十三話 無詠唱
あれから一週間が経った。
朝は外の鐘で叩き起こされ、全員で中庭に整列する。当然、俺の周りには誰も寄って来ない。兵士ですら必要以上に近づきたがらなかった。
朝礼が終わるとすぐ朝食になる。内容は薄いスープに硬いパンが一切れだけ。
「……少な」
思わず呟いたら、配給していた兵士に睨まれた。
「嫌なら食うな」
俺はパンを受け取り、部屋の端へ移動する。勿論、近くには誰も来ない。最初は視線が鬱陶しかったが、一週間も経つと慣れてきたし、むしろ静かで楽だった。
(まさか前世のボッチ飯スキルがこんな所で活きるとはな……)
少しだけ虚しくなった。
男性棟の連中は、未だに俺を化け物扱いしている。最初の三日は露骨だった。「目を合わせるな」とか、「寝てる間に呪われる」とか、本気で言ってる奴までいた。
でも最近は少し変わった。正確には、慣れたのだろう。
人間ってのは環境に慣れる生き物だ。俺が誰も食わないし、呪いも撒き散らさないと分かると、連中も多少は落ち着いた。ただし距離は取られる。半径二メートルくらい。
朝飯が終わると、すぐ労働が始まる。
内容は日によって違った。ツルハシを持たされて変な鉱石を掘らされたり、木箱を運ばされたり、畑仕事をやらされたり。本当に色々だ。
俺はまだ五歳だからか、比較的軽い仕事が多かった。と言っても楽ではない。畑仕事だって普通にきつい。
泥だらけの畝を歩きながら雑草を抜き、水を撒き、腐りかけの野菜を運ぶ。太陽は容赦なく照りつけるし、腰は痛いし、虫は飛んでくる。
しかも監視付きだ。
「サボるな!」
怒鳴り声が飛ぶたび、あちこちで肩が震える。
畑は珍しく男女合同だった。ちらほら女性もいる。だが全員、驚くほど目が死んでいた。
痩せ細った女。
泥だらけの少女。
赤ん坊を失ったみたいな顔をしてる人までいる。
誰も喋らない。ただ黙々と手を動かしていた。
(……空気重すぎるだろ)
アルナは水桶を抱えながら周囲を見る。
そこで、ふと違和感に気づいた。
男女比がおかしい。
男は収容所のあちこちで見かける。採掘場、資材運び、鍛冶場みたいな場所でも働いている。でも女はほとんど畑にしかいない。しかも人数自体がかなり少なかった。
(どっか別の建物で働いてんのか……?)
そう思って周囲を見渡すが、それらしい施設は見当たらない。
その時、近くで作業していた男たちの話し声が聞こえてきた。
「はぁ……畑仕事もきちぃな」
「文句言うな。女見れるだけ俺たちは幸福だろ」
「それにしても女少なくねぇか?」
「女はすぐ売れるからな」
土を耕していた男が、吐き捨てるみたいに言った。
「若くて見た目がマシなら高く売れる。ここに長く残る方が珍しい」
「あー……なるほどな」
何とも世知辛い話だった。アルナは小さく顔をしかめる。
つまり、この収容所は“置き場”なんだ。商品を一時的に集めて、選別して、売る。その中で女は回転が早いということか。妙に納得してしまって嫌だった。
昼の時間になると、収容所の中央にある鐘が鳴った。
ゴォン……ゴォン……と重たい音が響き、あちこちで作業していた奴隷たちが一斉に手を止める。
「昼だ! 集まれ!」
兵士の怒鳴り声に押されるように、全員が畑脇の広場へ集められていく。
そして配られた昼飯を見て、アルナは真顔になった。
「……芋?」
木皿の上に乗っていたのは、蒸しただけの芋が二つ。味付け? そんな高級品は存在しない。
アルナは芋を見つめながら、ぼんやり思った。
(マヨネーズが欲しい……)
前世では別にそこまで好きじゃなかったのに、人間、失って初めて気づくものだ。
隣で飯を受け取っていた男がぼそっと言う。
「芋か……、今日は当たりだ」
「スープだけの日もあるからな」
終わっている。
昼飯の時間は休憩も兼ねているらしく、朝や夜に比べると空気がかなり緩かった。
男たちは自然といくつかのグループに分かれて座り込み、愚痴を言ったり、情報交換したりしている。
「鉱山の第三坑道、また崩れたらしいぞ」
「昨日三人埋まったってよ」
「うわぁ……」
笑えない話なのに、みんな乾いた顔で笑っていた。
一方で、部屋に戻って昼寝している奴もいる。壁際で座ったまま寝てる奴までいた。
この時間だけは、多少自由があるみたいだった。もっとも、“自由”と言っても収容所の中だけだが。
アルナは広場の隅に座り、芋を齧る。
ぼそっ、とした食感。味はほぼ無い。でも空腹のせいで普通に美味く感じるのが悔しい。
(塩……せめて塩くれ……)
休憩が終わると、またすぐ労働が始まった。午前中と同じだ。荷物を運び、畑を耕し、水を撒き、腐りかけた野菜を抱えて歩き回る。
太陽は昼を過ぎても全然容赦がなかった。
じりじり肌を焼かれる感覚に、アルナは顔をしかめる。
「……暑っ」
汗が額からぽたぽた落ちる。服はもう泥と汗で酷い状態だった。
周囲を見れば、みんな似たような顔をしている。疲れ切って、無言で、ただ手だけを動かしている。
逃げ出そうとする奴はいない。正確には、逃げられないのだ。
高い壁。見張り塔。巡回する兵士。
収容所の外へ出られる気がしない。
(ほんと要塞だなここ……)
アルナは木箱を抱え直しながら周囲を観察する。
最近は、労働しながら施設の構造を見るのが癖になっていた。
どこに兵士が多いか。
誰が偉いのか。
どの時間に人が減るのか。全部、生き残るためだ。
「おいガキ! ぼーっとすんな!」
怒鳴られて、アルナは慌てて前を見る。
睨まれたと思ったのか、近くの男たちがスッと距離を取った。
(だから何でそんな避けるんだよ……)
もう慣れたとはいえ、地味に傷つく。やがて夕方になると、再び鐘が鳴った。
ゴォン……という音が収容所全体へ広がる。
その瞬間、あちこちで小さな安堵の空気が漏れた。
「終わりだ……」
「今日も死ぬかと思った……」
奴隷たちは重い足取りで道を歩き始める。
向かう先は中央の井戸だった。
石造りの大きな井戸の周囲には既に列ができている。みんな、泥と汗にまみれた身体を洗うために並んでいた。
当然、水は冷たい。
「っ……!」
頭から水を被った瞬間、アルナは肩を震わせた。
冷水が泥を流していく。腕の擦り傷が少し痛む。
周囲では男たちが無言で身体を洗っていた。喋る気力すら残ってないらしい。
中にはそのまま地面に座り込む奴までいる。
アルナも手で顔を擦りながら息を吐いた。
(……疲れた)
前世でも学校帰りに疲れる事はあった。でもこれは種類が違う。生きるための疲労だ。
一日働かされ、最低限の飯を食い、寝る。また朝になれば働く。
その繰り返し。
アルナは男性棟の隅、自分に与えられた寝床――ベッドというより、ほぼ布切れみたいな場所に寝転がった。
薄い布一枚。
硬い床。
周囲から聞こえる鼾と咳。最悪の環境だった。
天井を見つめながら、アルナはぼんやり考える。
(……村に戻らないと)
焼け跡になっているかもしれない。
もう誰もいないかもしれない。それでも、戻りたかった。母のいた場所だし何より神が言っていた
神のかけら。あれを集めれば母さんを生き返らせられる。だから俺は村に戻らないと行けない。
「……どうやって」
小さく呟く。
脱走。考えなかったわけじゃない。むしろ毎日考えている。だが現実的じゃなかった。
高い壁。大量の兵士。何より――。
アルナは自分の手首を見る。
そこには黒い金属製の枷が嵌められていた。表面には見慣れない記号が刻まれている。
冷たくて、重い。
収容所へ入れられた翌日の事を思い出す。
***
――『お前、魔法使えるんだったな?』
看守の男が、嫌そうな顔でアルナを見下ろしていた。
――『だったら何だよ?』
疲れていたせいもあって、つい口が悪くなった。
すると看守の眉が吊り上がる。
――『あぁ? 何だその口の利き方――』
その瞬間、隣にいた男が慌てて口を挟んだ。
――『やめとけ。このガキ、悪魔付きだぞ』
空気が変わった。看守は一瞬黙り込み、それから露骨に距離を取った。
――『……そうだったな』
嫌そうに舌打ちしてから、看守は箱の中を漁る。
そして取り出したのが、この枷だった。
――『魔法が使える奴はこれを嵌めなきゃならねぇ』
アルナは眉をひそめる。
――『何だよこれ』
――『魔道具だ。詠唱を出来なくする』
その言葉に、アルナは目を見開いた。
――『無詠唱が出来る奴は、魔力そのものを封じる魔道具が必要なんだが……』
看守はアルナを見下ろして、少し馬鹿にしたように笑う。
――『お前、無詠唱は出来ねぇんだろ? だったらこれで十分だ』
「……」
***
反論はできなかった。確かに俺は無詠唱魔法が使えない。
魔法を発動するには、どうしても詠唱が必要だった。実際、この枷を付けられてから一度試した事がある。
夜中、周囲が寝静まった後。小声で詠唱しようとした瞬間、喉に焼けるみたいな激痛が走り、声が出なくなったのだ。
(あれはマジで痛かった……)
アルナは思い出して顔をしかめる。
つまり今の自分は、実質ただの五歳児だ。
力もない。
魔法も使えない。
頼れる奴もいない。
「詰んでね……?」
小さく呟いた直後、自分で自分の顔をしかめた。
(……いや、だめだ)
弱気になるな。アルナは両手で顔を覆い、そのまま深く息を吐く。
(だめだだめだ! 考えろ!)
思考を止めたら終わりだ。
ここは収容所だ。誰も助けてくれない。泣こうが喚こうが、死ぬ時は普通に死ぬんだ。
だったら頭を使うしかない。
アルナは薄暗い天井を睨みながら、今まで見たものを整理していく。
(門は正面と裏で二つ。見張り塔は四つ。夜も兵士が巡回してる)
逃げ道は少ない。
(穴を掘るか?)
アルナはすぐに首を振った。
そんなの、絶対に途中でバレる。そもそも俺は五歳児だ。体力も筋力も足りない。スプーンで地面を掘って脱獄する囚人映画じゃあるまいし、現実的じゃない。
(魔法も使えないし……)
アルナは手首の枷を見る。
黒い金属。
刻まれた記号。
鬱陶しいほど重い存在感。
無詠唱さえ出来れば――。
そこで、ふとアルナは思い出した。
(……待てよ)
脳裏に、あの日の光景が浮かんだ。
森。
燃える村。
怒号。
そして、自分の手から放たれた炎。
ガルドの部下の顔を焼いた時。
(……俺、詠唱したっけ?)
アルナは眉を寄せる。
必死だったから記憶が曖昧だ。でも思い返せば、あの時はまともに詠唱なんてしていなかった気がする。
いや。してない。確かに、してなかった。
(……何で?)
心臓が少しだけ速くなる。普通、魔法には詠唱が必要だ。
マナを制御するための言葉。
魔法式を安定させるための工程。
セレスにもそう教わった。
なのに、あの時の自分は感情のままに炎を出した。詠唱無しで。
「……」
アルナはゆっくり身体を起こした。
周囲では奴隷たちが眠っている。鼾。咳。歯軋り。暗い空気。
だが今、アルナの頭の中はそれどころじゃなかった。
(考えろ)
脱出の糸口が、そこにある気がした。
あの時の自分は普通じゃなかった。
怒り。
殺意。
喪失感。
全部がごちゃ混ぜになって、頭の中が真っ白だった。その瞬間、魔法が勝手に出た。
(感情……?)
いや、違う。それだけじゃ説明できない。
もし感情だけで無詠唱が出来るなら、世の中の魔法使いはみんなブチギレながら魔法撃ってる。
アルナは唇を噛む。考えろ考えろ。
そして、翌日
***
アルナは昼休憩になると、広場の隅へ向かっていた。
幸い、俺はいつも一人だ。誰も近寄って来ない。悪魔付き扱いも、こういう時だけは便利だった。
石壁の陰。周囲から少し死角になる場所にしゃがみ込み、アルナは膝を抱える。
(……試すしかない)
もちろん危険だ。もし騒ぎになれば兵士も飛んで来るだろう。
でも何もしなければ、俺はこのまま一生ここだ。
アルナは深呼吸した。
そして、小さく右手を見つめる。
あの日。
村で炎が出た時の事を思い出す。
母さんが殺された。
血の匂い。
燃える家。
吐きそうになる怒り。
「……っ」
胸の奥が少し痛んだ。だが、それでも意識を沈める。
あの時、自分の中で何かが“切れた”。
理性とか、恐怖とか、そういうものを全部飛び越えて、ただ「殺したい」だけが残った瞬間。
アルナはゆっくり右手を握る。
(怒れ)
感情を思い出せ。
ガルドの顔。
笑っていた兵士。
母の血。じわり、と胸の奥が熱くなる。
だが――。
「……出ない」
何も起きなかった。やっぱり感情だけじゃ無いんだ。じゃあ何だ?
(……イメージ?)
アルナはぼそっと呟いた。
その瞬間、自分の中で何かが引っ掛かった。
セレスが昔言っていた言葉を思い出す。
――『魔法は想像力です』
幼かったアルナは、その時よく分かっていなかった。
詠唱して、マナを集めて、放つ。それが魔法だと思っていたからだ。
でもセレスは違った。
――『詠唱は補助です。魔法式を安定させる為のもの。けど本当に大事なのは、“どういう現象を起こしたいか”を明確に描く事なんです』
(……あ)
アルナの目が僅かに開く。あの日、自分は炎を“作ろう”とはしていなかった。
燃やしたい、と願った。
目の前の兵士を。
全部を。
焼き尽くしたいと思った。
だから炎が出た。
(試してみるか……)
アルナはそっと右手を前に出した。
周囲に誰も居ない事を確認しながら、じっと掌を見つめる。
(……水)
火より難しい気がした。
炎は分かりやすい。怒りとか熱とか、感情と直結している感じがある。
でも水は違う。
冷たい。
流れる。
柔らかい。
頭の中で必死にイメージを探す。
(水、水……)
どうやって出す?
魔法って何だ?
現象を思い描くんだろ?
アルナは眉を寄せた。
(蛇口……?)
前世の記憶が浮かぶ。
洗面所。
ひねると出てくる水。
透明な流れ。
でも何か違う気がした。
(いや、これは“道具”か)
蛇口は水を出す仕組みであって、水そのものじゃない。
もっと直接的なイメージが必要だ。
川。
雨。
井戸。
ぽた、ぽた、と落ちる水滴。
アルナは目を閉じた。
冷たい水を想像する。
手の中に溜まる感覚。
指の隙間を流れる感触。
(集まれ)
そう強く念じた瞬間。
――ひやっ。
「!?」
掌に冷たい感触が走った。慌てて目を開ける。
そこには、小さな水玉が浮かんでいた。
「で、出た……!」
直径数センチ程度の、ぷるぷる震える水の球。
次の瞬間、集中が切れた。
ぱしゃっ。
水球は崩れ、アルナの膝を濡らす。
「……」
アルナは濡れたズボンを見下ろした後、ゆっくり息を飲んだ。
(本当に無詠唱で出来た……)
喉は痛くない。
枷も反応していない。この枷は“言葉”を封じるだけだ。
頭の中で直接マナを動かすタイプの魔法には干渉できない。アルナの心臓がドクドク鳴る。
(使える……)
まだ小さい水滴程度だけど、俺は無詠唱が出来たんだ。
そこからは練習の日々だった。
休憩時間。労働の移動中。夜、周囲が寝静まった後。アルナは隠れるようにして無詠唱魔法を試し続けた。
もちろん堂々とは出来ない。
だから人気のない壁際。
資材置き場の陰。
井戸の裏。
見つかれば終わりだ。悪魔付きが無詠唱まで使えると知られれば、今度こそ地下監房行きかもしれない。
(慎重に……慎重にだ)
最初は水しか出せなかった。
小さな水滴。
豆粒みたいな水球。
それが精々だった。
しかも集中を切らすとすぐ消える。
「くそ……」
昼休憩。
石壁の陰でアルナは小さく舌打ちした。
掌に浮かべた水球は、数秒も保たず崩れてしまう。
まるで形を維持できない。
(イメージが甘いのか……?)
セレスの言葉を思い返す。
“現象を描く”。
つまり、ただ「水を出したい」じゃ駄目なんだ。
どう流れるか。
どこから出るか。
どんな速度か。
全部、頭の中で組み立てる必要がある。俺は何度も試した。
水滴を浮かべる。
細く流す。
掌の上で回転させる。
失敗。
失敗。
また失敗。
集中が切れれば消えるし、マナを使いすぎると頭痛までしてきた。
「っ……」
ある日、作業中に立ちくらみを起こして転びかけた。
「おいガキ! サボってんじゃねぇ!」
兵士に怒鳴られ、慌てて立ち上がる。
だがその時、近くの奴隷の男がぼそっと呟いた。
「顔色やべぇぞ……」
「……大丈夫です」
そう返したが、実際かなりキツかった。
(魔力切れ、か……?)
確かに最近鼻血が頻繁に出る。だが収穫もあった。
無詠唱は、“感覚”に近い。
詠唱魔法みたいに決まった言葉で発動するんじゃない。
頭の中で現象を直接組み上げる感じだ。
だから向き不向きが激しい。
炎は比較的簡単だった。
怒りと結び付きやすいから。
逆に水は難しい。
形が曖昧だから制御が不安定になる。
そして気付いた。
(俺、火属性寄りなのか……?)
試しに、小さな火をイメージしてみた時だった。
ぼっ。指先に、一瞬だけ火花が散った。
「……!」
アルナは反射的に手を引っ込める。
だが水の時と違い、明らかに発動が速かった。
(やっぱりだ)
火は出しやすい。
自分の中にある何かと噛み合っているみたいだ。
その事実に、少し嫌な気分になった。
母が死んだ時、自分は確かに「燃やしたい」と願った。
その感情が、今も根っこに残っている気がしたからだ。
「……」
アルナは黙って掌を見る。
小さな手。
五歳児の手。
なのに中身は前世持ちで、しかも悪魔付き扱い。
更には無詠唱魔法。
(ほんと、化け物みたいだな俺)
みんなが言う悪魔付きに近づいていっているような気がした。
翌日。
いつものように鐘の音で叩き起こされ、奴隷たちは中庭へ並ばされていた。
朝の空気は冷えているのに、空気そのものは妙にざわついている。
「……?」
アルナが眉を寄せた時だった。
見張り台の横に立っていた看守が、大声で叫ぶ。
「今日は新入りが来るぞ!」
ざわっ、と列の空気が揺れた。
普段、死んだ魚みたいな目をしている連中まで顔を上げる。
小声があちこちで飛び交った。
「何人だ?」
「また鉱山落ちか?」
「ガキはいるかな……」
最後の言葉に、アルナは少し顔をしかめた。
看守はニヤつきながら続ける。
「お前ら、変な気は起こすなよ。商品に傷付けたら処罰だからなぁ?」
下品な笑い声。
奴隷たちは視線を下げる。
「お前ら入ってこい!」
看守の声に合わせて、正門の方から次々と人影が入ってくる。
鎖に繋がれた男が三人。筋骨隆々の大男に、背中の曲がった老人。最後にもう一人、細身の小柄な子供が引きずられるようにして入ってきた。
アルナはその姿を見て、思わず目を細めた。
(……女?)
第一印象がそれだった。
いや、違う。よく見ると確かに服も男物だし、兵士の扱いも他の男たちと同じだ。だが、それでもぱっと見の印象が“女の子”だった。歳は俺と同じくらいで痩せていて、腕も足も華奢で、背もあまり高くない。淡い色の髪は少し長めで、顔立ちがあまりにも中性的すぎる。
男たちの間から、ざわついた声が漏れる。
「女?」
「いや、あれ……女のガキじゃねぇか……」
アルナもつられてじっと見た。すると看守が苛立ったように怒鳴る。
「こいつはこんな顔してるが男だ! ちゃんと確認した!」
「うわ、マジかよ……」
「嘘みてぇな顔してんな」
新入りの子供は、びくっと肩を震わせた。看守に引きずられるまま前へ出てくるが、顔を上げるのもおぼつかない。怯えたように視線を泳がせて、今にも泣き出しそうだ。
「……」
アルナはその様子を見て、少し眉を寄せた。
「お前ら!挨拶しろ!」
そう看守が叫ぶと新人が順番に名前を言っていく
「ガイだ」
「ジーン」
「……です」
少年は、蚊みたいな声で何か言いかけた。だが小さすぎて聞こえない。
「聞こえねぇ!」
「……ル、ルーク……です……」
やっとそう聞き取れる程度だった。
男たちの間に、妙な空気が流れる。笑う者、面白がる者、警戒する者。だが何より目立ったのは、遠巻きに見ている視線の多さだった。
アルナは内心で少し納得する。
(そりゃ、こうなるわ)
この収容所じゃ、見た目の印象なんて関係ないはずなのに、あまりにも“女の子っぽい”と、さすがに目立つらしい。
看守は乱暴にルークの背を押した。
「こいつは今日からここだ。余計なことすんな。殴るな、殺すな、売り物に傷付けるな。以上だ」
最後の一言だけ妙に強く言ってから、看守は去っていく。
残された新入りたちは、所在なさげに立っていた。
大男は不機嫌そうに腕を組み、老人は黙ったまま壁際へ行く。ルークだけが、どうしていいか分からないみたいにその場に突っ立っていた。
その時、ルークがふらついた。
「……っ」
身体が揺れ、膝が折れかける。すぐに近くの男が舌打ちした。
「おい、邪魔だ」
ルークは慌てて頭を下げる。
「す、すみません……」
声まで小さい。アルナはその様子を見て、思わず少しだけ目を細めた。
(……俺より怯えてるじゃねぇか)
ルークは周囲を見渡して、完全に居場所を失った顔をしている。誰も近づかない。誰も声をかけない。空気の端っこに押しやられたみたいだった。
やがて、ルークの視線がふとアルナに向く。
ぱち、と目が合った。
ルークは一瞬びくっとしたが、すぐに視線を逸らした。だが、そのあと何度かちらちらこちらを見てくる。
アルナは少しだけ首を傾げる。
(……何だ)
しばらくして、朝礼の続きが始まる。だがアルナの耳にはあまり入らなかった。視界の端で、ルークが落ち着かないまま立っているのが気になる。
その細い肩。
ぎこちない動き。
怯えた目。
あまりにも新入り臭が強すぎた。
男たちの一部がもう興味を持ち始めている。
「おい、あのルークってやつ、ほんとに男か?」
「声ちっさすぎだろ」
「顔だけなら完全に女だな」
「やめろよ、変な目で見んなって」
笑い混じりの声。だが、それが余計にルークを縮こまらせる。アルナは小さく息を吐いた。
(……面倒なのが来たな)
それでも、収容所の中で新しい顔が増えるのは、少しだけ空気が動く感じがした。最悪の場所でも、停滞しきっているよりはましだ。
ルークはまだ、自分がどこに放り込まれたのか分かっていない顔をしている。
その様子を見ながら、アルナはぼんやり思った。
(あいつ、すぐ潰れそうだな)
それが俺が最初に抱いたルークの印象だった。




