第4話:胃袋と魔力の掌握
まどろみの中で、アレンは不思議な感触を覚えていた。
右側からは、日向で干した布団のような、柔らかく温かい弾力。左側からは、ひんやりとして心地よい、ゼリーのような瑞々しい感触。そして首元には、細くしなやかな何かが、まるで守るように幾重にも巻き付いている。
(……温かい。城の冷たいベッドより、ずっと……)
ふと、昨夜の激闘を思い出した。鋼鉄甲虫の群れを『呪鎖』で粉砕し、一時的に人間の腕を取り戻した感覚。そして、遠く王城から流し込まれた、吐き気がするほど濃密な「愛(魔力)」の奔流。
ゆっくりと目を開けたアレンが見たのは、朝の光が差し込む廃屋の光景――ではなかった。
「……あ、アレン様。おはようございます。ふふ、寝顔もとっても愛らしいわ」
目の前にあったのは、ラミアの娘ミーシャの、至近距離すぎる笑顔だった。
彼女の尻尾はアレンの胴体を優しく、だが逃がさないようにしっかりととぐろを巻いて拘束している。右側にはハーピーのピーが黄金の翼を広げてアレンを包み込み、左側にはスライムのスイがアレンの手足を包むようにして添い寝をしていた。
『う、うわあああっ!? みんな、いつの間に……!』
念話と共に飛び起きようとしたアレンだったが、短い手足はミーシャの尻尾とスイの粘体に阻まれ、「もふっ」と情けない音を立てて沈み込むだけだった。
「ひゃうんっ! アレン様が暴れた拍子に、私のお腹を蹴りました……。ああ、聖なる肉球の感触が、内臓まで響くようです……」
頬を赤らめて悶えるミーシャを見て、アレンは戦慄した。
王城のエリザベートやシルフィとは違う方向性だが、この娘たちもまた、確実に「重い」方向へ突き進んでいる。
「アレン様、お目覚めですか。朝食の準備、できてますよ」
救いの声は、入り口の方から聞こえてきた。角の欠けたオークの娘、クゥだ。彼女だけは理性を保っているのかと思いきや、その手には「アレン様専用」と彫り込まれた、精巧すぎる木製の小さな椅子とスプーンが握られていた。
外に出ると、昨夜の戦場だった焼け野原は、異様な光景に変わっていた。
アレンが鎖を振るった際に飛び散った黄金の魔力。それが土壌に染み込み、周囲の枯草や野生の作物を異常成長させていたのだ。
『これ……僕の魔力のせいだね。なんだか、野菜がすごいことになっているけど』
そこにあったのは、大人の胴体ほどもある巨大なカボチャや、黄金色に輝く大根のような根菜類。それらは辺境の猛々しい魔素を吸い込みつつも、アレンの清浄な魔力によって「毒性」が完全に中和され、むしろ高純度の栄養源へと昇華されていた。
「これ、食べてみてもいいですか?」
クゥが巨大なカボチャを斧で割り、焚き火で豪快に煮込む。味付けは塩だけという簡素なものだったが、出来上がったスープからは、嗅いだだけで理性が飛びそうなほどの芳醇な香りが立ち上った。
アレンは差し出された小皿(クゥの特製)から、一口含んでみた。
『――おいしい。……信じられない。王宮の晩餐会で出される最高級の料理より、ずっと体に染み渡るよ』
その言葉を聞いた瞬間、クゥの瞳に熱いものが込み上げる。
「……アレン様。私、決めました。この腕は、貴方様を喜ばせる料理を作るために捧げます。もう戦場なんて行きません。私は、貴方様だけの専属料理人になります!」
クゥが跪くと、彼女の体からも微かな黄金の光が漏れた。アレンの魔力を含んだ食事を摂取したことで、彼女たちの忠誠心は、もはや細胞レベルでアレンに刻まれてしまったのだ。
『みんな、聞いてほしい。……僕たちは、ただここで隠れ住むだけじゃなく、ここを「家」にしようと思うんだ。人間も魔獣も襲ってこない、僕たちの理想郷に』
アレンの提案に、モンスター娘たちは歓喜の声を上げた。
マスコットの姿で、アレンは的確に指示を飛ばしていく。
『ピーは、上空からこの森の地図を作ってほしい。僕の魔力が届く範囲が、僕たちの領土だ。クゥは、その怪力でこの廃屋を修繕……いや、木を切り出して新しいログハウスを建てよう。ミーシャとスイは、周囲の魔力野菜を収穫して、保存食を作る準備を』
「「「「はい、アレン様(主様)!」」」」
内政が始まった。
アレンは「もふもふ」な姿のまま、現場監督として走り回る。
クゥが巨大な原木を運んでいると、アレンがひょいと背中に飛び乗り、『呪鎖』の一部を細く伸ばしてロープ代わりに固定を手伝う。鎖に触れたクゥの力が数倍に跳ね上がり、建築作業は魔法のような速度で進んでいった。
スイはアレンの指示で、汚れた床や壁を飲み込み、分解・洗浄していく。
『スイ、そこをもっと綺麗に……あ、滑るから気をつけて……わわっ!?』
「あふっ……アレン様、捕まえちゃいました。……冷たくて気持ちいいですか?」
掃除のついでにスイに取り込まれ、透明な体の中でぷかぷかと浮くアレン。マスコットの愛らしさと、スライムの包容力が合わさり、端から見れば天国のような光景だが、アレン本人は窒息の危機と戦っていた。
夕暮れ時。
辺境の森の一角に、立派な二階建てのログハウスが完成した。
アレンの魔力で強化された木材は鋼鉄よりも硬く、窓にはスイが精製した透明度の高い硬化粘液が嵌め込まれている。
食卓には、クゥが腕を振るった魔力野菜のフルコースが並ぶ。
食事の間、ミーシャたちは交代でアレンに「あーん」をして食べさせようとし、食後は誰がアレンをブラッシングするかで激しい揉み合い(という名の女子会)が繰り広げられた。
(……温かい食事に、清潔な寝床。そして、僕を必要としてくれる仲間。……人間だった頃より、ずっと充実している気がする。……でも)
アレンは、首元で静かに重みを増していく鎖に触れた。
呪いの鎖は、今やアレンの体の一部として馴染み始めている。力を使えば使うほど、彼は「もふもふの王」としての地位を固めるが、同時に「人間のアレン」としての存在が、この辺境の地に溶けて消えていくような恐怖もあった。
その夜。
アレンは屋根の上に登り、王城の方角を眺めていた。
ふと、一筋の青白い光が、森の結界を叩くのを感じた。
『……今の、は……?』
それは、微かに残る懐かしい魔力の匂い。
幼馴染のルナが放った、追跡用の魔導信号だった。
しかし、その信号がアレンに届く前に、背後から伸びてきたミーシャの尻尾が、アレンの体を優しく引き寄せた。
「アレン様、夜風は冷えますよ。さあ、中へ。今夜は私が、朝まで離さず温めてあげますから……ふふ」
ミーシャの瞳は、夜の闇の中でも怪しく、そして熱く輝いている。
遠い空のルナの祈りよりも、今隣にいるモンスター娘の吐息の方が、ずっと近く、重かった。
(……ルナ。僕は、ここでおかしくなりそうだよ……)
アレンはミーシャの胸の中に埋もれながら、黄金の尻尾を小さく振った。
呪いの鎖は、より深く、より甘く、王子の心縛り付けていく。




