第9話:琥珀の脱皮と執愛の抱擁
黄金のログハウスの一室。そこは今、生命の拍動と、焦げ付くような魔力の熱気に満たされていた。
アレンは、クゥが用意した清潔なベッドの上で激しく身悶えていた。
前回の戦闘で無理やり引き出した「人間の上半身」。その肉体は、マスコットへと引き戻そうとする呪いの力と、内側から溢れ出す王族の魔力との間で激しく衝突し、アレンの体温を異常なまでに上昇させていた。
「あ、はぁ……っ! 身体が、焼けるみたいだ……」
黄金の毛皮の下から、覗く人間の肌が赤く上気している。首の鎖は、主人の苦しみを嘲笑うかのように、ドクドクと紫と赤の拍動を繰り返していた。
「アレン! しっかりして、今、冷却術式を組んでいるから……!」
ルナが真っ青な顔で、幾重もの魔法陣を展開する。だが、その藍色の魔力はアレンの肌に触れる手前で、呪いの鎖が放つ拒絶の波動に弾き飛ばされてしまう。
「……どきなさい、泥棒人間。貴女の冷たい理屈じゃ、アレン様のこの『熱』は鎮められないわ」
背後から、低く、しかし確信に満ちた声が響いた。
ミーシャだった。彼女の瞳は、爬虫類特有の縦長の瞳孔を細め、獲物を見つめるような熱を帯びている。
「何を言っているの! 私は宮廷魔導士よ、医学的なアプローチなら――」
「アレン様が求めているのは、知識じゃない。……私の、体温よ」
ミーシャはルナの肩を強引に掴み、部屋の外へと押し出した。
「ミーシャ! 何をするの、離しなさい!」
「ピー、クゥ! この女を抑えて。……今から、ラミア族の秘術を施すわ。……誰にも、邪魔させないで」
外にいたピーとクゥが、複雑な表情を浮かべつつもルナの腕を掴む。
「放して! アレンが……アレンが危ないのよ!」
「……ルナ、今はミーシャに任せよう。あいつ、今日のために『脱皮』を遅らせてたんだ」
クゥの言葉と共に、部屋の扉が固く閉ざされ、ミーシャの魔力による結界が張られた。
静寂が訪れた寝室で、ミーシャはゆっくりと自分の服――ボロボロの布切れを脱ぎ捨てた。
彼女の白い肌には、真珠のような光沢を放つ「古い皮」が浮き上がっている。ラミア族にとって、脱皮は全魔力を更新する神聖な儀式であり、その瞬間に排出される「琥珀の膜」は、あらゆる熱を吸収し、生命力を活性化させる究極の癒やしとなる。
「アレン様……。苦しいのは、すぐ終わらせてあげますからね……」
ミーシャは、熱に浮かされるアレンの体へと、這いずるようにして重なった。
下半身の蛇体がアレンの足を絡め取り、上半身の柔らかい膨らみがアレンの胸に押し当てられる。
『……ミーシャ……? なに、を……』
「……『琥珀の脱皮』です。私の全てを脱ぎ捨てて、貴方様を包み込む……。ふふ、見てください。私の新しい肌……綺麗でしょう?」
ミーシャが身悶えると、古い皮が音を立てて裂け、中から瑞々しく、透き通るような新しい肌が露わになった。脱皮の瞬間に溢れ出す濃密なフェロモンと魔力が、部屋の空気を琥珀色に染め上げる。
彼女はその「脱ぎたての皮」――温かく、吸い付くような膜で、アレンの火照った肉体を隙間なく包み込んでいった。
「……あ、あぁ……。冷たくて……気持ちいい……」
アレンの意識が、ミーシャの冷血動物特有の心地よい冷たさに沈んでいく。
だが、ミーシャの指先は、単なる看病に留まらなかった。
彼女はアレンの耳元に唇を寄せ、熱い吐息を吹きかける。
「アレン様……。あの人間の女には、こんなことできませんよね? 知識で貴方を救おうとする彼女と、命を削って貴方を抱く私……。どちらが、貴方の『お傍』に相応しいか、その体に教えてあげます……」
ミーシャの長い舌が、アレンの首筋にある鎖の隙間を、愛おしそうに這い回る。
その瞬間、王城からの干渉が鎖を通じて激しく抵抗した。
『――離れなさい、その汚らわしい舌を!!』
エリザベートの怒声が響くような、強力な電撃が鎖から放たれる。
だが、ミーシャは怯まなかった。彼女はアレンの魔力を受けて進化した自らの鱗を実体化させ、その電撃を真っ向から受け止める。
「……貴女たちの愛は、遠すぎる。……今、アレン様に触れているのは、この私よ!」
ミーシャはアレンの首筋に歯を立てた。
吸血ではない。ラミア族の王族にのみ許される、魂の刻印――「マーキング」だ。
アレンのうなじに、ミーシャの魔力が浸透し、小さな琥珀色の蛇の紋章が刻まれていく。
『……ミー、シャ……っ、そこは……!』
「……これで、貴方は私のもの。……いえ、私は貴方のもの。……もう、誰にも渡さない。……このまま、私の体の中で溶かしてしまいたい……」
その時だった。
「――いい加減にしなさいよ、この大蛇女ッ!!」
轟音と共に、部屋の扉が爆散した。
藍色の雷光を纏い、髪を逆立てたルナが、杖を構えて乱入してきたのだ。彼女の背後には、威圧感に押されて腰を抜かしたピーとクゥの姿があった。
「アレンに、何て破廉恥なことを……! その紋章、今すぐ消しなさい! 貴女、看病にかこつけて、自分の『印』を付けるなんて……万死に値するわよ!」
ルナの瞳は、もはや理性の色を失っていた。
彼女が大切に育ててきたアレンへの想い。それを、出会ったばかりのモンスター娘に、それも物理的な肉体の繋がりで見せつけられた衝撃。
「……あら、泥棒人間。せっかくいいところだったのに。……見ての通り、アレン様の熱は下がったわ。……貴女の魔法じゃ、ここまで深く『繋がる』ことはできなかったでしょう?」
ミーシャは隠そうともせず、裸のままアレンを抱きしめ、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「繋がる……? 繋がるですって!? 貴女、アレンの初めてのマーキングを……っ! 許さない、絶対に許さないんだから!!」
ルナの魔力が暴走し、ログハウス全体がミシミシと鳴動する。
「アレン、今すぐそこから離れなさい! その女は猛毒よ! 私が、私がその汚れた紋章を、私の魔力で焼き切って……上書きしてあげるわ!」
『ル、ルナ! 落ち着いて! 建物が壊れちゃうよ!』
アレンは慌ててミーシャの腕から抜け出そうとしたが、脱皮直後のミーシャの体は驚くほど滑らかで、かつ強力に彼を拘束していた。
「……ルナ。貴女も、やりたいならやればいいわ。……でも、アレン様のこの『もふもふ』を維持しながら、人間に戻す道を探せるのは貴女だけ。……私は、彼の『身も心も』頂く。……役割分担、ね?」
「ふざけないで! 体も心も、全部私のものよ! 知識も魔法も、全部アレンのためにあるんだから!」
ルナが杖を振り上げ、ミーシャが尻尾を構える。
二人のヒロインの間で、アレン(上半身人間)は、再び激しい頭痛に襲われた。
ガチリ。
首の鎖が、二人のヒロイン――ルナとミーシャの「嫉妬」を吸い込み、さらに鈍く、重く輝いた。
皮肉なことに、ミーシャが刻んだ紋章さえも、鎖の魔力に飲み込まれ、アレンの呪いを「より強固なもの」へと変質させていく。
「……あ、ぐ……」
魔力のオーバーロード。
アレンの体は、眩い光と共に再び縮小し、完全な「黄金の毛玉」へと戻ってしまった。
「「――あ、アレン(アレン様)!?」」
ルナとミーシャが、同時にアレンへ手を伸ばす。
そこにあったのは、首筋に微かに蛇の紋章を残し、ぐったりと眠る、世界で一番愛らしいマスコットの姿。
「……アレン。……次は、私が貴方を寝かしつけてあげるわ。……あの女の匂いが消えるまで、一晩中ブラッシングしてあげる」
「……ふふ。……無駄よ。私の印は、もう彼の魂に刻まれたんだから」
黄金のログハウスの夜は、まだ明けない。
ルナの猛烈な嫉妬と、ミーシャのしたたかな執着。
その狭間で、アレンの「もふもふな受難」は、より一層、官能的で逃げ場のない深淵へと沈んでいくのだった。




