019 魔道具
震える唇を動かし紡いだ問いかけに、青年からは怪訝な声があがった。まあ、当然の反応だと思う。私も彼の立場なら、きっと同じように聞き返したと思う。
無意識に鏡に顔を近づけ、まじまじと映り込んでいる少女を見やる。
……それにしてもなんていうか、この“少女“って……
「わけの分かんねぇこと言ってねェでさっさとシャワー浴びて、はよ上がってこいや。飯、もうできるぞ」
「あぁ、うん、……ごめんね……」
テーブルに食器類を運んでいるような音と共に、やや大きい声が返された。ごもっともな意見が、疑問符が飛び散る脳裏をよぎる。
そうだ、青年の言う通り、さっさシャワーを浴びてご飯を頂くのが最優先だ。考えるのはあとにしよう。折角、私の分まで作ってくれているのだから、と無理やり意識をそちらに向けて、シャワーヘッドを左手に持ち、右手で蛇口をひねった。
「……?」
お湯が出てこない。ちゃんと“赤い目印”が入った方を、もう少しひねってみる。変化なし。試しに青い目印が入った方もひねってみたけれど、こちらも同じだった。
えっもしかして故障してる? 今日の私、不運に見舞われすぎでは……? 神様、ちょっと物申したいです。
自分の顔からスンと表情が抜け落ちたのがわかる。非常に悲しく空しい気持ちを胸に、のそのそと脱衣所へと戻るしかなかった。もう一度着るには、抵抗のある服をしぶしぶと着なおし、部屋へと戻るドアノブをひねる。
あ、とりあえず、蛇口は二つとももとに戻しておきましたよ。
「ンだよ、結局入らなかったのか?」
「……せいねーん……とっても、悲しいお知らせがあります」
「は? なんだよ」
ドアを開け、顔を覗かせればすぐさま私に気づいた青年から声がかかる。器用に片方の眉を上げ、顔全体で「なんでだよ」と問いかけてきている。素直でいいなぁ。
そんな表情豊かな青年につられて、私の眉も心情と同じように下がっている気がする。
「お湯が出ない」
「あ”?! おい、嘘だろ、この間直したばっかだぞ!?」
「わたしに言われましてもぉ~」
といか私だった嘘だと思いたい。シャワー浴びたい!
悲しすぎる現実を告げれば、青年も大いにショックを受けたようだ。狼狽えた様子で、手に持っていたコップをテーブルに置き、こちらへ向かってくる。
ドアノブに大きな手がかかったところで、彼はふと何かに気づいたように動きを止めた。
近い距離で目が合う。ちょっと表情が硬くなったように見えるけど、なんで?
「待て、お前今どうなってんだ」
「大丈夫。ちゃんと服着てます」
「ならよし。おら、ちょっとどいてろ」
ほっとした様子でドアを開けて入ってきた青年に、素直に場所を譲る。
キッチンから流れてきた食欲をそそる香りに、朝から何も食べていないお腹が急にその事を思い出して「キュルル~」と物悲しい音を立てた。咄嗟に両手で押さえるけれど、そんなことで鳴りやんだら学生時代に苦労はしなかった。
「ぶふっ! っふ、随分といい音させてんなァ」
この至近距離では当然、青年の耳にも届いてしまうわけで。それはもう盛大に噴き出された。蛇口を確認するためにしゃがみ込んだ大きな背中が、小刻みに揺れている。
私は顔を手で覆うしかなかった。恥ずかしすぎる。よりによって、推しにこんな情けない音を聞かれるなんて……!
起きてから何も食べてないの知ってるのに、そんなに笑わなくても……!
両手で無駄に血流の良い顔に風を送っていると、「ザァァアア」という水音が聞こえた。青年の肩越しに顔を覗かせると、当たり前のようにシャワーヘッドからお湯が出ている。
「ちゃんと出るじゃねェか。びっくりさせんなや」
「えっ? でも、さっきは……」
「よかったァ」と、心底ほっとしたように呟きながら、お湯を止める青年。
彼の後ろで私は戸惑うしかなかった。壊れていないなら、なんで出なかったんだろう? 青年も私と同じ動きしかしていないのに。
びっくりさせるつもりはもちろんなかったし、嘘はついていない。さっきは本当に出なかったもの。でも、理由がわからないから、青年に説明すらできない。
「ちょっと代わってもらっていい?」
「おー」
なら、実践あるのみ。
そう思って青年と場所を代わってもらった。青年にもしっかり見えるようにと、蛇口の前にしゃがみ込んで、よしと一つ気合を入れる。出てほしいような、出てほしくないような。シャワーを浴びたい気持ちと、嘘をついてないと証明したい気持ちが拮抗する中、先ほどの青年と同じように“赤い目印”がついた方の蛇口をひねってみた。
「……なんでぇ?」
「なんで、ってお前……」
ちょっとオーバーなくらいひねったのに、一滴たりともお湯は出てこない。青年に「嘘じゃない」と証明できたことは、良かったと思うけどそれにしたって、一体なにが違うんだ。
盛大な疑問符を飛ばしながら項垂れる。すると後ろから、心底呆れたような声が降ってきた。原因を知っていそうなその口調に、しゃがみ込んだまま青年を見上げる。
「そりゃ魔力を込めてねェのに、『魔道具』が動くわけねェだろ」
「まどうぐ」
当たり前だろうが、と青年の表情が物語る。
聞き覚えがあるような、ないような……いや、あるわ。一応、何となくの知識は持ってる。
だってファンタジー系のRPGや小説、漫画とかが好きだったんだもの。
この世界では実在するのかぁと思いながら蛇口をまじまじと見つめながら、オウムのように気になる単語だけを拾って繰り返すと、なぜだか青年が黙り込んだ。
それにしても、このどう見てもごく一般的な、蛇口が、『魔道具』……? いや、魔力を原動力として動く装置のことを『魔道具』っていうんなら、そりゃそうなんだろうけど。なんか地味だな。
『魔道具』ってもっとこう……『結界』とか『ワープ装置』とか、そういう派手で大がかりなイメージだった。
『魔道具』なんて大層なものにはまるで見えない。ファンタジー好きなオタクの心がときめかない。むしろ、一番最初に見た『魔道具』がこれかぁ……と、ちょっと残念である。
あとファンタジー好きとしては、もうちょっとこう“分かりやすい“見た目をしてても良いと思う。個人的な意見だけど。
「……さすがに、コレが何かは知ってるよな?」
「え? お湯が出る方と、お水が出る方を見分けるための飾りじゃないの?」
ぬっと後ろから伸びてきた手が、蛇口の上部にある赤い部分を爪で叩く。素直に思っていることを口に出せば、青年が「冗談だろ……」と呟いた。
あっ。もしかして、その部分がいわゆる『核』ってやつなんだろうか。よく見れば赤い部分はただのペイントではなく、ガラスの欠片みたいなものが埋め込まれていた。
「お前それマジで言ってんのか……? いくら世間知らずなお嬢様でも、さすがに“これ”は知らないと可笑しいだ。一般常識の前にむしろどうやったら知らずに生きてこれんだよ……今まで幽閉でもされてたんか??」
混乱しているのか、口数が多くなっている青年の言葉のチョイスに場違いにもクスっと笑ってしまう。
幽閉て。物騒だけど、監禁じゃないのがなんかいいなぁ。
あ、でも待って、なんか青年自分で言った言葉に一人で納得してない? そんなのされてないよ! 私、これでも元気に生きてきたよ!
「電気とガスのお世話になっておりました」
「デンキトガス?」
発音、というか今ひとまとめにしたな? ってそれよりも、気がかりなことがある。さっきから薄っすらと漂ってくる、この匂いは……
「なんか焦げ臭くない?」
「あ“っ!」
私の指摘に、青年が慌ててキッチンへと駆けていった。
一人ポツンと残されたシャワールームで、そっと蛇口の赤い部分を撫でてみる。綺麗に加工されているため、指に引っかかるところもなくツルリとした感触。
魔力……魔力ねぇ……?
地球生まれ日本育ちの私に、あるわけないとは思うんだけど、現在進行形で“あるわけない”状況を更新中だしなぁ……。
もしかしたら、世界を渡ったことで何か違う力が付与されてるかも……?
先ほど鏡で見た“少女”の姿を思い出し、そういう可能性があることに気づいた。
「転生」「転異」系の話では割とある話だし……もしかしたら、ワンチャンあるかもしれない。っていうか、されてたらいいなぁ。欲を言えば、攻撃系のスキルよりも、もっと日常に役立つ便利なのがいい。
そんな邪な思いを胸に、赤い部分を見つめ……なんか……こう……、…………?
……そもそも「魔法」を使う感覚がわからない。「魔力を込める」ってどうやったらできるの? 念じてみたらいいんでしょうかね?
「シャワーよ、お願いですからお湯を出してくださいっ」
……うん、やっぱないわ。私ごときが世界を渡ったところで、「魔力」とか凄いものを授かるわけがなかった。悲しい。
つい無意識に胸の前で組んでいた、お祈りのポーズを解いて項垂れる。
「……とりあえず、飯にすっぞ」
「……はぁい」
青年がいつの間にか戻ってきていたらしい。呆れを含んだような声に、今の動きを見られていたのかと思うと、恥ずかしすぎて顔から火が出そうだ。思わず両手で顔を覆った。突き刺さる「可哀想なものを見るような視線」が、なんとも痛かった。




