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第40話:王妃の孤独、懐柔の晩餐

 藍色の魔力が渦巻くルナの寝室は、シルフィが心臓から紡ぎ出した真紅の命糸ライフ・ストリングによって、赤と藍が混ざり合う混沌とした牢獄へと変貌していた。

 中心に囚われたアレンは、ルナによる生存権の掌握と、シルフィによる生命の同期という二重の過負荷オーバーロードに晒され、その碧い瞳は焦点が合わず、荒い呼吸を繰り返している。


「はぁ、はぁ……っ。……ルナ、シルフィ……。……身体が、熱くて……鼓動が、うるさすぎるんだ……っ」


 アレンの胸元には、ルナの藍色の魔力印が脈打ち、そこからシルフィの胸へと直接繋がる赤い糸が、彼の心臓を物理的に締め上げていた。ルナが魔力を供給するたびにシルフィの鼓動が跳ね、シルフィが歓喜するたびにルナの魔力回路が激しく揺らぐ。


「……アレン。……大丈夫よ、私が……私がもっと深く、貴方を塗りつぶしてあげるから……」

「お兄様、お兄様! ほら、シルフィの心臓と一緒に、もっともっと速く走ろう……?」


 狂気的な独占欲に突き動かされる二人。アレンの意識がその情念の濁流に飲み込まれ、マスコットの姿へ戻る余力すら失いかけていた、その時だった。


 ――カツン。


 硬い靴音が、魔力の不協和音を切り裂いて響いた。

 重厚な扉が、一切の衝撃音を立てずに左右へと開かれる。そこに立っていたのは、紫のドレスを完璧に着こなし、冷徹なまでの気品を纏った第一王妃、エリザベートだった。


「……あら。……随分と見苦しい『お遊戯』を続けているのね、貴女たち」


 エリザベートが扇子を広げ、氷のような瞳で室内を一瞥した。彼女から放たれる圧倒的な威圧感プレッシャーに、ルナの藍色の魔力が微かに震え、シルフィの赤い糸が萎縮するように細くなる。


「エリザベート様……っ。……今は、邪魔をしないで! アレンの魔力安定は、私が――」

「おばさん、あっち行って! お兄様は今、シルフィと一つになってるんだもん!」


 二人の抗議を、エリザベートは鼻で笑い飛ばした。


「……『安定』? 『一つ』? ……笑わせないで。……貴女たちがやっているのは、アレン坊やという稀代の宝を、子供の喧嘩で引き千切ろうとしているに過ぎないわ。……見てごらんなさい、あの子の顔を。……私の可愛いマスコットが、貴女たちの未熟な愛で壊れかけているのがわからないの?」


 エリザベートが指先を僅かに動かす。それだけで、室内の空気が「支配」の魔力によって固定された。ルナとシルフィの動きが、物理的な拘束ではなく、格上の王族が放つ絶対的な法によって封じられる。


「……っ、身体が……動かない……!?」

「おばさん……、何したの……っ!」


 エリザベートは優雅な足取りでベッドへと近づき、ぐったりとしたアレンの腰に手を回した。


「……さあ、アレン。……教育の時間よ。……不潔な女たちの手垢を、私が綺麗に落としてあげましょう。……貴方が本当に求めているのは、こんな息苦しい拘束ではなく……私が与える、絶対的な『安らぎ』のはずよ」


 エリザベートは、ルナの腕からアレンを強引に引き剥がした。ルナの魔力供給が一時的に遮断され、アレンの意識が遠のきそうになるが、エリザベートの紫の魔力がそれを優しく、しかし強固に包み込み、意識の崩壊を食い止める。


「……アレン坊や。……私の専用サロンへ行きましょう。……今夜は、貴方のために『王都の味』を用意させたわ」


 エリザベートはアレンを横抱き(お姫様抱っこ)にすると、動けないルナとシルフィを背後に残し、そのまま部屋を後にした。


 王宮の最上階、月光が差し込むエリザベートの専用サロン。

 そこには、辺境の野生味を一切排除した、王都ルミナスの最高級ホテルさえ凌ぐ優雅な食卓が整えられていた。

 テーブルの上には、アレンがかつて王子として暮らしていた頃、誕生日のたびにエリザベートが作らせていたという、思い出のシチューと黄金色のパンが並んでいる。


「……さあ、アレン。……私の膝の上へ」


 エリザベートはソファに深く腰掛け、アレンを自分の膝の上に座らせた。

 アレンの背中は、彼女の柔らかな胸元に預けられ、首筋には彼女が好む『高貴な薔薇の香水』が漂う。ルナの石鹸の香りや、シルフィの鉄のような匂いが、エリザベートの洗練された香気によって、一寸の猶予もなく上書きされていく。


「……はぁ……、はぁ……。……エリザベート、義姉様……。……僕、もう……」


「……喋らなくていいわ。……貴方はただ、私が運ぶ食事を摂り、私の温もりに浸っていればいいの。……ほら、あーんして」


 エリザベートが、銀のスプーンで温かなシチューをアレンの口元へ運ぶ。

 アレンは、極限の疲労と飢餓感から、抗う力を持たなかった。差し出された食事を口に含むと、懐かしい王都の味が舌の上で広がり、強張っていた心が、魔法のように解けていくのを感じた。


(……ああ。……この味。……昔、王城で独りぼっちだった時……。……エリザベート義姉様だけが、こうして僕に……)


 アレンの脳裏に、かつての記憶が蘇る。厳しい教育係として恐れられながらも、自分を「特別な存在」として扱い、誰にも触れさせなかったエリザベート。

 ルナの魔力支配は「依存」を生み、シルフィの心臓同期は「共有」を強いたが、エリザベートのこの「懐柔」は、アレンの魂の深層にある『孤独』に、毒のように甘く染み込んでいく。


「……美味しい? ふふ、正直な子ね。……アレン、貴方の心拍数が落ち着いてきたわ。……ルナの藍色も、シルフィの赤も、私の前ではただのノイズ。……貴方を本当に理解し、貴方の居場所を作ってあげられるのは……結局、私だけなのよ」


 エリザベートがアレンの黄金の髪を指で梳き、そのまま彼の耳元で、蕩けるような甘い声で囁いた。


「……もう、どこへも行かなくていいのよ。……貴方の領地も、貴方の臣下も、私が完璧に管理してあげましょう。……貴方はただ、この美しい王宮の中で、私の可愛いマスコット……いえ、私の『秘密の王様』として、一生私に愛されていればいいの……」


 食後のデザートとして、エリザベートは小瓶に入った紫色の液体を、アレンの唇に押し当てた。

 それは彼女が特別に調合させた『魔力安定剤』。ルナがアレンの回路に仕掛けた「依存の鍵」を一時的に無効化し、アレンの意識をエリザベートの魔力だけに同調させるための「教育(処置)」だった。


 トクン……と紫の液体を飲み干すと、アレンの全身から力が抜け、彼は完全にエリザベートの腕の中に埋もれた。

 碧い瞳からルナの藍色の火花が消え、シルフィの赤い糸の脈動も、エリザベートの静かな魔力によって鎮められていく。


「……はぁ、エリザベート……義姉、様……。……なんだか、……とっても、眠いんだ……」


「ええ、おやすみなさい、アレン坊や。……夢の中でも、私だけを見なさい」


 エリザベートは、膝の上で眠りについたアレンを、壊れ物を扱うように、しかし逃がさないという確固たる意志を込めて抱きしめた。


 そこへ、ようやく魔力拘束を振り払ったルナとシルフィが、血相を変えてサロンに駆け込んできた。


「アレンを……! アレンを返しなさい、エリザベート様!!」

「お兄様、お兄様! 離して、そのおばさん!!」


 だが、二人はサロンの入り口で、立ち尽くすしかなかった。

 月光の下、エリザベートの膝の上で安らかな寝息を立てるアレンの姿。そして、それを見下ろすエリザベートの、勝利と慈愛、そして狂気に満ちた微笑。


「……静かになさい。……アレンは今、私の教育によって、真の『安らぎ』を得たところよ。……貴女たちの野蛮な独占欲は、この子の毒にしかならないわ。……これからは、私がこの子を……そしてこの領地を、正しく導いてあげましょう」


 エリザベートは、アレンの首にある『白金の鎖』を愛おしそうに撫でた。

 鎖は彼女の紫の魔力を吸い込み、深みのある高貴な色へと変質していく。


 ルナの生存支配、シルフィの生命同期。そこにエリザベートの精神懐柔が加わった。

 アレンの首を絞めるかせは、今や三重に重なり合い、一分の隙もない『愛の監獄』を完成させていた。


 アレンは夢の中で、かつての王都ルミナスの幻影を見ていた。

 だが、その王都は今、彼を愛する乙女たちの執念によって、黄金の領土へと書き換えられようとしている。


(……僕は……もう、逃げられないんだね……)


 眠りの中の呟きさえも、エリザベートの紫の魔力の中に、静かに溶けて消えていった。


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