十五話 友達
ルークを助けてから、一週間が経った。
収容所の生活は相変わらず最悪だった。
朝から晩まで労働。薄いスープ。怒鳴り声。鉄臭い空気。夜になれば倒れるように眠るだけ。
だが、アルナにとって一番の問題は別にあった。
(……またいる)
視線を感じる。
作業場の端。木箱を運ぶ奴隷たちの隙間、その向こうでルークがこっちを見ていた。
物陰から半分だけ顔を出して、こちらの様子を窺うみたいにじっと見ている。だがアルナと目が合った瞬間、びくっと肩を震わせた。
(……何なんだアイツ)
アルナは額を押さえた。
あの日以来、ルークはやたらこっちを気にしていた。
話しかけてくる訳じゃない。隣に来る訳でもない。ただ一定距離を保ちながら、ずっとチラチラ見てくる。
食事中も。
作業中も。
移動中も。
気付けばどこかにいる。
壁の陰。
積まれた樽の裏。
列の後方。
ふと視線を感じて振り返ると、大抵ルークがいる。そして目が合うと逃げる。毎回逃げる。まるで警戒心だけ異常に高い野生動物みたいだった。
怖い、本当に怖い。こんな経験初めてだ。
(ストーカーか?)
しかも問題なのは、アルナが最近ほとんど魔法の練習を出来ていない事だった。
理由は単純。ルークが付いてくるからだ。
アルナは内心で舌打ちする。
今俺の両手首には、詠唱阻害の枷が嵌められている。普通の魔法使いなら、これだけでほぼ無力化だ。
だが俺はは違う。
無詠唱で魔法を発動できるようになった。
もちろんまだ未熟だ。水球を作るだけでも集中力をかなり使うし、形状維持なんて数秒が限界。
それでも、これは間違いなく切り札だ。この収容所で生き残るための。そしていつか脱出するための。
唯一と言っていい希望だった。
もし看守たちに知られれば俺は終わる。
絶対にもっと重い拘束具を付けられるし、最悪地下監房行きだ。
そうなれば脱出計画は全部水の泡だ。
(……まさか)
アルナの背筋に嫌な汗が流れる。
(アイツ、気付いてんのか?)
ルークの妙な行動が頭の中で繋がる。
やたら見てくる、距離を取るが離れない。
証拠を探っているようにも見える。
(いや待て待て待て)
アルナは荷物を運びながら必死に考える。
もし本当に無詠唱に気付かれていたらヤバい。かなりヤバい。いや本当に人生終了レベルでヤバい。
じゃあ何で告げ口しない?まだ確証が無いから?
証拠を押さえたいから?
(看守の手先か?)
ルークのひょろい姿を見る。
いや、どう見てもスパイ向きではない。むしろ風で飛びそうだ。だが油断は禁物だ。この収容所に来てからアルナは学んでいた。
“見た目が弱そうな奴ほど利用される”。
看守に脅されて監視役をやらされてる可能性だってある。
(確認しねぇと……)
アルナは眉を寄せた。
このままじゃ練習が出来ない。
でも話しかけるのも難易度が高すぎる。
前回は勢いだった。助けなきゃ、で身体が動いた。だが今回は違う。
普通に喋りかけないといけない。
(え、どうやんの?)
アルナは真顔になった。
そういえば転生してから母さんとセレス以外まともに話した記憶がほぼ無い。
前世でも友達は少なかった。雑談スキルなんか壊滅的だ。そもそも人付き合い自体あまり得意じゃない。話しかける前に「変な奴って思われないか?」を考えてしまうタイプだった。
まして相手はガチの子供。
分からん。何考えてるのかマジで分からん。
(「よう」とか? いや怖いだろ。急に悪魔付きに話しかけられるとか恐怖でしかない)
アルナが一人で唸っていると、
「おい悪魔付き! 手止まってんぞ!」
看守の怒声が飛んだ。
「っすみません!」
反射的に頭を下げる。その瞬間、少し離れた場所でルークがびくっと肩を跳ねさせた。
……何でお前もビビるんだよ。
アルナは疲れた顔で担ぎ直す。
するとまたルークの視線が刺さるアルナのこめかみに血管が浮いた。
(いやもう気になるなら来いよ!!)
何なんだコイツ!?
猫か!?
野良猫なのか!?
一定距離まで近付くくせに、目が合ったら逃げる。
そのせいでアルナはこの一週間ずっと魔法の練習タイミングを失っていた。
夜は周りに奴隷がいる。昼休憩はルークがいる。
詰んでる。
(クソッ……このままじゃ水球すら維持できなくなる……)
焦りが募る。せっかく掴み始めた無詠唱の感覚。
毎日少しずつでも触れていないと鈍る気がする。
それだけは避けたかった。アルナは重い溜め息を吐く。そして決意した。
(……今日、絶対聞く)
もう限界だ。
監視なのか。勘違いなのか。ストーカーなのか。
はっきりさせる。
アルナは荷物を置くと、ちらちらこちらを見ていたルークへ向かってズカズカ歩き出した。
ルークの顔が引き攣る。
「!?」
逃げた。
「あっ待て!!」
反射的にアルナも追いかける。
「ひゃっ!?」
ルークは慌てて狭い通路へ飛び込んだ。
「何で逃げんだよ!?」
「ご、ごめんなさいぃ!!」
「何が!?」
意味が分からない。
謝るくらいなら止まれよ!とアルナは内心で叫ぶ。
だがルークは半泣きになりながら必死に逃げ続けていた。細い身体のわりに無駄にすばしっこい。木箱の間をぴょこぴょこ抜けていく姿が、ますます野良猫っぽかった。
「待てって!!」
「ゆるしてぇぇ〜」
ルークは涙目になりながら角を曲がる。アルナもその後を追いかけた。
狭い通路。積み上げられた木箱。干されたボロ布。収容所の裏側みたいな場所を二人で駆け抜ける。
周囲の奴隷たちがぎょっとした顔で振り返った。
「何だあいつら……」
「悪魔付きが追いかけ回してるぞ」
「終わったなあのガキ」
やめろ。変な誤解を招くな。アルナは内心で頭を抱えた。
「だから逃げんなって!!」
「だ、だって怒ってるぅ!!」
「怒ってるわ!!」
ルークは「ひぇぇ……!」と情けない声を上げた。だが、その時だった。
「おい!! 何走ってやがる!!」
看守の怒鳴り声が飛ぶ。二人とも反射的に肩を跳ねさせた。
やばい。
ルークはそのまま近くの細い路地へ飛び込む。アルナも慌てて続いた。狭い。湿っぽい。壁には苔みたいなのが生えている。
どうやら資材倉庫と外壁の隙間らしい。
二人はそのまま勢い余って奥まで駆け込み、そこでようやく止まった。
「はぁっ……はぁっ……」
ルークは肩で息をしていた。アルナも息を整えながら壁に手をつく。
……何やってんだろ俺ら。
数秒の沈黙が続いた。
外からは遠くに看守の怒鳴り声が聞こえるが、ここまでは来ないらしい。
アルナは乱れた呼吸を整えながらルークを睨んだ。
「……で?」
ルークがびくっとする。
「な、何……?」
「何で逃げるんだよ」
「ご、ごめんなさい……」
「何について謝ってんだ!」
アルナの声に、ルークはさらに縮こまった。
まるで怒鳴られた犬だ。アルナは頭を抱えたくなる。
会話が進まない。
「……お前さ」
アルナは出来るだけ怖くならないよう声を落とした。
「何でずっと俺のこと見てんの」
その瞬間、ルークの身体がぴたりと固まった。やっぱり何かある。アルナの警戒心が一気に強まる。
「……何か知ってんのか?」
「へ?」
「俺の事」
「え?」
「いやだから……その……」
上手く言葉が出てこない。
無詠唱の事を直接聞くのも危険だ。周囲に誰もいないとは限らない。
アルナが言葉を探していると、ルークがおそるおそる口を開いた。
「あ、あの……」
「……何」
「ぼ、僕……」
ルークは顔を真っ赤にして俯いた。
指同士をもじもじ弄っている。何だその反応。 可愛い子ぶってんのか?
アルナの警戒心が逆方向に不安へ変わる。
「……何?」
「その……」
ルークは意を決したみたいに顔を上げた。
「ともだちに、なりたくて……」
「………………は?」
思考が止まった。
アルナは真顔のまま固まる。
ルークは涙目で続けた。
「で、でもアルナいつも怖い顔してるし……」
「話しかけたら迷惑かなって……」
「でも気になるし……」
「でも怖いし……」
アルナは口を半開きにしたまま固まる。頭の中で今までの推理が全部崩壊した。
監視。
スパイ。
告げ口。
証拠集め。
全部違った。ただ友達になりたかっただけらしい。
「…………」
アルナはゆっくり顔を覆った。
恥ずかしい。めちゃくちゃ恥ずかしい。
一人で疑心暗鬼になって、一人で「人生終了レベル」とか考えて、一人で追いかけ回した。
何だこいつ。
いや何だ俺。ルークがおろおろし始める。
「ご、ごめんなさい……」
「謝るな!!」
反射的に叫んでしまった。ルークがびくぅっ!!と飛び跳ねる。
「あっ……悪い」
アルナは頭を抱えた。
駄目だ。
コミュニケーション能力が終わってる。
前世でもこんな感じだった気がする。距離感が分からない。どう返せば正解なのか分からない。
ルークはおずおずとアルナを見上げた。
「あ、あの……嫌、だった……?」
その顔があまりにも不安そうで、アルナは一瞬言葉に詰まる。嫌かどうかで言えば。
……嫌ではなかった。
むしろ、収容所に来てからこんな風に誰かに懐かれた事なんて初めてだった。
でも。
「いやその……」
アルナは視線を逸らす。
「ずっと見られてると普通に怖ぇんだよ……」
「ご、ごめんなさい……」
ルークがしゅんと肩を落とす。
狭い路地の中、しばらく変な沈黙が流れる。外では看守の怒鳴り声や金属音が響いているのに、ここだけ妙に静かだった。
アルナは壁に腕を組みながら、ちらりとルークを見る。
小さくて細い。なんかずっと不安そうな顔をしている。間近で見ると可愛いな。変な意味とかじゃなくて。
友達。
その言葉が頭の中で引っかかっていた。
(友達、かぁ……)
アルナはぼんやり考える。
前世では、ちゃんと友達って呼べる奴がいたかと言われると微妙だった。
話す奴はいた。
ゲームの話をする相手もいた。
でも、それだけだ。
学校が終われば関係も切れるし、本気で何かを相談した記憶もない。向こうが俺をどう思ってたかも分からない。
いじめられてた時だって、誰も助けなかった。いや、助けられなかったのかもしれないけど。
だから“友達”って言葉に、あまり実感が無かった。
転生してからは尚更だ。
母さんとセレス以外とまともに関わってないし、収容所に来てからなんて「他人=危険」くらいにしか思ってなかった。
そんな中で。
「ともだちになりたい」なんて真正面から言われるとは思わなかった。
アルナは頭を掻く。
……どう返すのが正解なんだこれ。
ルークは不安そうにこっちを見上げていた。まるで捨てられる直前の犬みたいな顔だ。
アルナは視線を逸らした。胸の奥が妙にざわつく。
……嫌じゃない。
むしろ、こんな場所で誰かが自分を気に掛けてくれる事自体、少し嬉しかったのかもしれない。
でも。
「……ごめん」
アルナは小さく呟いた。
「俺、友達にはなれない」
「……え?」
ルークの目が見開かれる。その顔を見た瞬間、アルナの胸が少し痛んだ。
まるで今にも泣き出しそうな顔だった。
アルナは続ける。
「いや、お前が嫌とかじゃなくて」
「その……俺、そういうの向いてねぇし」
誤魔化すみたいに言ったが、本当の理由は別にある。
正直、こんな状況じゃなかったら友達になっていたと思う。
ルークは変な奴だけど、悪い奴じゃない。
むしろ真っ直ぐで、放っておけないタイプだ。
でも。
(駄目だ)
アルナは奥歯を噛んだ。
俺はここから脱獄するつもりだ。いつになるかは分からない。方法だってまだ曖昧だ。
でも絶対に出る。
このまま奴隷で終わる気なんかない。
だからこそ、人と深く関わるのは危険だった。
もし仲良くなって。もしルークが俺を信じるようになって。
その時、一人で出て行ったら?
「…………」
想像してしまう。
置いていかれたルークの顔。あの怯えた目。
泣きそうな顔。
必死に追いかけてきそうな姿。
考えるだけでキツかった。だから最初から距離を取った方がいい。期待させない方がいい。
それに。
(仮に連れて行ったとしても)
アルナはルークの細い身体を見る。
絶対足手纏いになる。体力も無い。
戦えない。
逃げる時だって足音一つで泣きそうになる奴だ。
そんな相手を連れて脱獄なんて、成功率が下がるどころの話じゃない。
そして何より。
(……俺は守れない)
血。燃える森。倒れた母さん。冷たくなっていく手。
『ごめんね』
頭の奥がズキリと痛む。アルナは無意識に拳を握っていた。
守るって何だ。助けるって何だ。結局俺は、誰一人守れてない。母さんだって。セレスだって。俺が弱かったから全部無くしたんだ。
なのにまた誰かと関わって、また失ったら?
そんなの嫌だった。ルークは俯いたまま、小さく口を開く。
「……そっか」
ルークの声は小さかった。
俯いたまま、ぎゅっと自分の服を掴む。細い肩が震えている。
「そうだよね……」
「僕、弱虫だし……」
「すぐ泣くし……」
「役に立たないし……」
ぽつり、ぽつりと零れる声は、まるで自分に言い聞かせているみたいだった。
「アルナ強いもんね……」
「僕なんか、邪魔だよね……」
アルナの眉がぴくりと動く。
「いや、だからそういう話じゃ――」
「ごめ、ごめんなさいぃ……っ」
次の瞬間。ぼろっ、と涙が落ちた。
「あっ」
ルークは慌てて目元を擦る。だが一度決壊した涙は止まらなかった。
「う、うぇぇ……」
「お、おい」
「だってぇ……っ」
「ともだち、なりたかったぁ……!」
大泣きだった。
静かに泣くとかじゃない。
子供が限界まで我慢した後の、ぐしゃぐしゃの泣き方だ。
「ひっく……うぅぅ……」
「アルナ、やさしかったし……」
「ぼ、僕、ずっと一人だったしぃ……」
鼻水まで出始めた。
アルナは完全に固まる。
(えっ)
どうしよう。いや本当にどうしようこれ。
想像以上にダメージ入ってる。
アルナは内心で大混乱していた。いやだって、こんな泣く!?
断っただけで!?
しかも路地裏だから声が反響して余計に悲壮感が凄い。
「お、おい泣くなって……」
「やだぁぁ……っ」
「そんな全力で泣く!?」
「だっでぇぇ……!」
ルークはしゃくり上げながら涙を拭う。だが全然拭けてない。むしろ顔面がぐちゃぐちゃになっていた。
アルナは頭を抱えた。罪悪感がヤバい。
「いやだから、お前が嫌いとかじゃなくてだな……」
「でも、ともだち、やだってぇ……」
「言い方!!」
違う。そうじゃない。だが上手く説明できない。
アルナはコミュニケーション能力の低さを呪った。
ルークはとうとうその場にしゃがみ込んで泣き始めた。
「うぇぇぇぇん……」
「み、みんな怖いしぃ……」
「アルナしかいないのにぃ……」
その言葉に、アルナの胸がちくりと痛む。
……駄目だ。これ以上は駄目だ。
アルナは顔を覆った。
(ああもうクソ……!)
何なんだこいつ。
どうしてそんな真正面から来るんだ。
収容所に来てから、誰も彼も自分の事しか考えてなかった。疑って、奪って、見捨てて。
そんな場所で。
「友達になりたい」なんて言って。
断られたら本気で泣く奴なんか、反則だろ。
アルナは盛大に溜め息を吐いた。そしてガシガシ頭を掻く。
「ああもう!!」
ルークがびくっとする。アルナは半ばやけくそ気味に叫んだ。
「わかったよ!!」
「……ぇ」
「友達!! なるよ!!」
「……ほんと?」
「なるって言ってんだろ!!」
数秒の沈黙。ルークはぱちぱち瞬きをした。
そして。
「……ぅ」
「う?」
「ほんとに……?」
「だからそうだっつの!」
次の瞬間。
「うわぁぁぁぁん!!」
「何で泣き強くなるんだよ!?」
さっき以上に泣いた。
アルナは思わず叫ぶ。
ルークは感極まったみたいにぼろぼろ涙を流していた。
「よ、よかったぁぁ……!」
「僕きらわれたかとぉ……!」
「情緒どうなってんだお前!?」
ルークはぐすぐす泣きながら、それでも少し嬉しそうに笑った。
その顔を見て、アルナはまた深く溜め息を吐く。
……もう後戻りできない気がした。
でも不思議と、嫌な気分ではなかった。




