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第5話:もふもふの受難

 黄昏の辺境に築かれたログハウスの朝は、一見すると平和そのものだった。

 鳥たちが黄金の魔力を含んだ果実を啄み、窓からは新緑の香りが入り込む。だが、黄金のマスコット――王子アレンにとっては、戦場よりも過酷な一日の始まりを告げる合図でもあった。


「――さあ、アレン様。今日は『お手入れ』の日ですよ」


 ミーシャがうっとりとした表情で、巨大な金櫛を手にベッドへ近づいてくる。

 アレンは本能的な危機を察知し、短い手足で掛け布団の隅へ逃げ込もうとしたが、背後から音もなく現れたスライムのスイに、ぷにん、と行く手を阻まれた。


『ま、待って! ミーシャ、昨日もブラッシングしたじゃないか!』


「何をおっしゃるのですか。アレン様のその高貴な毛並みは、一瞬の澱みも許されないのです。さあ、大人しく委ねてください……ふふ、暴れると余計に時間がかかってしまいますよ?」


 逃げ場はない。アレンはミーシャの尻尾に絡め取られ、リビングの特等席(クゥが作ったもふもふ専用の台座)へと連行された。


 まずは「ブラッシングの儀」である。

 ミーシャが金櫛を黄金の毛並みに通すたび、アレンの体から微細な魔力の火花が散る。それは呪いの鎖から漏れ出した余剰エネルギーだが、ミーシャにとっては最高級のスパイスのようなものだ。


「ああ……この手応え。この弾力。アレン様、今日も最高に『詰まって』いますね」

「アレン様、私の羽毛も混ぜて、もっとふわふわにしましょうか?」


 ハーピーのピーが、自分の翼から抜け落ちたばかりの黄金の羽根を、アレンの首回りに飾り付けていく。アレンの姿は見る間に着飾られ、もはや「生ける豪華なぬいぐるみ」と化していた。


『うう、重いよピー……。それに、くすぐったいってば!』


「きゅうきゅう」と鳴くアレンの抗議は、娘たちには甘い蜜のようにしか響かない。

 続いて始まったのは、オークのクゥによる「入浴の儀」だった。


「アレン様、お湯加減はいかがですか? 魔力野菜の皮と薬草を煮出した、特製のアロマバスですよ」


 大きなタライに入れられたアレンは、クゥの太い指先で念入りにマッサージされる。クゥの指は力強いが、アレンに触れる時だけは、羽毛を扱うような繊細さを見せる。そのギャップが、逆に逃げられないという圧迫感をアレンに与えていた。


『……ふぁ、あ……』


 温かい湯と、クゥの絶妙な指捌きに、アレンの理性が少しずつ溶けていく。

 首筋を優しく撫でられた瞬間、アレンは思わず「きゅ~ん……」と声を漏らし、全身の力を抜いてしまった。


「……可愛い。ああ、なんて無防備な。これなら、本当にこのまま食べてしまえそうです……」


 クゥの瞳に、料理人としての探究心とは別の、雌としての捕食欲が宿る。

 アレンはハッと我に返り、バチャバチャと湯を跳ね飛ばして抵抗した。


『だ、だめだ! これ以上は僕が僕じゃなくなる!』


 だが、受難は終わらない。

 湯上がり。びしょ濡れのアレンを待っていたのは、スイによる「吸水乾燥」だった。

 スイは自身の体温を上げ、蒸気のようにアレンを包み込む。水気だけを吸い取り、代わりに自分自身の「核」にある甘い香りの分泌液を、アレンの毛一本一本にコーティングしていくのだ。


「アレン様、いい匂い。私の匂いに染まって……」


 スイの透明な体の中で、アレンはぐるぐると回されながら、徹底的に「仕上げ」を施される。

 数分後。そこには、普段の三倍ほどに膨れ上がり、黄金の輝きを放ちながら極上の香りを振りまく、文字通りの『黄金精霊獣』が完成していた。


『……疲れた。……もう、動けないよ……』


 ぐったりと台座に沈み込むアレン。

 だが、仕上げが終わったということは、娘たちにとっての「愛でる時間」の開始を意味する。


「さあ、誰が最初にアレン様を膝に乗せるか……決めましょうか」


 ミーシャが、鋭い爪を光らせながら微笑む。

「私が一番長くお手伝いしました。ですから、私が優先です」

「偵察で疲れた私の心を癒せるのは、アレン様だけだもん!」

「料理を作ったご褒美に、お昼寝をご一緒させてください!」

「…………私も、離さない」


 四人の視線が空中で激しく火花を散らす。

 アレンは、自分の「所有権」を巡って争う彼女たちの姿に、王城でのあの惨劇――エリザベートとシルフィの衝突を重ねていた。


(……デジャヴだ。……場所が変わっても、結局僕は『奪い合いの対象』なんだな……)


 アレンはため息をついた。

 ふと、首の鎖が、彼女たちの熱気に当てられて微かに熱を帯びるのを感じる。

 鎖は、アレンが力(魔力)を使う時だけでなく、周囲の「愛」が深まることでも共鳴し、その重さを増していくようだった。


『……ねえ、みんな。喧嘩はやめて。……順番に、少しずつなら、いいから……』


 妥協案を提示したアレンの言葉(念話)は、火に油を注ぐ結果となった。

「「「「本当ですか!?(ですぅ!)」」」」


 その後の数時間は、文字通りの地獄(天国)だった。

 ミーシャの膝で撫で回され、ピーの翼に包まれて空を散歩し(高い所は怖かった)、クゥの肩に乗って力自慢を見せられ、スイの体の上でトランポリンのように跳ねさせられる。


 ようやく解放されたのは、日が沈みかけた頃だった。

 アレンはボロボロになりながら、ログハウスの屋根の上へ逃げ出した。

 夕焼けに染まる辺境の森を眺めながら、彼は自分自身の変化を自覚せざるを得なかった。


(……おかしい。あんなにされるのは嫌だったはずなのに。……少しだけ、心地よいと思ってしまった)


 マスコットとしての本能が、彼女たちの奉仕を「正解」として受け入れ始めている。

 王子のプライドが、もふもふの毛並みに埋もれて摩耗していく。

 もし、このまま一生この姿で、彼女たちに甘やかされて過ごせたら――。


 そんな甘い誘惑が脳裏をよぎった瞬間。

 アレンの首の鎖が、ガチリ、と一段階強く締まった。


「――っ、つぅ……」


 痛覚に近い圧迫感。

 それは、遠い王城にいる「本来の所有者」たちからの、警告のような重みだった。

『アレン坊や、浮気はいけないわ……。貴方の首輪を握っているのは、私だけなのよ』

『お兄様、楽しそうだね。……でも、後でお仕置きが必要かな?』


 空耳のような声が聞こえた気がして、アレンは身震いした。

 黄金の毛が逆立ち、本来の愛らしさを取り戻したマスコットの姿。

 だが、その内側には、消えない呪いと、逃げられない執着が幾重にも積み重なっている。


「アレン様ー! 夕飯のご飯ですよー!」


 階下から、クゥの元気な声が響く。

 アレンは、夕闇に飲み込まれゆく森を見つめ、もう一度小さくため息をついた。


『……今いくよ、クゥ』


 アレンは屋根から飛び降りた。

 「もふもふ」な日常という名の底なし沼。

 そこに、王子としての自分がどこまで耐えられるのか。

 アレンにはまだ、その答えを出す勇気はなかった。


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