第37話:究極の着せ替え人形、糸の牢獄
『紫金の王宮』の最北端。そこには、日光を極端に嫌うアラクネの娘、アリアの工房が構えられていた。
天井からは無数の銀糸が垂れ下がり、壁にはアレンのこれまでの採寸データが、魔導書数冊分にも及ぶ精密さで記録されている。
「……アレン様。……夜の『人間姿』が定着してきた今こそ、貴方様を、真に完成させなければなりませんわ」
アリアの声は、静かだが熱を帯びていた。
彼女はアレン(人間姿)を工房の中央、巨大な糸の魔法陣が描かれた円卓の上に招いた。アレンが腰を下ろした瞬間、足元から伸びた不可視の糸が、彼の足首と手首を優しく、しかし確実に拘束した。
『……アリア? 採寸にしては、少し縛りすぎじゃないかな……?』
「……いいえ。……一ミリ。……いえ、一ミクロンも、貴方の肉体の『真実』を見逃すわけにはいかないのです。……さあ、じっとしていて。……私の指先が、貴方の全てを記憶しますから」
アリアは、八本の脚を駆使してアレンの周囲を音もなく旋回した。
彼女の指先は、まるで熟練の楽器奏者のように繊細に動き、アレンの鎖骨、脇腹、太腿の筋肉の付き方を、糸を這わせるようにして直接なぞっていく。
「……ああ。……なんて、なんて素晴らしい造形。……この肌の弾力、この骨格のバランス。……これこそが、私の『キャンバス』。……アレン様、貴方は今日から、私の最高傑作(お人形)になるのよ」
アリアは、自らの魂を削って織り上げた新作『永劫の肖像』をアレンの前に差し出した。
それは、深海の真珠と黄金の魔力糸、そしてリヴィアやフェリスから奪い取った魔力触媒を贅沢に織り込んだ、眩いばかりの軍礼装だった。
「……さあ、袖を通して。……これで、貴方の時間は、私の指先で止まるわ」
アレンが衣装を身に纏った瞬間だった。
服の内側に仕込まれた数万本の『極細魔導糸』が、一斉にアレンの皮膚に吸い付き、筋肉と神経の隙間へと滑り込んだ。
「――っ!? 体が……勝手に……っ!」
アレンの意志とは無関係に、彼の背筋がピンと伸び、右腕は胸元に、左手は腰の剣(飾り)へと、最も「絵になる」角度で固定された。
それは、衣装による物理的な矯正。アレンは、立っていることすらアリアの設計図に従わされる、生きた人形と化した。
「……ふふ。……完璧。……でも、まだ足りないわ。……アレン様、貴方のお顔が、少しだけ『不安』に歪んでいます。……私の作品に、そんなノイズは必要ありませんの」
アリアが、アレンの顔の至近距離まで近づいた。
彼女は八本の指(人間の手と蜘蛛の脚の先端)を同時に使い、アレンの頬に触れた。
「……眉は、あと二ミリ上げて。……そう、凛々しく、高潔に。……瞳は、少しだけ伏せて。……哀愁を帯びた、慈愛の眼差しに」
アリアの指先がアレンの眉間に触れると、皮下に潜り込んだ糸が筋肉を強制的に引き上げ、アレンの表情を「理想の王」のそれへと作り変えていく。
アレンが「やめてくれ」と口を開こうとすると、アリアの親指が彼の唇を優しく、しかし強引に塞いだ。
「……お口を動かしてはいけません。……お喋りは、私の作品の美しさを損なうわ。……唇の端を、ほんの少しだけ上げて……。……そう、全てを許すような、完璧な微笑みを。……動かないで。……そのまま、私の瞳に焼き付いていて」
アリアは、アレンの唇を自分の指でこねるようにして、理想の「微笑の弧」を作り上げる。
アレンの意識ははっきりとしているが、表情筋の一つに至るまでアリアの糸に支配され、自分の顔が自分の物ではないような、不気味な感覚に襲われていた。
「……ああ……。……美しいわ、アレン様。……これなら、一生このまま、私の工房の天井から吊るしておきたい。……誰の目にも触れさせず、私だけが、毎日貴方の表情を、私の愛で整えてあげるの……」
アリアは恍惚とした表情で、アレンの首筋に新たな装飾(という名の拘束糸)を巻き付けていく。
アレンの『白金の鎖』が、この異常な状況に反応し、激しく発光した。
ガチリ。
鎖から放たれた浄化の魔力が、アレンを縛る糸を焼き切ろうとする。
だが、アリアは狂気的な笑みを浮かべ、その白金の光さえも、自分の指先で掴み取った。
「……その光さえ、私の衣装の『宝石』にしてあげるわ。……暴れないで、アレン様。……貴方はただ、美しく、飾られていればいいのです。……感情も、意志も、全て私がデザインして差し上げますから……」
アリアはアレンの胸元に耳を当て、彼の激しい鼓動を聞きながら、その鼓動のテンポさえも糸で「調律」しようと魔力を流し込む。
その時。
ドォォォォォォォォン!!
工房の壁が、藍色の雷と黄金の稲妻によって爆破された。
「――返しなさい! そのお人形は私の物よ!!」
ルナが絶叫し、髪を振り乱して乱入してくる。
「主殿にそんな窮屈な服着せてんじゃねぇ! アタイの主殿は、戦場で荒々しく吠えるのが一番格好良いんだよ!!」
フェリスが雷刀を構え、アレンを吊り下げていた糸をなぎ払う。
糸が切れ、アレンの体が地面へと崩れ落ちる。
同時に人間姿の維持限界が訪れ、彼は再び、小さな黄金の毛玉へと戻った。
「……あら。……お掃除の時間が早すぎましたわね。……せっかく、これから唇の奥まで『調整』して差し上げるところでしたのに」
アリアは、不満げに指先を噛み、アレンを見つめた。
「……でも、データは全て手に入れましたわ。……アレン様。……次は、貴方のその『毛並み』の一本一本を、私の糸に植え替えて差し上げますわね。……そうすれば、貴方は永遠に、私の腕の中で微笑み続けられる……」
アレンは、ルナの腕の中に逃げ込みながら、アリアの執念深い視線に、かつてない戦慄を覚えていた。
首の鎖、蛇の紋章、銀の首輪、そして――。
アレンの全身には、目に見えないアリアの『愛の糸』が、今も血管のように張り巡らされていた。
(……助けて。……ルナ。……次は、君の番だよね。……僕の脳みそまで、君の魔力で書き換えられる気がするよ……)
黄金の王アレン。
職人の偏執的な愛は、彼を「意思を持つ王」から「愛でられるための偶像」へと、一歩ずつ作り替えていくのだった。




