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やり直し転生  作者: 爪楊枝
第一章 始まり
14/24

十三話 無詠唱

あれから一週間が経った。


朝は外の鐘で叩き起こされ、全員で中庭に整列する。当然、俺の周りには誰も寄って来ない。兵士ですら必要以上に近づきたがらなかった。


朝礼が終わるとすぐ朝食になる。内容は薄いスープに硬いパンが一切れだけ。


「……少な」


思わず呟いたら、配給していた兵士に睨まれた。


「嫌なら食うな」


俺はパンを受け取り、部屋の端へ移動する。勿論、近くには誰も来ない。最初は視線が鬱陶しかったが、一週間も経つと慣れてきたし、むしろ静かで楽だった。


(まさか前世のボッチ飯スキルがこんな所で活きるとはな……)


少しだけ虚しくなった。


男性棟の連中は、未だに俺を化け物扱いしている。最初の三日は露骨だった。「目を合わせるな」とか、「寝てる間に呪われる」とか、本気で言ってる奴までいた。


でも最近は少し変わった。正確には、慣れたのだろう。


人間ってのは環境に慣れる生き物だ。俺が誰も食わないし、呪いも撒き散らさないと分かると、連中も多少は落ち着いた。ただし距離は取られる。半径二メートルくらい。


朝飯が終わると、すぐ労働が始まる。


内容は日によって違った。ツルハシを持たされて変な鉱石を掘らされたり、木箱を運ばされたり、畑仕事をやらされたり。本当に色々だ。


俺はまだ五歳だからか、比較的軽い仕事が多かった。と言っても楽ではない。畑仕事だって普通にきつい。


泥だらけの畝を歩きながら雑草を抜き、水を撒き、腐りかけの野菜を運ぶ。太陽は容赦なく照りつけるし、腰は痛いし、虫は飛んでくる。


しかも監視付きだ。


「サボるな!」


怒鳴り声が飛ぶたび、あちこちで肩が震える。


畑は珍しく男女合同だった。ちらほら女性もいる。だが全員、驚くほど目が死んでいた。


痩せ細った女。

泥だらけの少女。

赤ん坊を失ったみたいな顔をしてる人までいる。


誰も喋らない。ただ黙々と手を動かしていた。


(……空気重すぎるだろ)


アルナは水桶を抱えながら周囲を見る。


そこで、ふと違和感に気づいた。


男女比がおかしい。


男は収容所のあちこちで見かける。採掘場、資材運び、鍛冶場みたいな場所でも働いている。でも女はほとんど畑にしかいない。しかも人数自体がかなり少なかった。


(どっか別の建物で働いてんのか……?)


そう思って周囲を見渡すが、それらしい施設は見当たらない。


その時、近くで作業していた男たちの話し声が聞こえてきた。


「はぁ……畑仕事もきちぃな」

「文句言うな。女見れるだけ俺たちは幸福だろ」

「それにしても女少なくねぇか?」

「女はすぐ売れるからな」


土を耕していた男が、吐き捨てるみたいに言った。


「若くて見た目がマシなら高く売れる。ここに長く残る方が珍しい」

「あー……なるほどな」


何とも世知辛い話だった。アルナは小さく顔をしかめる。


つまり、この収容所は“置き場”なんだ。商品を一時的に集めて、選別して、売る。その中で女は回転が早いということか。妙に納得してしまって嫌だった。


昼の時間になると、収容所の中央にある鐘が鳴った。


ゴォン……ゴォン……と重たい音が響き、あちこちで作業していた奴隷たちが一斉に手を止める。


「昼だ! 集まれ!」


兵士の怒鳴り声に押されるように、全員が畑脇の広場へ集められていく。

そして配られた昼飯を見て、アルナは真顔になった。


「……芋?」


木皿の上に乗っていたのは、蒸しただけの芋が二つ。味付け? そんな高級品は存在しない。

アルナは芋を見つめながら、ぼんやり思った。


(マヨネーズが欲しい……)


前世では別にそこまで好きじゃなかったのに、人間、失って初めて気づくものだ。

隣で飯を受け取っていた男がぼそっと言う。


「芋か……、今日は当たりだ」

「スープだけの日もあるからな」


終わっている。

昼飯の時間は休憩も兼ねているらしく、朝や夜に比べると空気がかなり緩かった。


男たちは自然といくつかのグループに分かれて座り込み、愚痴を言ったり、情報交換したりしている。


「鉱山の第三坑道、また崩れたらしいぞ」

「昨日三人埋まったってよ」

「うわぁ……」


笑えない話なのに、みんな乾いた顔で笑っていた。

一方で、部屋に戻って昼寝している奴もいる。壁際で座ったまま寝てる奴までいた。


この時間だけは、多少自由があるみたいだった。もっとも、“自由”と言っても収容所の中だけだが。


アルナは広場の隅に座り、芋を齧る。

ぼそっ、とした食感。味はほぼ無い。でも空腹のせいで普通に美味く感じるのが悔しい。


(塩……せめて塩くれ……)


休憩が終わると、またすぐ労働が始まった。午前中と同じだ。荷物を運び、畑を耕し、水を撒き、腐りかけた野菜を抱えて歩き回る。


太陽は昼を過ぎても全然容赦がなかった。

じりじり肌を焼かれる感覚に、アルナは顔をしかめる。


「……暑っ」


汗が額からぽたぽた落ちる。服はもう泥と汗で酷い状態だった。


周囲を見れば、みんな似たような顔をしている。疲れ切って、無言で、ただ手だけを動かしている。


逃げ出そうとする奴はいない。正確には、逃げられないのだ。


高い壁。見張り塔。巡回する兵士。


収容所の外へ出られる気がしない。


(ほんと要塞だなここ……)


アルナは木箱を抱え直しながら周囲を観察する。


最近は、労働しながら施設の構造を見るのが癖になっていた。


どこに兵士が多いか。

誰が偉いのか。

どの時間に人が減るのか。全部、生き残るためだ。


「おいガキ! ぼーっとすんな!」


怒鳴られて、アルナは慌てて前を見る。

睨まれたと思ったのか、近くの男たちがスッと距離を取った。


(だから何でそんな避けるんだよ……)


もう慣れたとはいえ、地味に傷つく。やがて夕方になると、再び鐘が鳴った。


ゴォン……という音が収容所全体へ広がる。


その瞬間、あちこちで小さな安堵の空気が漏れた。


「終わりだ……」

「今日も死ぬかと思った……」


奴隷たちは重い足取りで道を歩き始める。

向かう先は中央の井戸だった。


石造りの大きな井戸の周囲には既に列ができている。みんな、泥と汗にまみれた身体を洗うために並んでいた。


当然、水は冷たい。


「っ……!」


頭から水を被った瞬間、アルナは肩を震わせた。

冷水が泥を流していく。腕の擦り傷が少し痛む。


周囲では男たちが無言で身体を洗っていた。喋る気力すら残ってないらしい。

中にはそのまま地面に座り込む奴までいる。


アルナも手で顔を擦りながら息を吐いた。


(……疲れた)


前世でも学校帰りに疲れる事はあった。でもこれは種類が違う。生きるための疲労だ。


一日働かされ、最低限の飯を食い、寝る。また朝になれば働く。


その繰り返し。


アルナは男性棟の隅、自分に与えられた寝床――ベッドというより、ほぼ布切れみたいな場所に寝転がった。


薄い布一枚。

硬い床。

周囲から聞こえる鼾と咳。最悪の環境だった。

天井を見つめながら、アルナはぼんやり考える。


(……村に戻らないと)


焼け跡になっているかもしれない。

もう誰もいないかもしれない。それでも、戻りたかった。母のいた場所だし何より神が言っていた


神のかけら。あれを集めれば母さんを生き返らせられる。だから俺は村に戻らないと行けない。


「……どうやって」


小さく呟く。


脱走。考えなかったわけじゃない。むしろ毎日考えている。だが現実的じゃなかった。


高い壁。大量の兵士。何より――。


アルナは自分の手首を見る。


そこには黒い金属製の枷が嵌められていた。表面には見慣れない記号が刻まれている。


冷たくて、重い。


収容所へ入れられた翌日の事を思い出す。


***


――『お前、魔法使えるんだったな?』


看守の男が、嫌そうな顔でアルナを見下ろしていた。


――『だったら何だよ?』


疲れていたせいもあって、つい口が悪くなった。

すると看守の眉が吊り上がる。


――『あぁ? 何だその口の利き方――』


その瞬間、隣にいた男が慌てて口を挟んだ。


――『やめとけ。このガキ、悪魔付きだぞ』


空気が変わった。看守は一瞬黙り込み、それから露骨に距離を取った。


――『……そうだったな』


嫌そうに舌打ちしてから、看守は箱の中を漁る。

そして取り出したのが、この枷だった。


――『魔法が使える奴はこれを嵌めなきゃならねぇ』


アルナは眉をひそめる。


――『何だよこれ』

――『魔道具だ。詠唱を出来なくする』


その言葉に、アルナは目を見開いた。


――『無詠唱が出来る奴は、魔力そのものを封じる魔道具が必要なんだが……』


看守はアルナを見下ろして、少し馬鹿にしたように笑う。


――『お前、無詠唱は出来ねぇんだろ? だったらこれで十分だ』


「……」


***


反論はできなかった。確かに俺は無詠唱魔法が使えない。

魔法を発動するには、どうしても詠唱が必要だった。実際、この枷を付けられてから一度試した事がある。


夜中、周囲が寝静まった後。小声で詠唱しようとした瞬間、喉に焼けるみたいな激痛が走り、声が出なくなったのだ。


(あれはマジで痛かった……)


アルナは思い出して顔をしかめる。

つまり今の自分は、実質ただの五歳児だ。


力もない。

魔法も使えない。

頼れる奴もいない。


「詰んでね……?」


小さく呟いた直後、自分で自分の顔をしかめた。


(……いや、だめだ)


弱気になるな。アルナは両手で顔を覆い、そのまま深く息を吐く。


(だめだだめだ! 考えろ!)


思考を止めたら終わりだ。


ここは収容所だ。誰も助けてくれない。泣こうが喚こうが、死ぬ時は普通に死ぬんだ。


だったら頭を使うしかない。

アルナは薄暗い天井を睨みながら、今まで見たものを整理していく。


(門は正面と裏で二つ。見張り塔は四つ。夜も兵士が巡回してる)


逃げ道は少ない。


(穴を掘るか?)


アルナはすぐに首を振った。


そんなの、絶対に途中でバレる。そもそも俺は五歳児だ。体力も筋力も足りない。スプーンで地面を掘って脱獄する囚人映画じゃあるまいし、現実的じゃない。


(魔法も使えないし……)


アルナは手首の枷を見る。


黒い金属。

刻まれた記号。

鬱陶しいほど重い存在感。


無詠唱さえ出来れば――。


そこで、ふとアルナは思い出した。


(……待てよ)


脳裏に、あの日の光景が浮かんだ。


森。

燃える村。

怒号。

そして、自分の手から放たれた炎。


ガルドの部下の顔を焼いた時。


(……俺、詠唱したっけ?)


アルナは眉を寄せる。

必死だったから記憶が曖昧だ。でも思い返せば、あの時はまともに詠唱なんてしていなかった気がする。


いや。してない。確かに、してなかった。


(……何で?)


心臓が少しだけ速くなる。普通、魔法には詠唱が必要だ。


マナを制御するための言葉。

魔法式を安定させるための工程。


セレスにもそう教わった。

なのに、あの時の自分は感情のままに炎を出した。詠唱無しで。


「……」


アルナはゆっくり身体を起こした。

周囲では奴隷たちが眠っている。鼾。咳。歯軋り。暗い空気。


だが今、アルナの頭の中はそれどころじゃなかった。


(考えろ)


脱出の糸口が、そこにある気がした。

あの時の自分は普通じゃなかった。


怒り。

殺意。

喪失感。


全部がごちゃ混ぜになって、頭の中が真っ白だった。その瞬間、魔法が勝手に出た。


(感情……?)


いや、違う。それだけじゃ説明できない。


もし感情だけで無詠唱が出来るなら、世の中の魔法使いはみんなブチギレながら魔法撃ってる。


アルナは唇を噛む。考えろ考えろ。


そして、翌日


***


アルナは昼休憩になると、広場の隅へ向かっていた。


幸い、俺はいつも一人だ。誰も近寄って来ない。悪魔付き扱いも、こういう時だけは便利だった。


石壁の陰。周囲から少し死角になる場所にしゃがみ込み、アルナは膝を抱える。


(……試すしかない)


もちろん危険だ。もし騒ぎになれば兵士も飛んで来るだろう。

でも何もしなければ、俺はこのまま一生ここだ。


アルナは深呼吸した。

そして、小さく右手を見つめる。


あの日。

村で炎が出た時の事を思い出す。


母さんが殺された。

血の匂い。

燃える家。

吐きそうになる怒り。


「……っ」


胸の奥が少し痛んだ。だが、それでも意識を沈める。

あの時、自分の中で何かが“切れた”。


理性とか、恐怖とか、そういうものを全部飛び越えて、ただ「殺したい」だけが残った瞬間。

アルナはゆっくり右手を握る。


(怒れ)


感情を思い出せ。


ガルドの顔。

笑っていた兵士。

母の血。じわり、と胸の奥が熱くなる。


だが――。


「……出ない」


何も起きなかった。やっぱり感情だけじゃ無いんだ。じゃあ何だ?


(……イメージ?)


アルナはぼそっと呟いた。


その瞬間、自分の中で何かが引っ掛かった。

セレスが昔言っていた言葉を思い出す。


――『魔法は想像力です』


幼かったアルナは、その時よく分かっていなかった。

詠唱して、マナを集めて、放つ。それが魔法だと思っていたからだ。


でもセレスは違った。


――『詠唱は補助です。魔法式を安定させる為のもの。けど本当に大事なのは、“どういう現象を起こしたいか”を明確に描く事なんです』


(……あ)


アルナの目が僅かに開く。あの日、自分は炎を“作ろう”とはしていなかった。


燃やしたい、と願った。


目の前の兵士を。

全部を。

焼き尽くしたいと思った。


だから炎が出た。


(試してみるか……)


アルナはそっと右手を前に出した。

周囲に誰も居ない事を確認しながら、じっと掌を見つめる。


(……水)


火より難しい気がした。


炎は分かりやすい。怒りとか熱とか、感情と直結している感じがある。

でも水は違う。


冷たい。

流れる。

柔らかい。


頭の中で必死にイメージを探す。


(水、水……)


どうやって出す?

魔法って何だ?

現象を思い描くんだろ?


アルナは眉を寄せた。


(蛇口……?)


前世の記憶が浮かぶ。

洗面所。

ひねると出てくる水。

透明な流れ。


でも何か違う気がした。


(いや、これは“道具”か)


蛇口は水を出す仕組みであって、水そのものじゃない。

もっと直接的なイメージが必要だ。


川。

雨。

井戸。


ぽた、ぽた、と落ちる水滴。

アルナは目を閉じた。


冷たい水を想像する。

手の中に溜まる感覚。

指の隙間を流れる感触。


(集まれ)


そう強く念じた瞬間。


――ひやっ。


「!?」


掌に冷たい感触が走った。慌てて目を開ける。

そこには、小さな水玉が浮かんでいた。


「で、出た……!」


直径数センチ程度の、ぷるぷる震える水の球。

次の瞬間、集中が切れた。


ぱしゃっ。


水球は崩れ、アルナの膝を濡らす。


「……」


アルナは濡れたズボンを見下ろした後、ゆっくり息を飲んだ。


(本当に無詠唱で出来た……)


喉は痛くない。

枷も反応していない。この枷は“言葉”を封じるだけだ。


頭の中で直接マナを動かすタイプの魔法には干渉できない。アルナの心臓がドクドク鳴る。


(使える……)


まだ小さい水滴程度だけど、俺は無詠唱が出来たんだ。


そこからは練習の日々だった。


休憩時間。労働の移動中。夜、周囲が寝静まった後。アルナは隠れるようにして無詠唱魔法を試し続けた。


もちろん堂々とは出来ない。


だから人気のない壁際。

資材置き場の陰。

井戸の裏。


見つかれば終わりだ。悪魔付きが無詠唱まで使えると知られれば、今度こそ地下監房行きかもしれない。


(慎重に……慎重にだ)


最初は水しか出せなかった。

小さな水滴。

豆粒みたいな水球。

それが精々だった。


しかも集中を切らすとすぐ消える。


「くそ……」


昼休憩。

石壁の陰でアルナは小さく舌打ちした。

掌に浮かべた水球は、数秒も保たず崩れてしまう。

まるで形を維持できない。


(イメージが甘いのか……?)


セレスの言葉を思い返す。


“現象を描く”。


つまり、ただ「水を出したい」じゃ駄目なんだ。


どう流れるか。

どこから出るか。

どんな速度か。


全部、頭の中で組み立てる必要がある。俺は何度も試した。


水滴を浮かべる。

細く流す。

掌の上で回転させる。


失敗。

失敗。

また失敗。


集中が切れれば消えるし、マナを使いすぎると頭痛までしてきた。


「っ……」


ある日、作業中に立ちくらみを起こして転びかけた。


「おいガキ! サボってんじゃねぇ!」


兵士に怒鳴られ、慌てて立ち上がる。

だがその時、近くの奴隷の男がぼそっと呟いた。


「顔色やべぇぞ……」

「……大丈夫です」


そう返したが、実際かなりキツかった。


(魔力切れ、か……?)


確かに最近鼻血が頻繁に出る。だが収穫もあった。


無詠唱は、“感覚”に近い。


詠唱魔法みたいに決まった言葉で発動するんじゃない。

頭の中で現象を直接組み上げる感じだ。


だから向き不向きが激しい。


炎は比較的簡単だった。

怒りと結び付きやすいから。


逆に水は難しい。

形が曖昧だから制御が不安定になる。


そして気付いた。


(俺、火属性寄りなのか……?)


試しに、小さな火をイメージしてみた時だった。


ぼっ。指先に、一瞬だけ火花が散った。


「……!」


アルナは反射的に手を引っ込める。

だが水の時と違い、明らかに発動が速かった。


(やっぱりだ)


火は出しやすい。


自分の中にある何かと噛み合っているみたいだ。


その事実に、少し嫌な気分になった。


母が死んだ時、自分は確かに「燃やしたい」と願った。

その感情が、今も根っこに残っている気がしたからだ。


「……」


アルナは黙って掌を見る。


小さな手。

五歳児の手。


なのに中身は前世持ちで、しかも悪魔付き扱い。

更には無詠唱魔法。


(ほんと、化け物みたいだな俺)


みんなが言う悪魔付きに近づいていっているような気がした。


翌日。


いつものように鐘の音で叩き起こされ、奴隷たちは中庭へ並ばされていた。


朝の空気は冷えているのに、空気そのものは妙にざわついている。


「……?」


アルナが眉を寄せた時だった。

見張り台の横に立っていた看守が、大声で叫ぶ。


「今日は新入りが来るぞ!」


ざわっ、と列の空気が揺れた。


普段、死んだ魚みたいな目をしている連中まで顔を上げる。

小声があちこちで飛び交った。


「何人だ?」

「また鉱山落ちか?」

「ガキはいるかな……」


最後の言葉に、アルナは少し顔をしかめた。


看守はニヤつきながら続ける。


「お前ら、変な気は起こすなよ。商品に傷付けたら処罰だからなぁ?」


下品な笑い声。

奴隷たちは視線を下げる。


「お前ら入ってこい!」


看守の声に合わせて、正門の方から次々と人影が入ってくる。


鎖に繋がれた男が三人。筋骨隆々の大男に、背中の曲がった老人。最後にもう一人、細身の小柄な子供が引きずられるようにして入ってきた。


アルナはその姿を見て、思わず目を細めた。


(……女?)


第一印象がそれだった。


いや、違う。よく見ると確かに服も男物だし、兵士の扱いも他の男たちと同じだ。だが、それでもぱっと見の印象が“女の子”だった。歳は俺と同じくらいで痩せていて、腕も足も華奢で、背もあまり高くない。淡い色の髪は少し長めで、顔立ちがあまりにも中性的すぎる。


男たちの間から、ざわついた声が漏れる。


「女?」

「いや、あれ……女のガキじゃねぇか……」


アルナもつられてじっと見た。すると看守が苛立ったように怒鳴る。


「こいつはこんな顔してるが男だ! ちゃんと確認した!」

「うわ、マジかよ……」

「嘘みてぇな顔してんな」


新入りの子供は、びくっと肩を震わせた。看守に引きずられるまま前へ出てくるが、顔を上げるのもおぼつかない。怯えたように視線を泳がせて、今にも泣き出しそうだ。


「……」


アルナはその様子を見て、少し眉を寄せた。


「お前ら!挨拶しろ!」


そう看守が叫ぶと新人が順番に名前を言っていく


「ガイだ」

「ジーン」

「……です」


少年は、蚊みたいな声で何か言いかけた。だが小さすぎて聞こえない。


「聞こえねぇ!」

「……ル、ルーク……です……」


やっとそう聞き取れる程度だった。


男たちの間に、妙な空気が流れる。笑う者、面白がる者、警戒する者。だが何より目立ったのは、遠巻きに見ている視線の多さだった。


アルナは内心で少し納得する。


(そりゃ、こうなるわ)


この収容所じゃ、見た目の印象なんて関係ないはずなのに、あまりにも“女の子っぽい”と、さすがに目立つらしい。


看守は乱暴にルークの背を押した。


「こいつは今日からここだ。余計なことすんな。殴るな、殺すな、売り物に傷付けるな。以上だ」


最後の一言だけ妙に強く言ってから、看守は去っていく。

残された新入りたちは、所在なさげに立っていた。


大男は不機嫌そうに腕を組み、老人は黙ったまま壁際へ行く。ルークだけが、どうしていいか分からないみたいにその場に突っ立っていた。


その時、ルークがふらついた。


「……っ」


身体が揺れ、膝が折れかける。すぐに近くの男が舌打ちした。


「おい、邪魔だ」


ルークは慌てて頭を下げる。


「す、すみません……」


声まで小さい。アルナはその様子を見て、思わず少しだけ目を細めた。


(……俺より怯えてるじゃねぇか)


ルークは周囲を見渡して、完全に居場所を失った顔をしている。誰も近づかない。誰も声をかけない。空気の端っこに押しやられたみたいだった。


やがて、ルークの視線がふとアルナに向く。

ぱち、と目が合った。


ルークは一瞬びくっとしたが、すぐに視線を逸らした。だが、そのあと何度かちらちらこちらを見てくる。


アルナは少しだけ首を傾げる。


(……何だ)


しばらくして、朝礼の続きが始まる。だがアルナの耳にはあまり入らなかった。視界の端で、ルークが落ち着かないまま立っているのが気になる。


その細い肩。

ぎこちない動き。

怯えた目。


あまりにも新入り臭が強すぎた。

男たちの一部がもう興味を持ち始めている。


「おい、あのルークってやつ、ほんとに男か?」

「声ちっさすぎだろ」

「顔だけなら完全に女だな」

「やめろよ、変な目で見んなって」


笑い混じりの声。だが、それが余計にルークを縮こまらせる。アルナは小さく息を吐いた。


(……面倒なのが来たな)


それでも、収容所の中で新しい顔が増えるのは、少しだけ空気が動く感じがした。最悪の場所でも、停滞しきっているよりはましだ。


ルークはまだ、自分がどこに放り込まれたのか分かっていない顔をしている。

その様子を見ながら、アルナはぼんやり思った。


(あいつ、すぐ潰れそうだな)


それが俺が最初に抱いたルークの印象だった。

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