かかった。アルナは重たい瞼をゆっくり閉じかける。
眠い。酷く眠かった。
身体が鉛みたいに重い。
指先の感覚も、もうほとんど無い。
「……ルーク」
「な、なに……!?」
「……生きろよ」
ルークの呼吸が止まる。
アルナはぼんやりした目のまま、掠れた声で続けた。
「お前は……ちゃんと、生きろ……」
逃げてもいい。
泣いてもいい。
それでも生き延びろ。自分みたいになるな。
そんな言葉が、喉の奥に引っ掛かったまま出てこなかった。
「やだ……そんなのやだぁ……!」
ルークが泣きながらアルナへしがみつく。
「一緒に生きるって……約束したのにぃ……!」
その声が、やけに遠く聞こえた。
アルナの視界はもうほとんど霞んでいる。
森の音も。
風の音も。
ルークの泣き声も。
全部、少しずつ遠ざかっていく。
「……わりぃ」
最後に小さく、それだけ呟いた。
そして、俺は死んだ。
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「――っ!!」
アルナは勢いよく目を開けた。
青空だった。どこまでも澄み切った、眩しいくらいの青。白い雲がゆっくり流れている。
「……ぁ?」
ぼんやりと瞬きを繰り返す。
痛みが、無い。喉の焼けるような痛みも。
腹を貫かれた激痛も。
全身を焼いた雷の感覚も、全部消えていた。
代わりに感じるのは、頭へ伝わる柔らかい感触だった。
草……?
いや、違う。
ふかふかした、まるで高級ベッドみたいな感触。
「アルナ、起きた?」
「――っ!!」
聞き慣れた声に、アルナは反射的に身体を起こした。
「うわっ!?」
膝から頭が滑り落ちそうになり、ルークが慌てて支える。
「ちょ、ちょっと! 急に起き上がったら危ないよぉ!」
アルナは荒い呼吸のまま周囲を見渡した。
青空。
風に揺れる草木
遠くで川の音が聞こえる。
殺し合ったあの森じゃない。
血の臭いもしない。
そして――。
「……は?」
アルナは自分の腹を掴んだ。
穴が空いていたはずの場所。
肉を抉られ、剣が貫いていた場所。
服は破れていた。血もこびりついている。
なのに、皮膚には傷一つ残っていない。
「喉……」
恐る恐る首へ触れる。
裂けた感触も。
焼けるような痛みも。
何も無かった。
「え……」
アルナの顔から血の気が引く。
「……俺、生きてる?」
「生きてるよぉ!」
ルークが半泣きで叫んだ。
その瞬間、アルナはルークを見た。
目が真っ赤だった。
泣き腫らした顔。服も泥だらけで、頬には乾いた涙の跡が残っている。
「お、お前……」
「よかったぁぁ……!」
次の瞬間、ルークが勢いよく抱きついてきた。
「うおっ!?」
細い腕がアルナへ必死にしがみつく。
「死んだと思ったぁ……! 本当に死んじゃったと思ったぁ……!」
「ま、待っ……苦し……!」
ルークはそんな事お構いなしにアルナへしがみついていた。
肩へ顔を埋め、子供みたいにわんわん泣いている。
「だってぇ……! 息してなくてぇ……! 身体も冷たくなってぇ……!」
「……」
アルナは言葉を失った。
確かに、死んだ。
腹を貫かれて、魔力も尽きて、意識も落ちた。
最後には視界すら消えていた。
なのに、今は普通に呼吸をしている。
しかも昼だ。
「……どれくらい寝てた?」
掠れた声で尋ねると、ルークはぐすぐす鼻を鳴らしながら答えた。
「わ、分かんない……。夜が明けて……朝になって……それで、お昼くらい……」
「半日……?」
アルナは呆然と呟いた。
あり得ない。
あの傷だ。
仮にルークの治癒魔法が万全でも、回復なんて無理なはずだった。
アルナは自分の手を見た。
焼け跡もない。
指先の痺れもない。
まるで何事も無かったみたいに、身体が動く。
「どうなってんだ?」
「ぼ、僕も分かんないよぉ……!」
ルークは涙声のまま叫んだ。
「アルナ、途中から全然動かなくなって……息もしてなくて……! 身体も冷たくなって……!」
思い出したのか、ルークの肩がまた震える。
「それで、僕っ……ずっと治癒魔法かけてたの……! でも全然傷が塞がらなくてぇ……!」
ルークはアルナの服をぎゅっと掴んだ。
「も、もう駄目だって……思って……」
掠れた声だった。アルナは黙って聞いている。
「そしたら急に……」
ルークが恐る恐るアルナの喉へ触れた。
「傷が、勝手に治り出したの」
「……治った?」
「う、うん……! なんか、最初は喉だけだったのに、だんだん身体中に広がって……」
ルークは必死に説明を続ける。
「そしたら、お腹の傷が閉じてって……血も止まって……! 焼けてた皮膚まで元に戻って……!」
アルナの背筋に冷たいものが走った。
完全に、あの神の仕業だった。
「僕、怖くてぇ……」
ルークが小さく震える。
「だって、アルナ……全然起きないし……!」
ルークは涙を拭いながら続けた。
「身体、冷たかったけど……でも傷は治ってくし……! 僕、もう何が何だか分かんなくてぇ……!」
アルナは黙ったまま、自分の手を見つめた。
死んだ。確かに、死んだ。
息も止まった。意識も消えた。
最後には身体の感覚すら無かった。
「それで、朝までずっと隠れてたの……。また追手が来るかもしれないし……」
アルナは周囲を見渡した。
小さな川辺だった。
森の中でも少し開けた場所で、木漏れ日が揺れている。どうやらルークがここまで運んだらしい。
「……ここまで、お前が?」
「う、うん……」
ルークは少しだけ目を逸らした。
「引きずっただけだけど……」
アルナは思わずルークを見る。
細い腕。
泥だらけの服。
擦り傷だらけの足。
多分、一晩中必死だったのだろう。
俺を置いて逃げる事も出来たはずなのに。
「……馬鹿だな」
「ふぇ?」
ルークがきょとんとする。
「死体抱えて逃げる奴があるかよ」
「し、死体じゃないもん!!」
ルークは即座に言い返した。
「だってアルナ、生きてたんだし!!」
「……」
アルナは苦笑しかけて、止まる。
その言い方は、半分正しくて半分間違っていた。
ルークはむっと頬を膨らませた。
「絶対生きてるって思ってたもん……」
「……根拠ないだろ」
「あったもん!」
涙声のまま叫ぶ。
「だってアルナ、“大丈夫”って言ったからぁ……!」
その言葉に、アルナは一瞬だけ目を見開いた。
……参ったな。適当に吐いた言葉だったのに。
ルークはそれを、本気で信じていたらしい。
「だから僕、ずっと待ってたの……。そしたら本当に起きたし……!」
ぐす、と鼻を鳴らしながらルークが笑う。
泣き顔のままの、不格好な笑顔だった。
アルナは視線を逸らす。胸の奥が、少し痛かった。
「……そうかよ」
「うん……!」
ルークは嬉しそうに何度も頷いた。
その姿を見ながら、アルナはそっと空を見上げる。
青空はどこまでも静かだった。
だが頭の奥には、白い空間で聞いた声が焼き付いている。
――契約は成立だ。
あれは夢じゃない。俺は本当に、一回死んだ。
そして、“戻された”。アルナは無意識に首元へ触れた。そこにはもう傷一つ無い。
だが、生き返った感覚だけが妙に生々しく残っていた。




