十四話 ルーク
昼の鐘が鳴ると、収容所の空気が少しだけ緩んだ。
作業を終えた奴隷たちが広場へ集まり、芋だの薄いスープだのを受け取っていく。怒鳴り声も減り、代わりに疲れ切った溜め息があちこちから漏れていた。
アルナは配給の芋を受け取ると、そのまま広場の端へ向かう。
いつもの場所だ。
石壁の陰。資材置き場の裏。人目が少なく、多少なら隠れられる。
(よし……)
今日は昨日よりもう少し水球を維持したかった。
出来れば形を変える練習もしたい。
アルナは周囲を確認して、しゃがみ込む。
だが、その直後だった。
「おいおい、そんな警戒すんなって」
男の声。
アルナは反射的に身体を止めた。
少し先。木箱の陰。そこにいたのは、昨日入ってきたばかりのルークだった。
「ほら、座れよ」
「別に取って食おうって訳じゃねぇし?」
三人。薄汚れた男たちが、ルークを囲むように座っている。
ルークは怯えた顔のまま、小さく身体を縮こまらせていた。アルナは即座に壁へ身を寄せる。
(うわ、面倒くせぇ……)
見つかりたくない。
今ここで出て行けば、確実に目立つ。
ただでさえ悪魔付き扱いされているのに、更に揉め事に首を突っ込めば何を言われるか分からない。
アルナはそっと木箱の陰へ隠れた。
男の一人がニヤニヤ笑いながらルークを見る。
「お前さぁ、ほんとに男?」
「……っ」
「肌白すぎだろ」
「髪もさらさらじゃね?」
ルークは俯いたまま何も言わない。男たちは完全に面白がっていた。
だが、まだ暴力的な空気ではない。
半分は暇潰しだ。
アルナは小さく息を吐く。
(……なら放っとくか?)
正直、関わりたくない。
この収容所で目立つのは危険だ。
助ける義理もない。昨日会ったばかりの奴だし、そもそも俺だって生きるので精一杯だ。
だが。
「おい、無視すんなって」
男の一人がルークの肩を掴む。びくっ、とルークが震えた。その反応に、男たちが笑う。
「ははっ、怯えすぎだろ」
「小動物かよ」
アルナは眉を寄せた。
……何か、見ていて落ち着かなかった。
ルークはただ怯えているだけだ。
抵抗も出来ない。
声も出せない。
昨日の自分を少し思い出す。
収容所へ連れて来られた時。
周囲の視線。
逃げ場の無さ。
アルナは舌打ちしたくなる。
(いやいやいや、だからって助ける理由にはならねぇだろ……)
頭では分かっている。
ここは善人が損をする場所だ。
余計な事をすれば、自分に返ってくる。
(……どうせ今助けたって終わらない)
アルナは視線を逸らしかけた。
一回止めたところで何になる。
こういう奴らは、弱いやつを見つけたら何度でも寄ってくる。
前世でもそうだった。
教室の隅。机に書かれた落書き。笑いながら肩を小突いてきた連中。見て見ぬ振りをした教師。
――「別に冗談じゃん」
あの軽い声を思い出した瞬間、背筋に嫌な鳥肌が走った。アルナは顔をしかめる。
(……クソ)
思い出したくもない。
胸の奥がざわつく。
息苦しい。
だが今は関係ない。俺は俺だ。ここから脱獄する。それだけ考えればいい。ルークなんか知らない。
アルナは静かに後退りしたその時だった。
「で、お前何やったんだ?」
男の一人が芋を齧りながら聞く。
「盗みか?」
「貴族の機嫌を損ねたとか?」
「もしかして借金か?」
ゲラゲラ笑い声が響く。ルークは肩を震わせ、小さく口を開いた。
「……さら、われて……」
「で?」
「お母さんに……木の実を取ってきてって言われて、そこに向かう途中に知らない人たちに袋を被せられて……気付いたら馬車で……」
攫われたのか……。正直同情する。
ルークはぱちぱちと目を瞬かせる。だが男たちは腹を抱えて笑っていた。
「っはははは!」
「攫われたってよ!」
「ちげぇよお前、それ親に売られたんだよ!」
ルークの顔から血の気が引いた。
「え……?」
「この収容所、そういうガキ結構いるぜ?」
「借金とか、口減らしとかな」
「特にお前みたいなのは高く売れるんじゃねぇの?」
男の一人がルークの顎へ手を伸ばす。ルークはびくっと身を引いた。
「や、やだ……違っ……お母さんはそんな……」
「夢見すぎだろ」
「じゃあ何で助けに来ねぇんだよ?」
「僕の家、貧乏だから……」
「尚更じゃねぇか!」
男たちはまた笑った。
乾いた、嫌な笑い声だった。
「貧乏人なんて子供売るの珍しくねぇよ」
「口減らし口減らし」
「お前、顔だけはいいからなぁ」
ルークは何か言い返そうとして、でも言葉が出てこないらしい。唇だけが震えている。
「ち、違……」
その声はあまりにも弱かった。
男の一人がニヤつきながら距離を詰める。
「でも可哀想だよなぁ?」
「母ちゃんに捨てられてさぁ」
「うる、さい……」
ルークが初めて少し強く返した。だが、その反抗が逆に面白かったらしい。
「お?」
「怒った?」
「はは、かわいー」
肩を小突かれる。ルークの身体がぐらつく。
アルナは奥歯を噛んだ。
(……やめろよ)
脳裏に、前世の記憶がまたちらつく。
机を囲まれた昼休み。
逃げようとして鞄を引っ張られた感触。
笑い声。
“怒った?”
“冗談だって”
胸の奥がじわじわ熱くなる。
(関係ない。俺には関係ない)
そう思うのに、足が動かない。男の一人がルークの髪を指に絡めた。
「ほんと女みてぇだな」
「や、やめ……」
その瞬間。
「おい」
声が出ていた、自分でも驚くくらい自然に。逃げる選択もできた。でも、もう居ても立っても居られなくなった。
三人の男たちが一斉に振り向く。ルークもびくっと肩を跳ねさせた。
アルナは木箱の陰から姿を見せる。男たちの顔から笑みが少し消えた。
「……悪魔付き」
誰かが小さく呟く。アルナは面倒臭そうに頭を掻いた。
「昼休みくらい静かに食わせろよ。うるせぇんだよ、お前ら」
正直言ってちょっとキレてたと思う。俺ってこんなキレやすかったっけ?
男たちは顔を見合わせた。空気が少し変わる。
「……なんだぁ?」
最初に口を開いたのは、鼻の曲がった男だった。にやついてはいるが、さっきまでみたいな余裕の笑いじゃない。
「悪魔付きが絡んでくんのかよ」
「怖ぇ怖ぇ」
わざとらしく肩を竦める。だが視線は警戒していた。アルナは内心で舌打ちした。
面倒事一直線だ。だが、今さら引っ込めるのもダサい。アルナは芋を齧りながら適当に続けた。
「別に絡みたい訳じゃねぇよ。ただお前らの笑い声が耳障りなんだよ」
「は?」
「ただでさえまずい飯がもっとまずくなる」
アルナは気怠そうに壁へ寄りかかった。内心は心臓バクバクだが顔には出さないようにする。
男たちの一人が鼻で笑った。
「何だよそれ」
「つーか、お前最近調子乗ってるよな?」
「隊長に気に入られてるしよぉ」
ガルドの顔が頭に浮かんで、アルナは露骨に嫌そうな顔をした。
「気に入られてねぇよ。むしろ嫌われてるだろ」
「でも地下行ってねぇじゃねぇか」
その言葉で、周囲の空気が少しだけ重くなる。
地下監房。
そこに送られた奴は、戻ってきても大抵壊れている。らしい。アルナは肩を竦めた。
「知らねぇよ。運が良かっただけだろ」
「……悪魔付きの癖に?」
ぴく、と空気が張る。
ルークが不安そうにアルナを見上げていた。怯えてるくせに、どこか期待するみたいな目だった。
やめろ、その目。
アルナは少し苛立つ。
助ける気なんか別にない。ただ昔の嫌な記憶思い出してムカついただけだ。なのに、そういう目を向けられると困る。
男の一人が立ち上がった。
「つーかさぁ、お前何なんだよ?」
「悪魔付きのくせに正義の味方気取りかよ」
「……別に」
「じゃあ引っ込んでろよ」
男がアルナの胸を軽く押す。
男の手が胸に触れた瞬間、アルナは一歩だけ後ろへずれた。押され気味だ。
(やっべ……)
さっきまでの勢いが急速に萎んでいく。心臓が嫌な音を立てていた。急に冷静になってきた。
というか、冷静になったせいで気付いた。
(俺、口喧嘩クソ弱いじゃん……!)
前世でもそうだった。
頭の中では色々浮かぶのに、いざ言い返そうとすると言葉が詰まる。気の利いた返しなんか出来ない。
男たちは完全にこっちを舐め始めていた。
「なんだよ急に黙りやがって」
「悪魔付きってもっと怖ぇのかと思ったわ」
「ははっ」
ルークも不安そうにアルナを見ている。
やばい。
何か言わないと。
でも何を?
考えろ考えろ考えろ――。
そして次の瞬間。
「うるせぇぇぇ!! このショタコンがぁぁぁ!!」
叫んでいた。一瞬、空気が凍る。
男たちがぽかんとした。
「…………は?」
アルナは叫んだ後、自分でも「何言ってんだ俺!?」って顔になった。
だがもう遅い。
「ショタコン!?ち、違っ――!」
鼻の曲がった男が真っ赤になる。
アルナはもう引き返せないと悟った。
「昼間っから顔のいいガキ囲んでベタベタ触ってんじゃねぇよ! 気色悪ぃんだよ!!」
「てめぇぇ!!」
男が勢いよくアルナの胸ぐらを掴んだ。
「ぐっ……!」
布が締まり、首が引っ張られる。至近距離で睨まれて、アルナの背筋に冷たい汗が流れた。
(やっべぇ!!)
思ったより怖い!というか普通に殴られそう!
逃げたい!
今すぐ謝りたい!
だが、ここでビビったら完全に終わる気がした。
ルークも青ざめた顔でこっちを見ていた。
どうする!?
考えろ!いやもう無理だ!
――乗るしかない、この波に!!
俺は半ばヤケクソで男の胸ぐらを掴み返した。
「かかってこいやぁぁぁ!!」
***
「けっ! 突っかかってきたくせにめちゃくちゃ弱ぇじゃねぇか!」
男たちの嘲笑が響いた。
「はははっ!」
「何だよあのパンチ!」
「子供の癇癪かと思ったわ!」
ゲラゲラ笑いながら、三人は去っていく。
アルナは地面に転がったまま動けなかった。
ボッコボコだった。
頬は腫れてるし、腹は痛ぇし、口の中は切れて鉄の味がする。腕も多分どっか打った。
そりゃそうだ。大の大人に、五歳児が勝てる訳ない。
「……いってぇ……」
砂を吐きながら、アルナはゆっくり起き上がった。
周囲の奴隷たちは半笑いだったり、呆れた顔だったり、興味無さそうだったり様々だ。
まあそうだろうな。
急にショタコンとか叫んで突っ込んで、普通に返り討ちにされたガキだ。
我ながら何してんだ。ま、魔法使えば勝ててたし!
ルークが慌てて駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫!?」
「……大丈夫に見えるか?」
「ご、ごめ――」
「お前が謝んな……っつぅ」
腹が痛ぇ。アルナは顔をしかめながら壁へ寄りかかった。正直、ちょっと泣きそうだった。
めちゃくちゃ痛い。
前世でもこんな喧嘩した事ない。というか、そもそも殴り合いなんてした事なかった。
「……別に」
アルナは腫れた頬を押さえながら、ぼそっと呟いた。
「お前を助けたくて出てきた訳じゃねぇし」
「え……」
ルークが目を丸くする。アルナは視線を逸らしたまま続けた。
「ただムカついただけだ」
「ああいうの見てたら……その……イラついたっていうか」
うまく言葉に出来ない。前世の記憶がぐちゃぐちゃ混ざってる。
笑いながら人を囲む感じとか。
逃げ場なくしてニヤニヤする感じとか。
あの「冗談じゃん」って空気とか。
思い出したら、勝手に身体が動いてた。
「……だから別に、お前のためとかじゃない」
アルナは小石を蹴った。
「むしろ最悪だよ。目立つし、ボコられるし」
「……でも」
「しかも負けたし」
「……」
「めちゃくちゃダサい」
自分で言っててちょっと本気でへこむ。
魔法使えば勝てた、とか強がってみても、実際は怖くて使う余裕なんかなかった。殴られた瞬間、頭真っ白だったし。
ルークはしばらく黙っていたが、やがて小さく口を開く。
「……それでも」
「?」
「あ、ありがとう!」
その顔は、さっきまで怯えて震えていた奴と同じとは思えなかった。
まだ目元は少し赤いし、声だって弱々しい。けど、それでも確かに笑っていた。
まるで、暗い部屋に小さな灯りが点いたみたいな顔だった。アルナは一瞬だけ言葉に詰まる。
……そんな顔されると困る。
「……だから別に」
ぶっきらぼうに返しながら、アルナは頬を掻いた。触った瞬間「いっっっ!」と声が漏れる。
痛ぇ。ルークは慌てた。
「だ、大丈夫!?」
「大丈夫じゃねぇよ! あいつ子供相手に普通に顔狙ってきやがった!」
「ご、ごめん……」
「だから謝るなって……」
アルナは深くため息を吐いた。すると、収容所中に重たい鐘の音が鳴り響いた。
昼休憩の終わりを告げる音だ。
途端に広場の空気がまた張り詰める。奴隷たちは嫌そうな顔をしながら立ち上がり、監視役の怒鳴り声も戻ってきた。
「ほら動け!」
「休憩は終わりだ!」
アルナは「うげぇ……」と顔をしかめながら、痛む腹を押さえて立ち上がる。
「っつぅ……」
立っただけで脇腹が痛い。絶対痣になってる。
ルークが心配そうに見上げてきた。
「ほ、本当に大丈夫……?」
「だから大丈夫じゃねぇって」
アルナはぼやきながら砂を払った。
「……じゃ、もう絡まれんなよ」
「え……」
「人気のないとこにいるお前にも非があるからな。ああいう連中、弱そうな奴見つけたら寄ってくるんだから」
言いながら、自分でもちょっと「お前が言う?」と思った。人気のない場所で魔法練習しようとしてたの、俺だし。
ルークはしゅんと肩を縮めた。
「……う、ごめんなさい」
「いや謝んなって」
アルナは頭を掻く。
「とにかく、次からはもっと人いるとこ行け。あと知らん奴に囲まれたら逃げろ」
「……うん」
ルークは小さく頷いた。
監視役の怒鳴り声が近付いてくる。アルナは面倒臭そうに背を向けた。
「じゃ」
そのまま去ろうとした時だった。
「あ、あの!」
ルークが慌てて呼び止める。
アルナは振り返った。
「名前は!」
「……は?」
「な、名前……!」
必死そうに聞いてくるルークに、アルナは数秒だけ黙る。
こんな場所で名前なんか聞いてどうすんだ、と思ったが。
「……アルナ」
それだけ答える。するとルークの顔がぱっと明るくなった。
「アルナ……!」
何だその嬉しそうな顔。
アルナは少しだけ気まずくなって視線を逸らした。
「お前は?」
「ルーク! ルークっていいます!」
知ってる。さっき散々聞いてたし。だが、それを言うほど野暮じゃなかった。
「……そ。じゃあな、ルーク」
アルナは片手をひらひら振って歩き出す。
背後から、小さな声が聞こえた。
「……ありがとう、アルナ」
アルナは聞こえない振りをした。
でも、さっきまで胸の奥に残っていた嫌なざわつきは、少しだけ薄れていた




