第6話:迫りくる「呪鎖」の重圧
黄金の輝きを放つログハウスの夜。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返ったリビングで、アレンは一人、暖炉の火を見つめていた。
隣では、見張りと称して添い寝を志願したミーシャが、幸せそうに尾を丸めて眠っている。スライムのスイは、アレンの足元で水溜まりのように広がり、微かな寝息……のような泡を吹いていた。
だが、アレンの意識は、それらの安らぎとは無縁の場所にあった。
(……重い。……今日、鎖が一段と食い込んでいる気がする)
マスコットとなった首元。そこには、普段は目に見えないはずの『呪鎖』が、鈍い紫と赤の光を放ちながら実体化していた。
この鎖は、アレンが魔力を使わなくとも、彼の「感情」や周囲の「愛」に呼応して成長する。
昼間、モンスター娘たちに甘やかされ、一瞬でも「このままでもいいかも」と心を許した瞬間。鎖は、その心の隙間に楔を打ち込むように、ぎりりと締まったのだ。
『……あ、ぐっ……。エリザベート義姉様……シルフィ……』
念話が、苦悶の混じった鳴き声となって漏れる。
鎖を通じて、遠く離れた王城からの「意志」が、津波のように脳内に流れ込んできた。
『――見つけたわ、アレン坊や。……そこにいるのね?』
冷たく、しかし熱を帯びたエリザベートの声。
彼女は王城の自室で、アレンが残した魔力の残滓を触媒に、超広域の探査魔術を完成させていた。
『ふふ、あんな汚らわしい森に隠れているなんて。……悪い子ね。でも、安心なさい。もうすぐ、貴方のための特等席を用意してあげるから。……今度は、指一本動かせないほど、私だけの糸で縛り上げてあげるわ』
続いて、ナイフでガラスを削るような、鋭く幼い声が響く。
『お兄様! シルフィ、怒ってるんだよ? 勝手にいなくなるなんて、いけないんだ。……でも、大丈夫。お兄様がどこにいても、この鎖がある限り、シルフィと繋がっているもんね。……今、迎えに行くから。待っててね?』
ドクン、と心臓が跳ねる。
鎖から溢れ出した魔力がアレンの血管を駆け巡り、強制的な「強化」を施していく。
アレンの体は、その過剰な愛を受け止めるために、さらに「もふもふ」と密度を増し、より小さく、より美しく変質させられていく。
それは、成長ではない。
二人のヒロインが愛でるためだけの「愛玩物」へと、存在を塗り替えられるプロセスだった。
『……嫌だ。……僕は、人形じゃない……!』
アレンは必死に抗った。
首の鎖を掴もうとするが、マスコットの短い手では届かない。
焦燥感に駆られた彼は、夜の闇を突っ切ってログハウスを飛び出した。
森の奥へ。誰の視線も届かない場所へ。
だが、彼が走れば走るほど、その黄金の輝きは夜の森で目立った。
『ハァ、ハァ……っ!』
どれほど走っただろうか。
アレンは、森の境界線付近にある「断崖」に行き当たった。
眼下には深い霧が立ち込める谷が広がり、その向こうには、かつて自分が暮らしていた王城の尖塔が、月明かりに照らされて不気味にそびえ立っていた。
そこへ、背後から静かな足音が近づく。
「……アレン様。こんな夜更けに、どちらへ?」
ミーシャだった。
眠っていたはずの彼女は、アレンの魔力の揺らぎを察知し、音もなく追いかけてきたのだ。
その瞳は、いつもの慈愛に満ちたものではなかった。獲物を逃さない捕食者の、冷徹な光を宿している。
『ミーシャ……僕は……』
「わかっています。アレン様は、ここから去ろうとしているのですね。……私たちを置いて。あの『重い女たち』の元へ戻ろうとしているのですか?」
ミーシャの言葉に、アレンは息を呑んだ。
彼女たちモンスター娘もまた、アレンの首にある鎖の正体――自分たちを遥かに凌駕する「巨大な愛の呪い」に気づいていたのだ。
「……許しません。アレン様を縛るのは、あの女たちの鎖だけで十分です。これ以上、アレン様を奪おうとするものは、たとえ王族であろうと……私が噛み殺します」
ミーシャの下半身である大蛇が、威嚇するように鎌首をもたげる。
アレンの黄金の魔力を受けた彼女の鱗は、今や岩石をも砕く鋼鉄の鞭と化していた。
『違うんだ、ミーシャ! 僕は戻るつもりなんて……!』
「ならば、その鎖を、私にも握らせてください」
ミーシャが歩み寄る。
彼女はアレンを追い詰めるように断崖の端へと追いやり、その長い指先をアレンの首元へ伸ばした。
「あの女たちが鎖で縛るなら、私はこの体で、貴方を包み込みます。……一生、私の毒で痺れさせて、動けなくしてあげますから」
アレンは、逃げ場がないことを悟った。
前には、独占欲を剥き出しにするモンスター娘。
後ろには、絶望の谷と、その先にある愛の監獄。
その時だった。
――キィィィィィィン!!
大気を引き裂くような高周波の音が、断崖に響き渡った。
アレンの首の鎖が、見たこともないほど激しく共鳴する。
「なっ、何!? この光は……!」
ミーシャが顔を背ける。
鎖から放たれたのは、拒絶の波動だった。
エリザベートとシルフィの魔力が、「他の女」がアレンに触れようとしたことに過剰反応したのだ。
『……あ、あああああッ!!』
アレンの体が宙に浮く。
鎖が意思を持つ蛇のようにのたうち回り、周囲の空間を破壊し始める。
衝撃波で断崖の縁が崩れ、アレンの小さな体は、重力に引かれて谷の底へと真っ逆さまに落ちていった。
「アレン様――!!」
ミーシャの叫びが遠のく。
激しい風の音と、鎖が軋む音だけが耳に残る。
(……僕は、どこへ行くんだろう。……このまま、消えてしまえたら楽なのに……)
意識が混濁する中、アレンは見た。
谷の底、深い霧の向こうから、自分をめがけて飛来する「青白い光」を。
それは、追跡用の使い魔ではなかった。
魔力を物質化させた、救助の網。
「――捕まえた! 離さないわよ、アレン!!」
聞き覚えのある、凛とした声。
落下する黄金の毛玉を受け止めたのは、藍色のショートヘアを振り乱した少女――ルナだった。
彼女は飛行魔術を駆使し、決死の覚悟でこの深い谷へと飛び込んできたのだ。
ルナの腕の中に収まったアレンは、極度の疲労と魔力のオーバーロードにより、そのまま意識を失った。
ルナは、自分の胸元で「きゅう……」と力なく鳴く黄金の獣を、壊れ物を扱うように抱きしめた。
「……ひどい。こんなに鎖が食い込んで……。あの二人、アレンに何てことを……」
ルナの瞳に、深い悲しみと、それを上回る激しい怒りが宿る。
彼女はアレンの首元に指を触れ、その鎖の構造を瞬時に解析しようとした。だが、その複雑怪奇な「愛の術式」に、天才魔導士である彼女さえも絶句する。
「……解けない。……ううん、解かせないように組まれているのね。……でも、大丈夫。私が、必ず貴方を守るから」
ルナはアレンを抱えたまま、霧の深淵へと姿を消した。
一方、崖の上では。
アレンを見失ったミーシャが、血が出るほど唇を噛み締めていた。
「……奪われた。……あの女、アレン様を連れて行った……」
背後から、異変に気づいたピー、クゥ、スイも駆けつける。
「アレン様は!? アレン様はどこ!?」
「……連れ去られたわ。……人間よ。……ルミナスの魔導師が、私たちの王を奪ったのよ」
ミーシャの言葉に、三人のモンスター娘たちの空気が一変した。
それは、悲しみではない。
自分たちの拠り所であり、愛の対象であるアレンを奪われたことによる、剥き出しの殺意だった。
「……取り戻す。……殺してでも、取り戻す」
「アレン様は、私たちのものだもん……」
「…………邪魔な人間は、全部溶かす」
アレンを守るために築かれたログハウスは、一夜にして「奪還のための戦端」へと変貌した。
そして、王城。
エリザベートとシルフィは、アレンの反応が「ルナの魔力」と重なったことを同時に感知した。
「あら……。ルナ、貴女も泥棒猫に加わりたいのかしら?」
「ルナお姉ちゃんも、お兄様を独り占めするつもりだね。……許さない。お兄様は、シルフィだけのものなんだから!」
辺境、王城、そして逃亡者。
アレンという名の「黄金の偶像」を巡る、三つ巴の愛の争奪戦が、今、最悪の形で幕を開けようとしていた。




