第44話:白金の戴冠式、妃たちの包囲
王都ルミナスに、かつてないほど清澄な夜明けが訪れた。
空は黄金の魔力粒子を含んだ朝霞に溶け合い、街の至るところで新帝国の建国を祝う鐘の音が、高らかに、そして絶え間なく鳴り響いている。
かつて「呪われた王子」として追放された少年は今、エリュシオン王城の最上階、皇帝専用の控えの間で、鏡に映る己の姿を静かに見つめていた。
解呪によって定着した、完全な人間姿。
黄金の長髪は背を流れ、引き締まった肢体にはアリアが心血を注いだ白銀の軍礼装が、一点の隙もなく纏わされている。首元には、もはや実体としての鎖はなく、代わりに白金の光を放つ紋章が、彼の魂の気高さを証明していた。
『……ふぅ。……今日から、僕は皇帝なんだね』
アレンが低く、しかし凛とした声で呟く。
だが、その威厳に満ちた独り言に応えるのは、鏡の中の自分だけではなかった。
「……そうよ、アレン。……貴方は今日から、この世界の全てを統べる王。……そして、私の指先から魔力(愛)を受け取り続ける、唯一の所有物なのよ」
背後から、藍色のドレスを纏ったルナが音もなく近づき、アレンの腰に細い腕を回した。
彼女の瞳は寝不足で僅かに充血している。「もふもふ喪失パニック」以来、彼女たちは一分一秒たりともアレンの側を離れようとせず、彼の肌に触れることで、失われた黄金の毛並みの代替(癒やし)を求めていた。
「ルナ。……これじゃ、式典の準備が進まないよ。……ほら、離して。……民衆が待っているんだ」
「……だめよ。……貴方が人間になって、逃げ足が速くなった分、こうして繋ぎ止めておかないと不安なの。……ほら、アレン。……式典の前に、もう一度魔力を……っ」
ルナがアレンの首筋に歯を立てようとした瞬間、扉が乱暴に開かれた。
「お兄様ー!! シルフィ、お兄様のお着替え手伝ってあげる! ――【血糸の衣紋掛け(スカーレット・ドレス)】!!」
シルフィが、深紅の正装を身に纏い、真っ赤な瞳を輝かせて乱入してきた。彼女の指先から伸びる赤い糸が、アレンの礼装の皺を整える名目で、彼の身体をがんじがらめに縛り上げる。
「おばさん、離してよ! お兄様の隣は、シルフィが心臓を繋いで守るんだもん!」
「……誰がおばさんよ! シルフィ様、貴女のその不気味な糸で、アレンの晴れ着を汚さないでちょうだい!」
朝食のテーブルでは、すでにエリザベートが優雅に(しかし瞳の奥に狂気を宿して)座り、リヴィアが深海の聖水でアレンの席を清め、クラリスが祭壇のような戴冠用のクッションを抱えて祈りを捧げている。
アレンは、皇帝という最高権力を手に入れる直前でありながら、一歩歩くごとに誰かのスカートを蹴り、誰かの腕を振り払わなければならない、物理的な愛の包囲網の中にいた。
正午。
王都ルミナスの大聖堂前の広場。
そこを埋め尽くしたのは、数万の民衆と、辺境から駆けつけた三千のモンスター娘たちだった。
彼女たちは、かつての主君が「完璧な人間」として現れたことに一瞬戸惑ったものの、アレンから放たれる圧倒的な慈愛の波に当てられ、以前にも増して熱狂的な歓声を上げていた。
「アレン様ぁぁぁ!! 抱いてぇぇぇ!!(物理的な意味で!!)」
「もふもふじゃなくても、一生ついていくわぁぁ!!」
地響きのような歓喜の中、アレンは壇上へと進み出た。
彼は旧王国の、憎悪と支配の象徴であった重苦しい王冠を手に取ると、迷わずそれを足元に捨てた。
『……僕は、過去の王冠で君たちを縛りはしない』
アレンが天を仰ぐ。
彼の首の紋章から、白金の魔力が奔流となって溢れ出した。
それは空中で結晶化し、光り輝く七角形の冠――**『白金の冠』**へと姿を変え、自らの頭上へと静かに降り立った。
『――今日、この時をもって、エリュシオン王国の終わりを告げる。……ここに建国されるのは、種族も、身分も、過去の呪いも関係ない、真の自由と絆の国。……新エリュシオン帝国だ!!』
ドォォォォォォォォン!!
アレンの咆哮に呼応し、三千のモンスター娘たちが一斉に魔法を放ち、空を七色の火花で埋め尽くした。
民衆は涙を流して新しい皇帝を称え、世界は白金の光に祝福された。
だが、式典はこれだけで終わらなかった。
アレンは、隣に並び立つ八人の乙女たちを、一人ずつ振り返った。
彼女たちの瞳には、勝利の悦び以上に、アレンを「公的に独占する権利」への飢えが宿っていた。
『……そして。……僕と共に戦い、僕を支え続けてくれた八人の乙女たちに。……僕は、相応しい地位を与えたいと思う』
アレンの声が、魔導放送によって帝国全土に響き渡る。
ルナが、ミーシャが、フェリスが、エリザベートが、シルフィが、リヴィアが、クラリスが、アリアが。
彼女たちは期待と執着に震え、アレンの次の言葉を待った。
『……君たち八人を。……新帝国の「正妃」として迎える。……これより先、君たちの愛は国法となり、僕と共に、この国を支えてもらう』
「「「「…………っ!!」」」」
会場が、一瞬の静寂ののち、割れんばかりの絶叫に包まれた。
民衆は「慈愛の王にふさわしい選択だ」と讃え、モンスター娘たちは「私たちも側室に!!」とさらに加熱する。
だが、壇上のヒロインたちの心中は、そんな美しいものではなかった。
(……やったわ。……これで、国法として、アレンの隣を離れない権利を得た……。……もう、誰にも文句は言わせない……)
ルナが、アレンの背後からその腕に自身の魔力印を強く、深く刻み込む。
(お兄様が……。……お兄様が、シルフィを『お妃様』って呼んでくれた……。……ねえ、お兄様。……これで、一生シルフィの糸で縛られても、文句言えないよね……?)
シルフィが、恍惚とした表情でアレンの足元に跪き、その靴を熱烈に接吻する。
(……ふふ。……妃としての教育。……今夜から、さらに厳しく、そして甘く施してあげましょうね……アレン坊や……)
エリザベートが、アレンの右腕を自分の胸元に引き寄せ、勝利の微笑を浮かべた。
アレンは、万雷の拍手の中で、自らが放った勅令が、自分を救うための「管理」ではなく、八人のヤンデレヒロインに「合法的かつ永久的な捕食権」を与えてしまったことに、今さらながら気づいた。
式典が終わり、王宮の玉座へと向かうアレン。
だが、彼の歩みは重かった。
右にはルナ、左にはエリザベート、足元にはシルフィとフェリス、背後にはミーシャ、頭上にはピー、左右をリヴィアとクラリスが固め、アリアが常に衣装を直すふりをして糸で彼の肉体を拘束している。
玉座に辿り着いたアレンだったが、座るスペースはどこにもなかった。
八人の妃たちが、玉座を文字通り「包囲」し、アレンが座るべき場所を自分たちの膝や腕で埋め尽くしていたからだ。
『……あの。……これ、僕が座る場所、ないんだけど?』
「何言ってるの、アレン。……貴方の居場所は、ここ(私の膝)でしょ?」
ルナが、当然のようにアレンを自分の上に引きずり込む。
「いいえ。……皇帝陛下には、より高貴な私の腕の中が相応しいわ」
エリザベートが、アレンを反対側から引っ張り上げる。
建国初日。
新エリュシオン帝国の玉座の間は、皇帝の威厳ではなく、妃たちの「愛の揉み合い」による地響きで揺れ動いていた。
アレンは、白金の冠が重く、しかしそれ以上に、八人の妃たちから放たれる「逃がさない」という執着の重圧に、魂が押し潰されそうになっていた。
(……王様って、世界で一番自由な存在だと思ってたのに。……どうして、以前よりも一ミクロンも動けないんだ……)
だが、アレンは知っていた。
指先を僅かに動かせば、そこにまだ「もふもふの温もり」を呼び戻せる魔力が残っていることを。
解呪とは、呪いを消すことではなく、呪いをも自分の力(姿)に変えること。
アレンは、妃たちの狂おしいデレに包まれながら、静かに、そして不敵に微笑んだ。
新エリュシオン帝国。
それは、一人の黄金の王と、彼を愛してやまない乙女たちが紡ぐ、世界で最も過酷で、最も幸せな「終わりのない監獄」の物語。
アレンの真の反撃――あるいは受容は、ここから始まるのだ。




