第45話:大団円、幸せな多重拘束
新エリュシオン帝国の建国から数日が経過した。
かつての王都ルミナスは、今や『黄金の都』と呼ばれ、街の至る所にアレンの慈愛を象徴する白金の旗が翻っている。王宮の最上階、皇帝専用の執務室では、新時代の幕開けに相応しい、しかしあまりにも「異常」な光景が繰り広げられていた。
白大理石の重厚な机に向かっているのは、完全な人間姿の皇帝アレンである。
彼は白銀の軍礼装を纏い、山積みの書類に目を通しているが、そのペンを動かす手は、数分おきに誰かの柔らかい指先や、熱い吐息によって妨げられていた。
「……アレン。……この予算案の数字、少し魔力供給が足りないんじゃないかしら? ……ほら、私の指から、新鮮な藍色の魔力を吸いなさい。……公務を続けるには、私の愛が必要でしょ?」
ルナが、アレンの膝の上に当然のように座り込み、彼の首筋に自分の頬を擦り寄せている。彼女はアレンの魔力回路を掌握して以来、彼が「自分なしでは魔法一つ使えない」ことに、至上の悦びを感じていた。
「……ルナ、重いよ。……それにエリザベート義姉様、さっきから肩を揉む力が強すぎるんだけど……」
「あら、アレン坊や。……皇帝としての重圧を、私がこうして物理的に分散してあげているのよ。……ほら、もっと私の方へ身体を預けなさい。……貴方のその逞しくなった背中、私の胸元で一生甘やかしてあげたいわ……」
背後からはエリザベートが、アレンの肩に自分の胸を押し付け、執拗なまでのマッサージを施している。彼女の指先からは、精神を懐柔する紫の魔力が絶えず放たれ、アレンの理性をとろけさせようとしていた。
「主殿! この書類の山、アタイが雷で焼き払ってやろうか!? ……そんなことより、アタイの膝の上に乗れよ! 騎士の誇りにかけて、あんたを最高の寝心地で守ってやるぜ!!」
足元では、銀狼娘のフェリスがアレンの脚の間に頭を突っ込み、銀色の尻尾をメトロノームのように激しく振り回している。彼女の放電は、もはや攻撃ではなく、アレンを加熱して「自分だけの匂い」を定着させるための儀式と化していた。
『……ハァ。……みんな、嬉しいけど……これじゃ仕事が進まないよ。……僕は、自由な国を作りたかったはずなのに……』
アレンのぼやきは、左右から押し寄せるミーシャの脱皮したての肌や、リヴィアの深海の香り、シルフィの赤い糸、クラリスの狂信的な祈り、アリアの調律する指先によって、無情にもかき消された。
人間姿のアレンは、八人の妃たちにとって「最高の独占対象」であり、彼女たちの捕食欲は、建国を経て臨界点を突破していたのである。
「……ダメだわ。……人間姿のアレンも格好良くて大好きだけど……。……やっぱり、足りない。……圧倒的に、『もふもふ』が足りないわ!!」
ルナが突然、アレンの胸ぐらをつかんで叫んだ。
その言葉に、他の妃たちも一斉に瞳を血走らせて唱和する。
「お兄様、お兄様! シルフィ、もう我慢できないよ! あの小さくて丸い、黄金の天使をもう一度抱きしめたいもん!!」
「……ええ。……私の教育によって磨き上げられた、あの至高の毛並み……。……一分以内に戻らないなら、教育的指導(お仕置き)を開始しますわよ?」
『えっ、えぇっ!? 呪いが解けたから人間になったのに、そんなの無理だよ……っ!』
アレンは後ずさるが、背後にはアリアの糸が張り巡らされ、出口はリヴィアの水壁で塞がれている。
絶体絶命。
妃たちの「もふもふ枯渇」による暴走が、王宮を物理的に破壊しそうになった、その時だった。
アレンの首元の紋章が、彼女たちの強烈な「渇望」を吸い込み、眩い黄金の火花を散らした。
白金の鎖が魂に溶け込んだ今、アレンにとって「姿」とは、もはや呪いではなく、自身の魔力による『変容』の対象となっていた。
「……あ。……あ、あああああ!!」
アレンの身体が、爆発的な光に包まれる。
光が収まった瞬間――。
皇帝の玉座の上、軍礼装の山の中から、ひょこりと小さな黄金の塊が顔を出した。
「……きゅう?」
丸い耳、ふさふさの尻尾、そして、つぶらな碧い瞳。
かつて辺境の森で愛され、王国軍を戦慄させた、あの『黄金のマスコット』がそこにいた。
「「「「「「「「ア、アレン様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」」」」」」」
王都全体が揺れるほどの、八人の妃たちによる歓喜の絶叫。
彼女たちは、理性の最後の一線を飛び越え、アレンに向かってダイブした。
「あああああ!! この手触り!! この弾力!! おかえりなさい、私の癒やしの塊!!」
ルナがアレンを抱き込み、その腹部に顔を埋めて深呼吸する。
「……ふふ、ふふふふふ!! やはり、私の膝の上にはこの丸みが相応しいわ!! さあ、ブラッシングの続きよ、アレン坊や!!」
エリザベートが、最高級のブラシを手に取り、狂ったようにアレンの毛を整え始める。
「お兄様お兄様お兄様ぁぁぁ!! 糸、糸で全部包んじゃうからね!!」
シルフィが、赤い糸でアレンを文字通り「お包み」状態にし、自分の頬にぐりぐりと押し付ける。
『……あ、あぐ。……みんな、落ち着いて……っ! もふもふが、もふもふが潰れちゃう……っ!!』
アレンの念話による悲鳴も、今の彼女たちには甘い愛の囁きにしか聞こえない。
マスコットに戻ったアレンは、八人の腕から腕へと放り投げられ、吸われ、撫で回され、ついには全員の魔力が混ざり合った「愛のスープ」のような温泉へと連行されていった。
夜。
王宮のテラスで、再び人間姿に戻ったアレンは、妃たちに四方八方から抱きつかれながら、満天の星空を見上げていた。
「……いい、アレン。……貴方は今日から、二つの義務を負うのよ」
ルナが、アレンの腕を自分の胸元に固定しながら告げる。
「……公務中、および公式の場では、威厳ある『人間姿の皇帝』として、私たちを支配しなさい。……でも、プライベートでは、この『もふもふのマスコット』として、私たちに徹底的に甘やかされ、支配され、愛でられること。……これが、新帝国の憲法第一条よ」
「……あら、ルナ。……珍しく良いことを言いましたわね。……アレン坊や、拒否権はありませんわ。……貴方がそれを破るなら、私たちは国を挙げて貴方を『再教育』する準備ができていますから」
エリザベートが、アレンの耳元で甘く、冷たく、逃げ場のない釘を刺す。
アレンは、首の白金の鎖(紋章)が、彼女たちの重すぎる情念を吸い込んで、星空よりも眩しく輝いているのを感じた。
自由を求めて城を出た、あの日の少年。
しかし今、彼は、世界で最も「不自由」で、かつ「愛されている」場所にいた。
右にはルナの依存。左にはエリザベートの支配。背後にはミーシャの密着。足元にはフェリスの忠義。心臓にはシルフィの鼓動。深海にはリヴィアの静寂。教会にはクラリスの狂信。全身にはアリアの糸。
それら全てを、アレンはもう「呪い」とは呼ばなかった。
『……わかったよ。……これが、僕の選んだ絆なんだから』
アレンがマスコットの姿に戻り、ルナの腕の中で「きゅう……(幸せだよ)」と鳴いた。
その瞬間、八人の妃たちだけでなく、王宮の庭園にいた三千のモンスター娘たち、そして黄金の都に住む全ての民衆が、主君への愛を唱和した。
「「「「「「「「愛しています、アレン様!!」」」」」」」」
黄金の王と、愛に狂った乙女たちが織りなす建国戦記。
その本編は、一滴の血も流さない「慈愛の包囲網」によって、ここに大団円を迎えた。
だが、これは終わりではない。
新帝国の皇帝となったアレンの、さらに「重すぎる日常」は、これからが本番なのだから。




