第47話:クラリスの福音、ヤンデレ布教と神聖なるブラッシング
新エリュシオン帝国の帝都ルミナス。その王宮に隣接するようにして、眩いばかりの純白の大理石で築かれた『黄金の大聖堂』が、天を衝く尖塔を聳え立たせていた。
かつてセイント・ルミナス教国が誇った建築技術の粋を尽くし、さらには帝国各地の信徒たちからの寄進によって完成したその場所は、今や一国の宗教的中心地であると同時に、第一聖女クラリスが主宰する「アレン一神教」の総本山と化していた。
大聖堂を包む空気は、常に清浄な香油の香りと、絶え間なく流れる厳かな賛美歌に満ちている。
しかし、その最深部。限られた高位の聖職者でさえ立ち入りを禁じられた『至聖所』の内部は、外の静謐さとは似て非なる、濃密で、狂信的な情愛の熱気に支配されていた。
「……ああ、アレン様。……今日も、なんと神々しい輝きを放っておられるのでしょう。……貴方のその毛並みの一本一本が、迷える子羊たちを導く福音そのものなのですわ……」
至聖所の中心。白銀の祭壇の上に鎮座させられた黄金のマスコット――アレンは、目の前で跪くクラリスの姿に、本能的な戦慄を覚えていた。
クラリスは、かつて辺境でアレンの魔力に焼かれ、信仰を執着へと書き換えられた時の重厚な法衣を脱ぎ捨てていた。今の彼女が纏っているのは、極薄の絹で作られた、透き通るような巫女装束。それは彼女の瑞々しい肢体を強調し、アレンの碧い瞳に「神への背徳」を直接的に訴えかけてくる。
『……クラリス様。……あの、さっきから一時間も拝まれているんだけど……。……そろそろ朝食の時間だし、クゥのところへ行ってもいいかな?』
「……いいえ、アレン様。……不浄な食物を摂る前に、まずは貴方の尊いお体を『浄化』せねばなりません。……さあ、じっとして。……私のこの命、貴方の美しさを維持するためだけに捧げますわ」
クラリスが取り出したのは、教国の聖遺物庫から持ち出したという、伝説の白銀ブラシ『神の指先』。
彼女はアレンを恭しく抱き上げると、自分の豊かな胸元にその小さな体を押し付け、執拗なまでのブラッシングを開始した。
シュッ、シュッ、と規則正しく刻まれる音。
だが、それは単なる手入れではなかった。
クラリスの指先からは、自身の生命力を削って生成された極純の神聖魔力が放たれ、ブラシを通じてアレンの黄金の毛の根元へと流し込まれていく。毛の一本一本がクラリスの魔力でコーティングされ、アレンという存在そのものが、彼女の「信仰」という名の檻に固定されていく感覚。
「……はぁ。……幸せです。……アレン様。……貴方を磨くたびに、私の魂もまた、貴方の色に染まっていくのを感じます。……貴方は、私の唯一の神。……貴方を独占し、貴方を誰の目にも触れさせず、この聖域で磨き続けること……。これこそが、私に与えられた真の聖務なのですわ……っ」
クラリスの瞳から、大粒の涙が零れ落ち、アレンの黄金の毛を濡らしていく。
その涙さえも魔力を含んだ聖水となり、アレンの首の『白金の鎖(紋章)』と共鳴して、室内の気圧を急激に上昇させた。
ガチリ。
アレンの紋章が、クラリスの放つ過剰な情念を燃料にして、荘厳な鐘の音を鳴らした。
『……あっ、また、この感覚……っ! クラリス様、近すぎる、魔力が……っ!!』
黄金の光が至聖所を満たし、アレンの肉体が強制的に再構築されていく。
光が収まった瞬間、祭壇の上に現れたのは、濡れた黄金の髪をなびかせ、白銀のヴェールを纏った人間姿のアレンだった。
「……あ。……あ、あああああ……ッ!!」
クラリスが、恍惚とした表情で白目を剥き、その場に卒倒しかけた。
だが、彼女の執念は、自身の失神さえも許さない。彼女は震える腕でアレンの逞しい脚に縋り付き、その太腿に顔を擦り付けた。
「……神様。……受肉なされた、私の神様。……ああ、なんて、なんてお美しい。……さあ、この私の喉元を、その尊いお足で踏み抜いてください! ……貴方の重みを感じることこそが、私にとっての最大の懺悔であり、救済なのですわ!!」
「……クラリス様、落ち着いて! 踏まない、踏まないってば! ……それに、この服……。アリアが作ってくれたやつじゃない。……君が用意したの?」
「……ええ。……神に相応しい、一切の穢れを排した『聖なる拘束衣』ですわ。……アレン様、貴方は今日から、この大聖堂の奥で、私と共に永遠の祈りを捧げるのです。……外の世界の女たちの名前など、全て忘れてしまいなさい……っ!」
クラリスは、アレンの指一本一本に自分の数珠を巻き付け、そこに熱烈なキスマークを刻んでいく。
彼女の言霊――「神への愛の賛歌」という名の執着に満ちた言葉の奔流が、アレンの耳元で絶え間なく囁かれ、彼の理性を内側からじりじりと削り取っていく。
逃げ場のない、神聖なる密室。
アレンの『白金の鎖』が、彼女の信仰を吸い込んで白熱し、アレン自身の意識が白銀の深淵へと沈もうとした、その時だった。
ドォォォォォォォォン!!
至聖所の重厚な扉が、黄金の雷光と巨大な渦潮によって同時に粉砕された。
「――そこを退け、この神聖変態!! 主殿をこんな生臭い香水の部屋に閉じ込めやがって!!」
銀狼娘のフェリスが、雷刀を構えて乱入してきた。彼女の銀毛は逆立ち、全身から放たれる黄金の静電気が、クラリスが植えた白い百合を一瞬で黒焦げに変える。
「……あら。……聖女様。……私たちの海神様を、勝手に『唯一神』なんて安っぽい地位に置かないでくださる? ……アレン様が帰るべき場所は、静寂の海の底。……貴女の汚らわしい祈りなど、届かない深淵ですわ」
海竜娘のリヴィアが、角を青白く光らせ、周囲を深海の重圧で押し潰しながら歩み寄る。
「……野蛮な方々。……神聖なる朝の儀を邪魔するとは、万死に値しますわね」
クラリスが、アレンを自分の腕の中に隠すようにして立ち上がり、冷酷な笑みを浮かべた。
「……不浄な者たちよ。……アレン様は、今、私と一つになり、浄化の最中なのです。……貴女たちの汚れた手で、その神聖に触れることは許しません。……神の名の下に、この場から消え去りなさい」
「あんだと!? 主殿はアタイの騎士としての手綱(鎖)で繋がれてんだよ!! あんたの勝手な妄信と一緒にすんじゃねぇ!!」
「……ふふ。……ならば、どちらの愛がより深いか、この場で決着をつけましょうか」
至聖所の空気は、一瞬にして臨界点を超えた。
クラリスの放つ黄金の聖光、フェリスの黄金の雷、リヴィアの蒼い渦潮。
三つの巨大な執着がアレンを中心に激突し、大聖堂のステンドグラスが音を立てて砕け散る。
『……わ、わわっ! みんな、やめて! 城が壊れるってば!!』
アレンの叫びも虚しく、彼は三人のヒロインに四方八方から引きずり回され、祭壇の上でもみくちゃにされた。
クラリスはアレンの毛を吸い、フェリスはアレンの首筋を噛み、リヴィアはアレンの全身を粘液(魔力)でコーティングしようと絡みつく。
黄金の王アレン。
彼は、宗教という名の「免罪符」を手に入れた聖女と、それを許さない騎士と女王の戦いの中で、自分が「神」として崇められることが、いかに不自由で、いかに「食べられやすい」立場であるかを痛感していた。
数時間後。
再びマスコットに戻り、全身の毛が逆立ち、魂が口から漏れ出しているアレン。
彼の首の『白金の鎖』は、彼女たちの「信仰・忠義・渇望」を吸い込み、もはや星の輝きすら霞ませるほどの重厚な輝きを放っていた。
(……神様って、一番わがままを聞いてもらえない存在なんだね。……みんなの祈り(欲求)を、全部僕が叶えなきゃいけないんだから……)
アレンは、ぐったりとルナの腕の中に回収されながら、心の中で泣いた。
だが、そんな彼を見つめるルナやミーシャたちの瞳にも、また新たな「上書き」への決意が宿っている。
もふもふ王アレンの日常。
聖なる福音さえも、彼を縛るための甘い鎖へと変わり、辺境の国をより一層、重苦しい愛で満たしていくのだった。




