第31話:隣国からの「聖女」襲来
黄金の領土、その北の国境線が、見たこともないほどに白く、清浄な光に包まれていた。
空からは幻視の白い花びらが舞い落ち、大気には厳かな賛美歌が木霊している。それは、大陸最大の宗教国家『セイント・ルミナス教国』が誇る移動聖域――第一聖女クラリスの降臨を告げる神威であった。
「……何よ、あの鼻につくほど真っ白な魔力は。……吐き気がするわ」
ルナがログハウスの屋根の上で、杖を構えながら忌々しげに吐き捨てた。彼女の隣では、ミーシャが鋭い牙を剥き出しにし、フェリスが全身の銀毛を逆立てて唸り声を上げている。
「主殿を『救済』しに来ただぁ? けっ、笑わせるぜ。あんな透き通ったツラして、狙ってるのは主殿のもふもふだろ!」
「……ええ。……あの女の瞳、慈愛の中に『飢え』が見えるわ。……アレン様をあんな不自然な光の中に連れて行かせない」
領地の境界線。数千の聖騎士を引き連れた聖女クラリスが、一歩、また一歩と黄金の森へ足を踏み入れる。彼女が歩くたびに枯れ草が芽吹き、白い花が咲き乱れる。そのプラチナブロンドの髪は陽光を反射して神々しく、金色の瞳は一点の曇りもない。
「ああ……。見えましたわ。……あそこに、迷える聖獣様がおられるのですね」
クラリスが、ログハウスのテラスにいた黄金のマスコット――アレンを見つけ、感極まったように胸元で手を組んだ。
「なんて痛ましく、そしてなんて気高い輝き。……あんな薄汚いモンスターたちや、罪深き女たちに囲まれて……。さあ、アレン様。……貴方を、神の御許……私の腕の中へと救い出して差し上げます」
『……えっ、あの、聖女様? 僕はここで幸せに暮らしているし、みんなは僕の大切な仲間なんだよ……?』
アレンが念話を放つが、クラリスは優しく首を振った。
「可哀想に。……邪悪な呪いに中てられて、自らの意志を失っておられるのですね。……大丈夫ですよ。……私が、その首にある忌まわしい鎖を、神の光で焼き切ってあげますから」
「ちょっと!! 勝手なこと言わないで!」
ルナが飛来し、クラリスの前に立ちはだかる。
「アレンの鎖はもう呪いじゃないわ! 私たちとの『絆』なのよ! 貴女みたいな部外者が、神の名を借りてアレンを奪おうなんて、一万年早いのよ!!」
「……あら。……汚らわしい魔導士さん。……聖獣様を私物化し、あろうことか『鎖』などという不浄な言葉で縛り付けるとは。……貴女のその罪、私の光で浄化(消滅)させてあげましょうか?」
クラリスが微笑んだ瞬間、彼女の背後に展開された魔法陣から、容赦のない熱線が放たれた。慈愛に満ちた言葉とは裏腹の、敵対者を塵にすることに躊躇いのない攻撃。
「――っ、危ないだろ、この偽善者!!」
フェリスが黄金の雷で熱線を弾き飛ばす。
「……ふふ。……群がる羽虫たちが、聖獣様を隠しているのですね。……ならば、力ずくで引き剥がすしかありませんわ」
クラリスが宙を歩き、アレンの元へと真っ直ぐに近づいてくる。彼女が放つ聖なる圧迫感に、ピーやクゥ、アリアまでもが動きを制限され、膝をついた。
「さあ、アレン様。……清らかな私の胸へ……」
クラリスがアレンを優しく、しかし抗えない力で抱き寄せた。
黄金の毛玉が、真っ白な法衣に包まれる。
その瞬間だった。
アレンの首にある『白金の鎖』が、クラリスの放つ極純の神聖魔力に過剰反応した。
ガチリ。
白金の光が爆発し、クラリスの体内へとアレンの「慈愛」と「全ヒロインの情念」が混ざり合った魔力が逆流した。
「――えっ。……あ、あ、あああああああああああああああああああああああッ!!?」
クラリスの絶叫が、森を震わせた。
彼女の美しい金色の瞳が、一瞬で裏返り、激しく明滅する。
これまで十九年間、神への祈りと禁欲だけに捧げてきた彼女の「聖域」。それが、アレンという名の『実体化した愛』によって、根底から破壊され、上書きされていく。
「な、何よこれ……。熱い、熱いです、アレン様……! 私の、私の魂が……貴方の黄金に焼かれて……溶けてしまう……っ! ああ、あああああッ!! 神様、許してください、私……私……!!」
クラリスがアレンを抱きしめたまま、その場に崩れ落ちた。
彼女の法衣は乱れ、プラチナブロンドの髪が地面に広がる。
数秒前までの「聖女」の姿は、そこにはなかった。
顔は赤く上気し、瞳にはドロドロとした執着の光が宿っている。彼女はアレンの黄金の毛に顔を埋め、まるで飢えた獣のように、その匂いを貪り始めた。
「……ああ。……わかったわ。……これこそが、真の神託。……アレン様こそが、私の神。……アレン様を独占することこそが、私に与えられた唯一の使命なのですね……!!」
『……く、クラリス様? 顔が、顔が怖いよ……?』
「……怖い? いいえ、これは歓喜ですわ。……アレン様、貴方のその小さな手足を、私の祈りの言葉で縛り上げて差し上げます。……不浄な女たちは、一人残らず神の火で焼き尽くし、貴方と私だけの、二人きりの『聖域』を築きましょう……ふふ、ふふふふふ!!」
クラリスが立ち上がり、空を仰いで笑い出した。
その背後に浮かぶ魔法陣は、もはや清浄な白ではなく、執愛の色を帯びた黄金に染まっていた。
「……何これ。……ヤンデレ成分が、エリザベート様やシルフィ様より濃いじゃない……」
ルナが戦慄し、一歩後ずさった。
「……最悪ね。……『神の名の下に独占する』なんて。……理屈が通じない分、私たちより厄介だわ」
ミーシャの鱗が、恐怖で逆立つ。
クラリスは、驚愕する聖騎士団に向かって、冷酷な声で命じた。
「……騎士たちよ。……今日から、ここが私たちの教国です。……アレン様を汚す『不浄なる雌ども』を排除するための、聖戦を開始しなさい。……逆らう者は、例え教皇であろうとも破門(処刑)に処します」
「「「「……は、はい! 聖女様!!」」」」
聖騎士たちまでもが、クラリスの発する狂気的な魔力に洗脳され、膝をつく。
アレンは、クラリスの腕の中で、自分の首の鎖が一段と重くなったことを感じていた。
彼女の「信仰という名の愛」は、アレンの呪いを、もはや人間の力では解けない『神格化された束縛』へと昇華させてしまったのだ。
「……さあ、アレン様。……まずは、貴方のその黄金の体を、私の舌で……隅々まで浄化して差し上げますわね」
『ひぇっ!? 助けて、みんな! 聖女様が、聖女様が僕を食べようとしてる!!』
アレンの悲鳴が響く中、クラリスは恍惚とした表情で彼を自室(という名の祭壇)へと運び去ろうとした。
「させないわよ、この狂信女!!」
「主殿を離せ!! アタイが、あんたのその神聖を雷で焼き切ってやる!!」
ルナとフェリスが、決死の覚悟で「新生・聖女」へと襲いかかる。
黄金の領土、アレン領。
そこには今、宗教という名の免罪符を手に入れた、史上最強に『重い』聖女が加わった。
アレンの「もふもふ受難」は、ついに神の領域へと突入するのだった。




