第43話:解呪完成、失われた黄金
黄金の光に包まれた王都ルミナス。その中心に聳え立つエリュシオン王城の正門が、民衆の手によって内側から静かに開け放たれた。
かつて石を投げられ、呪われた精霊として追放されたアレンは今、白金の翼を背に広げた人間姿のまま、自分を崇拝する三千のモンスター娘と、彼を独占せんとする乙女たちを引き連れて、因縁の玉座の間へと足を踏み入れた。
静まり返った広大な広間。
そこには、かつてアレンに冷酷な言葉を投げかけ、首に呪鎖を嵌めた老いた国王と、保守派の貴族たちが、腰を抜かして床に伏していた。彼らの瞳には、もはやアレンを害しようとする憎悪の色はなく、ただ圧倒的な「白金の光」に当てられ、自らの罪の重さに打ち震える絶望だけが宿っている。
「……あ、アレン。……我が息子よ。……お前は、本当に……」
国王が震える指先をアレンに向ける。
アレンは無言のまま、父であった男の前に立った。
ルナの魔力が彼の背後で藍色に揺らめき、シルフィの赤い糸が彼の指先から王の喉元を狙うように震えている。エリザベートは、冷徹な微笑を浮かべてアレンの半歩後ろに控えていた。
「……父上。……僕は、貴方を復讐のために訪ねたのではありません。……ただ、僕を縛り続けたこの『過去』を、終わらせに来たんです」
アレンが静かに告げると、彼の首にある『白金の鎖』が、王家の血筋と全ヒロインの情念、そして民衆の信仰という三つの魔力を吸い込み、限界を超えて鳴り響いた。
――カチリ、カチリ、カチリ……パキィィィィィィン!!
玉座の間全体を、耳を劈くような硬質な音が支配した。
アレンの身体から噴き出した黄金の極光が、城の天井を突き抜け、王都の空をホワイトアウトさせるほどの輝きで塗りつぶす。
(……ああ。……鎖が、溶けていく。……僕を縛っていた、あの重苦しい『拒絶』の感触が消えていくんだ……)
アレンの意識は、眩い光の中で浮遊していた。
ルナの藍色、シルフィの赤、エリザベートの紫。それら全ての愛が、アレンという名の『王』の内側で一つに溶け合い、負の呪いを完全に浄化・吸収していく。
首を締め付けていた実体のある鎖は霧散し、代わりにアレンの魂そのものに、目に見えない白金の刻印が刻まれた。
光が収まった時。
玉座の間に立っていたのは、これまでのどの姿よりも神々しく、逞しく成長した「完全な人間姿」のアレンだった。
黄金の髪は腰まで届くほどに長く、碧い瞳は真理を見抜くような静かな光を湛えている。衣服はアリアが贈った軍礼装が、彼の新たな体格に合わせて完璧に再構築されていた。
「……呪いが、解けた……?」
アレンが自らの手を見つめ、呟いた。
これまではルナの供給や、極限の感情昂ぶりがなければ維持できなかった人間姿。それが今、呼吸をするのと同じように当たり前の「自分」として定着している。首元に手をやれば、あの冷たく重い鎖の感触はどこにもなかった。
「……やった。……僕は、自由になれたんだ!!」
アレンは晴れやかな笑顔で、背後に立つ仲間たちを振り返った。
だが、そこで彼が目にしたのは、勝利を喜ぶ乙女たちの姿ではなかった。
「…………嘘、でしょ?」
ルナが杖を落とし、呆然とアレンを見つめていた。その瞳からは、みるみるうちに涙が溢れ出していく。
「お、お兄様……? ……ない。……ないよ! お兄様の、あのもふもふの耳も、黄金の尻尾も、……どこにもないよぉ!!」
シルフィが悲鳴を上げ、アレンの足元に縋り付いて号泣し始めた。
「……なんですって? 解呪とは、あの可愛らしいマスコットの姿を『抹殺』することだったというの……?」
エリザベートが扇子を握りつぶし、その顔を激しい絶望に歪ませた。
「アレン様!! あの、撫でるだけで心が蕩けるような、最高の手触りの毛並みは!? 私が毎日磨き上げようと心に決めていた、あの黄金の奇跡はどこへ行ってしまったのですか!!」
クラリスが祭壇のように積み上げていたブラッシング用具を抱え、絶叫する。
「主殿……っ。……アタイ、あんたを背中に乗せて走るのが、一番の幸せだったのに……。……こんなに格好良くなっちまったら、アタイ……、どうやって甘えればいいんだよぉ!!」
フェリスが銀色の尻尾を力なく垂らし、その場に蹲った。
「「「「アレン様を(お兄様を)返してぇぇぇぇぇ!!(もふもふ的な意味で!!)」」」」
玉座の間は、旧体制の崩壊という歴史的瞬間を忘れ、ヒロインたちの未曾有のパニックによる阿鼻叫喚に包まれた。
ミーシャは脱皮したての肌で「もふもふ」を確認しようとアレンの全身をまさぐり、リヴィアは深海の聖水で「戻れ!」とアレンを濡らし、アリアは「この完璧な肉体に、もう一度毛を植え付ける衣装を……!」と狂ったように糸を紡ぎ始める。
「……え、ちょっと、みんな!? 喜んでくれるんじゃないの!? 僕は、ようやく人間になれたんだよ! 呪いから解放されたんだよ!!」
アレンの必死の訴えも、彼女たちの「もふもふ喪失による暴走」の前には無力だった。
「……喜べるわけないでしょ! 貴方のあの小さな肉球を、毎晩お布団の中でこっそりプニプニするのが、私の唯一の救いだったのに!!」
ルナがアレンの胸ぐらを掴み、激しく揺さぶる。
「……ええ、そうですわ。……この完成された人間姿も素晴らしいけれど……。……私の膝の上で丸まって寝ていた、あの『愛でるための塊』がない世界なんて、教育係として認められませんわ!!」
エリザベートが、アレンの首筋に顔を寄せ、執拗に「残り香」を嗅ぎ取ろうとする。
アレンは、解呪によって自由を手に入れたはずだった。
だが、目の前で自分を四方八方から揉みくちゃにし、泣き喚き、ついには「今すぐもふもふに戻りなさい!」と魔法をぶつけようとする女たちの執着は、以前よりも遥かに鋭利で、逃げ場のないものへと進化していた。
人間姿になったことで、彼女たちの「雄」に対する捕食欲と、マスコットに対する「庇護欲」が同時に爆発し、アレンはかつてないほどの物理的な圧殺危機に直面していた。
(……自由って、何だったかな。……呪いが解けても、僕を縛る『愛の鎖』は、一ミクロンも緩んでいない気がする……)
アレンは、涙を流しながら自分を奪い合う乙女たちの中心で、深い溜息をついた。
玉座に座る暇さえ与えられず。
建国の宣言をする余裕も与えられず。
アレンは「完全な人間」として、世界で最も過酷な「愛の再教育」を受けることになった。
だが、その騒乱の最中。
アレンの指先が、微かな黄金の火花を散らした。
白金の鎖が魂に溶け込んだことで、彼は気づいていた。
「解呪」とは、消滅ではなく、自らの意志による『変幻自在』への扉であることを。
しかし、それを今ここで彼女たちに教えてしまえば、一生マスコットの姿から戻してもらえないだろう。
アレンは賢明にも、その事実を秘密にすることを誓い、彼女たちの「重すぎる愛」の中に沈んでいった。
新エリュシオン帝国。
その幕開けは、皇帝の戴冠よりも先に、妃たちの絶叫と、失われたもふもふへの鎮魂歌によって彩られたのである。




