十七話 脱獄
それから、俺とルークの秘密特訓が始まった。
俺が無詠唱を使える事を明かしたら、「やっぱりアルナって凄いんだ!」とルークは目を輝かせた。
特訓は基本、夜だった。
作業が終わった後。消灯前のほんの少しの時間や、見張りの巡回が遠い時間を狙って、建物裏や資材置き場に集まる。
もちろん危険だ。
見つかればただじゃ済まない。
でも、それでもやる価値はあった。
数日。俺たちは夜な夜な物陰に集まって、こそこそと魔法の練習を続けた。
最初の頃、ルークは火花を出せるだけだった。
「見て! 今日ちょっと大きい!」
「いやそれ昨日と変わんな――熱っ!?」
「わぁっ!? ご、ごめん!!」
火花が俺に飛んできて、火傷することもあったか、順調に特訓は続いた。
だが、問題はそこからだった。
ルークの成長が早すぎる。
「水をイメージしろ。流れる感じ。あと冷たさ」
「う、うん……」
俺がそう言って実演すると、手のひらに小さな水球が浮かぶ。維持するだけでかなり集中力を使う。油断するとすぐ崩れる。
「こんな感じだ。難しいから最初は――」
ぽよん。
「できた」
「…………え?」
ルークの手の上には、俺のよりちょっと大きい水球が浮いていた。しかも安定してる。
「え? こう?」
「いや待て何で!?」
ルークはきょとんとしていた。
「アルナの真似したら出来たけど……」
「普通そんな簡単じゃねぇんだよ!」
思わず小声でツッコむ。しかもルークはそこからさらに成長した。
火花しか出せなかった火属性は、数日後には小さな火の玉になった。
水球は自由に形を変え始めた。
風も少し扱えるようになって、枯葉をふわっと浮かせて喜んでいた。
「み、見て! 飛んだ!」
俺は段々笑えなくなってきた。いや、嬉しい。嬉しいんだ。
脱獄の成功率が上がるかもしれないし。
ある夜では。
「治癒魔法?」
「おう。でもこれは難しいぞ」
治癒魔法はセレスが得意だった。
俺も何度も挑戦したが、最後までまともに出来なかった。
火や水と違って、感覚が曖昧なのだ。“治す”って言う感覚が最後まで分からなかった。
「傷が塞がる感じを想像するんだ」
「うーん……」
ルークは悩みながら、自分の擦り傷だらけの手を見つめる。
「……痛いの、なくなれー」
淡い光が灯った。
「…………」
ルークの手の小さな切り傷が、ゆっくり塞がっていく。
「……できた?」
ルークがおそるおそる聞いてくる。
「……できてる」
「ほんと!?」
「ほんと」
俺は真顔だった。
何であんな簡単に出来るんだ?治癒魔法だぞ?俺は出来なかったのに……。
「やったぁ……!」
ルークは嬉しそうに笑う。
俺はその横で静かに頭を抱えていた。
意味が分からない。
才能の暴力が酷い。
ただ、そんなルークにも欠点はあった。
攻撃魔法が壊滅的に向いていない。
いや、正確には魔法そのものは使える。
火も出せるし、水も操れるし、風だって起こせる。でも、それを飛ばせる事は出来なかった。
正直、これは結構な痛手だった。
人を殺せとは言わない。
でも、せめて足止めくらい出来ないと脱獄どころじゃない。
火球を作り、押し出そうとするが忽ち消えてしまう。
水ならもっと酷かった。ある昼休み。
「いけ!」
「えいっ!」
ぽちゃん。水球が地面に落ちて水溜りができて終わる。
「攻撃する気あるのか!?」
「あるよぉ!!」
涙目で抗議される。でも、見ていて段々分かってきた。
ルークは“壊すイメージ”が極端に苦手なんだ。
ここに来て、ルークのビビりな性格が完全に仇になっていた。
火を飛ばそうとしても、「危なくないかな……」とか考えた瞬間に威力が落ちる。
水をぶつけようとしても、「痛くないかな……」で勢いが消える。
魔法はイメージが大事だ、そんな事思ってたら魔法の才能なんて宝の持ち腐れだ。
でも逆に言えば、それだけ優しいって事なんだろう。俺は小さく息を吐いた。
前世でも今世でも、暴力なんて慣れたいものじゃない。人を傷付けるのが怖いのは普通だ。俺だってやりたくない。
……普通なんだけど。
「脱獄するなら必要なんだよな……」
俺はぼそっと呟く。
看守は武器を持ってる。
こっちは素手だ。
まともに戦えば勝てない。
だからこそ、奇襲とか目眩ましとか、一瞬の隙を作る魔法が必要だった。
ルークは不安そうに俯く。
「ご、ごめんね……」
「何で謝るんだよ」
「僕、役に立てなくて……」
また始まった。俺は額を押さえる。
「治癒魔法使える時点で十分おかしいからな?」
「そ、そうかな……」
「そうだよ。普通できねぇよ」
ルークはもじもじしながら視線を逸らした。
「でも、アルナの方が凄いし……」
「俺は攻撃しか出来ないだけだ」
「だけって……」
ルークが苦笑する。
俺は少し考え込む。
攻撃は俺。
補助はルーク。
……いや、それでもいいのか?
そもそも脱獄で必要なのは“勝つ事”じゃない。
逃げ切る事だ。
だったら。
「……ルーク」
「え?」
「無理に攻撃覚えなくてもいいかもしれない」
「へ?」
ルークが目を丸くする。
「お前、治癒と補助の才能は本物だ。そっちを伸ばした方がいい」
「で、でも……」
「攻撃は俺がやる」
そう言うと、ルークの顔が少し曇った。
「アルナだけ危なくない……?」
「危ないに決まってるだろ」
即答すると、ルークがうっと詰まる。
「でも元々一人で脱獄するつもりだったしな」
「……」
ルークは黙り込んだ。
しばらくして、小さく口を開く。
「……やっぱり、僕も頑張る」
「ん?」
「アルナだけ危ないのは嫌だ」
その声は小さかったけど、妙に真っ直ぐだった。
俺は少し驚く。
ルークはびびりだ。
泣き虫だし、自信もない。でも、一度決めた時だけは意外と折れない。
「……じゃあ別方向で考えるか」
「別方向?」
「ルークって風魔法使えるだろ?」
「う、うん」
「ちょっとやってみて」
「こ、ここで?」
「小さくでいい。周り気を付けろよ」
俺たちは資材置き場の陰にしゃがみ込む。
遠くでは見張りの足音がゆっくり巡回していた。
ルークは緊張した顔でこくりと頷くと、そっと右手を前に出した。
「えっと……風……」
ふわっ。手のひらから弱い風が流れる。
枯れ草が少し揺れた。
「もっと強く出来るか?」
「う、うーん……」
ルークは眉を寄せる。
「押し出す感じ……?」
「いや、“流す”感じだな」
「流す?」
「ルークって攻撃しようとすると怖がるだろ。でも風そのものは怖くない」
ルークがはっとした顔をした。
「……あ」
「殴るんじゃなくて、吹き飛ばす感じを想像してみろ」
ルークは真剣な顔で手を見つめる。
しばらく沈黙。それから。
「――っ」
ぶわっ。
今度はさっきより強い風が吹いた。
木箱の上に積まれていた藁がばさっと舞う。
俺は思わず目を見開いた。
砂埃がふわっと広がって、一瞬だけ視界がぼやける。
これだ。
「これだよこれ!」
「ひゃっ!?」
俺が急に声を上げたせいで、ルークがびくっと肩を跳ねさせる。
「別に攻撃なんてしなくていいんだ!」
「へ?」
ルークはきょとんとしていた。俺は興奮を抑えながら、小声でまくしたて、思わずルークの肩を掴む。
「ルーク、これいけるぞ」
「な、何が?」
まだ何も分かってない顔だった。
「いいか、脱獄で大事なのは“勝つ事”じゃない」
「逃げ切る事だ」
「に、逃げ切る……」
ルークは真剣な顔で頷く。
「別に敵を倒さなくていい。一瞬止めればそれでいいんだ」
「そっか……!」
ようやく理解したらしい。ルークは自分の手を見つめた。
「僕でも……出来る?」
「むしろお前じゃないと無理だ」
俺がそう言うと、ルークの顔が少し赤くなる。
「じゃ、じゃあ頑張る……!」
「おう」
その夜から、特訓の内容は変わった。
火球を飛ばす練習はやめた。代わりにルークは風魔法に特化して練習した。
最初は失敗ばかりだった。
風が強すぎて俺まで吹き飛ばされたり、ルーク自身が吹き飛ばされたり散々だった。
でも、少しずつ形になっていった。
俺も俺で攻撃魔法を磨いた。
火球。ウォーターボール、母さんがやっていた気の根っこで足止めする魔法など、足止めの魔法をひたすら磨いた
派手じゃなくていい。
逃げ道をこじ開ける為の力だけあれば。
***
そして。数ヶ月が過ぎた。
季節も少し変わった頃には、俺たちは完全に“共犯者”になっていた。
昼間はいつも通り奴隷として働く。
殴られて、怒鳴られて、重い荷物を運ぶ。
でも夜になると違った。資材置き場。壁裏。
人気のない通路。
そこで俺たちは、小声で作戦を練った。
見張りの巡回時間。
鍵の場所。
夜に酒を飲む看守。
壁際の死角。
物資搬入口。
全部、少しずつ覚えていった。
そして――。
***
アルナが収容所に来て1年が経った。
深夜。皆が寝静まった頃。収容所は静まり返っていた。
聞こえるのは遠くの見張りの足音と、誰かのいびきだけ。
俺はゆっくり目を開けた。
「……時間だ」
小さく呟く。隣では、ルークがびくっと肩を震わせた。暗闇の中でも分かるくらい顔が青い。
「ほ、本当にやるんだよね……?」
「ここまで来てやめるか?」
俺は小さく笑う。心臓はうるさいくらい鳴っていた。
怖い。
当たり前だ。失敗したら終わる。
捕まれば、今度こそ殺されるかもしれない。
でも。
「行くぞ」
俺は立ち上がった。枷が小さく鳴る。
ルークも唇をきゅっと結んで立ち上がった。
「……行くぞ」
「う、うん」
まず俺は、自分の寝床に手を伸ばした。薄汚れた布の端に、小さく灯した火が走る。ほんの一瞬で、ぼっと橙の光が暗闇を舐めた。
「――おーい! 火事だぞおおお!!」
俺は腹の底から声を張った。アルナの声が部屋にこだまする。
次の瞬間、あちこちから悲鳴と怒号が爆ぜる。
「な、何だ!?」
「火事だ!」
「起きろ!!」
「誰か!水を持ってこい!!」
奴隷たちはまだ状況を飲み込めていない。寝ぼけたまま飛び起きる者、布を抱えて右往左往する者、口を開けたまま固まる者までいる。看守たちも一斉に声を上げ、足音が雪崩みたいに広がっていった。
「ルーク、今だ」
「う、うん!」
俺の合図に、ルークが両手を前へ突き出す。
ふわり、と風が走った。
炎へ新しい空気が流れ込んだ瞬間、火は一気に勢いを増す。ぱっと膨らんだ赤い光に、周囲の奴隷たちがさらに悲鳴を上げた。
「わっ、うわぁっ!」
「燃えてる!」
「誰か消せ!!」
熱と煙が壁際まで流れ、視界がぐしゃりと歪む。看守が怒鳴る声が近づいたが、もう遅い。
「こっちだ、奴隷共! 先に外へ出ろ!」
「え、外!?」
「いいから走れ!!」
俺は混乱の波に紛れて、人の流れを作る。ルークは震えながらも、何度も小さく風を送り続けた。炎は揺れ、煙は濃くなり、看守たちの視界をさらに奪う。
「な、何でこんな火が強いんだ!……」
「アルナ、次どうするの……!?」
「壁際に行く! ついてこい!」
俺たちは人波を縫って、寝床の列から離れる。背後では看守の怒声が飛び、誰かが転んで、誰かが押しのけられ、さらに騒ぎは膨らんでいく。
その混乱の中心で、俺は歯を食いしばった。
これでいい。
今必要なのは、完璧な勝利じゃない。
たった一瞬。
たった数秒の隙だ。
「ルーク、走れ!」
「うんっ!」
そして二人は、炎と悲鳴に包まれた収容所の闇へ、一気に駆け出した。
俺とルークは、騒ぎながら外へ逃げていく奴隷たちの流れを横目に、逆方向へ走った。
「ア、アルナ!? こっちだよね!?」
ルークが焦った声を上げる。
「いいからついて来い!」
俺は振り返らずに走る。煙が天井に溜まり、視界が悪い。熱気で喉が焼けるみたいだった。でも、そのおかげで看守たちの注意は完全に火事へ向いている。
今しかない。俺たちは建物裏の細い通路へ飛び込んだ。
「げほっ……!」
ルークが咳き込む。
「大丈夫か!?」
「だ、だいじょぶ……!」
全然大丈夫そうじゃない声だった。遠くで鐘が鳴る。
ガン、ガン、ガン――。火災用の警鐘だ。
「急げ!」
俺はルークの腕を引っ張った。ここから先は、何度も頭の中で繰り返した道だ。
右に曲がる。
資材庫を抜ける。
その先にある外壁沿いの死角。
巡回の少ない場所。
「止まれ」
俺は角で急停止した。ルークも慌ててしゃがみ込む。次の瞬間。
ガシャガシャッ!
武装した看守が三人、目の前を駆け抜けていった。
「東棟だ! 急げ!!」
「クソ、何でこんな燃え広がってんだ!?」
汗だくのまま走り去っていく。
俺は息を潜めた。
……よし。行ける。
「今!」
俺たちは再び走り出す。次の瞬間。
「お前らそこで何やってんだ!」
看守がアルナとルークに気が付き指を指す。
「うるせぇ!《ウォーターボール》!」
「ぶべっ!?」
水球が看守の顔面に炸裂した。
大量の水が一気に鼻と口へ流れ込み、看守がたまらずよろめく。
「なっ――!? 悪魔付きだ!!」
その瞬間、看守たちの顔色が変わった。
……最悪だ。
「ルーク!!」
「う、うんっ!《ウィンドブラスト》!」
「ぎゃっ!?」
轟っ、と暴風が通路を駆け抜けた。
砂埃と灰が一気に舞い上がり、看守たちの身体がまとめて吹き飛ぶ。
「うおおっ!?」
「な、何だこの風――!」
一人は壁へ叩き付けられ、もう一人は足を滑らせて転倒した。槍が床を転がり、ガシャァン!と大きな音を立てる。
俺は思わず目を見開いた。
「すげぇ! ルークやるじゃねぇか!」
「え、え!? ぼ、僕こんなつもりじゃ……!」
「十分だ!!」
むしろ完璧だった。
ルーク自身も威力に驚いているみたいで、顔を青くしていた。看守たちは気絶し、床に倒れている。
俺は倒れた看守の横を駆け抜け、落ちていた鍵束をひったくった。
「よし!」
金属音が鳴る。重い。かなりの数だ。
その瞬間、背後から怒鳴り声。
「いたぞぉ!!」
まずい。通路の奥からさらに看守が走って来る。しかも今度は弓持ちまでいた。
「射て!!」
ヒュンッ!!矢が飛んできた。
「っ!」
俺は反射的にルークを突き飛ばした。
ガギン!!矢が石壁へ突き刺さる。
「ア、アルナ!?」
「走れぇ!!」
俺は火球を叩き込んだ。
「《フレイム》!!」
爆ぜた火が通路を横切り、看守たちが慌てて足を止める。
「熱っ!?」
「下がれ!!」
その隙に俺とルークは再び走り出した。
息が苦しい。肺が焼けるみたいに痛い。でも、止まれない。
「アルナ……! 壁、見えた……!」
ルークの声に顔を上げる。
外壁だ。月明かりの下、巨大な石壁がそびえ立っている。
その下には、俺たちが何ヶ月も前から少しずつ緩めていた古い排水格子があった。
普通なら人なんて通れない。
でも。
「鍵!!」
俺はさっき奪った鍵束を掴み、しゃがみ込む。
カチャ、カチャッ――。違う。違う。違う!
「急げぇ!!」
背後から足音が迫る。
ルークが震えながら振り返った。
「き、来ちゃう……!」
「っ、開けぇ……!」
ガチャン!!鈍い音と共に、格子の錠が外れた。
「開いた!!」
俺たちはすぐ格子を引っ張る。
ギギギ……と重い音。
隙間が開く。
狭いけど子供の身体なら通れる。
「先行け、ルーク!!」
「え!? でも――」
「いいから!!」
ルークは一瞬だけ迷って、それから腹を括った顔で頷いた。細い隙間へ身体を滑り込ませる。
その時。
「止まれぇぇぇ!!」
看守たちが角を曲がってきた。
俺は反射的に両手を突き出す。
「――縛れ!!」
地面から木の根が爆ぜる。
看守たちの足へ絡み付き、数人がまとめて転倒した。
「ぐあっ!?」
「何だこれ!!」
でも長くは持たない。魔力がもうかなりキツい。
「アルナ!! 早く!!」
格子の向こうでルークが叫ぶ。
俺は最後に振り返った。
燃える収容所。
怒鳴る看守。
響く警鐘。
地獄みたいな場所だった。
「……じゃあな」
小さく吐き捨てて、俺は排水路へ飛び込んだ。
アルナとルークは晴れて6歳になりました。




