第30話:波乱のログハウスと深海の貢ぎ物
黄金の領土に、潮騒の香りが満ちていた。
内陸の深い森に建つ『紫金の王宮』。その重厚な正門の前に、前代未聞の行列が並んでいる。先頭に立つのは、蒼い鱗を陽光に輝かせ、傲岸不遜な笑みを浮かべた海竜娘のリヴィアだ。
彼女の背後には、巨大な貝殻に詰め込まれた深海の秘宝――夜光真珠、魔導珊瑚、そして見たこともないほど巨大な大トロの切り身を担いだ、半魚人の手下たちが控えていた。
「……道を開けろ、陸の猿ども。……我が主、海神アレン様への献上品だ。……この程度の広さでは入りきらぬかもしれぬが、まあ、庭の隅にでも積んでおくがよい」
リヴィアが角を光らせ、出迎えたルナやフェリスを冷たく見下ろす。その態度は、敗北した捕虜のそれではなく、略奪に来た征服者の王女そのものだった。
「……なんですって!? この生臭いトカゲ女! 誰が『陸の猿』よ! 私はアレンの筆頭魔導士、ルナ・アルマよ。貴女みたいな不法入国者は、今すぐ私の藍色の雷で干渉排除してあげるわ!」
「あんだと!? 主殿の騎士はアタイだ! 貢ぎ物なんかで主殿の心が買えると思ってんじゃねぇぞ! 魚臭ぇ女は海に帰って刺身にでもなってろ!!」
フェリスが黄金の雷をパチパチと散らし、リヴィアの鼻先まで詰め寄る。だが、リヴィアは眉一つ動かさず、優雅に指先で髪を弄った。
「……ふん。……忠犬が吠えているな。……良いか、私はあの方の『白金の鎖』に繋がれた瞬間に悟ったのだ。……あの御方は、陸に留まるべき器ではない。……深海の冷たく静かな宮殿で、私と二人きり、永遠の揺りかごに揺られるべきお方なのだ。……貴様らのような騒がしい連中とは、格が違うのだよ」
『……リ、リヴィア。……もういいよ、みんな。……とりあえず、中に入って。……外で喧嘩されると、近所のコボルトたちが怖がっちゃうから……』
リビングの窓から、アレンがマスコットの姿でひょこりと顔を出した。
その瞬間、リヴィアの「女王の仮面」が、音を立てて崩れ落ちた。
「――っ、アレン様!! ああ、なんて愛らしい……! その黄金の毛並み、やはり私の鱗をすり合わせるのに最高の手触りだわ! さあ、今すぐ私の腕の中へ! 陸の乾燥から、私の潤いで守ってあげますわ!!」
リヴィアは、先ほどまでの尊大さが嘘のような速度でリビングへと突進し、アレンを抱き上げた。
彼女はアレンを豊かな胸元に押し付け、額の角をアレンの腹部にぐりぐりと擦り付ける。
「……ああ、この感触。……私の海にはなかった、命の鼓動。……アレン様、貴方は今日から私の『神』であり、私の『番』です。……誰にも触れさせません。……私の粘液で、貴方を一晩中コーティングして差し上げます……ふふ」
『ひゃうんっ!? リ、リヴィア、冷たいよ! それに角が刺さるってば!』
「離せ、この触手女!! アレンを汚さないで!!」
ルナが絶叫し、アレンをリヴィアの腕から強引に引き剥がそうとする。
「……あら。……随分と賑やかな新入りね」
奥から、エリザベートが優雅に扇子を揺らして現れた。
彼女の紫の瞳が、リヴィアの額にある『白金の鎖』の共鳴跡を捉える。
「海のリバイアサン……。アレン坊や、貴方、とうとう海産物にまで手を出したのね。……私の教育が、少しだけ『広すぎた』かしら?」
「お兄様、お兄様! シルフィ、お魚の女の子なんて嫌い! お兄様が魚臭くなっちゃうもん! ――【血糸のお洗濯】!!」
シルフィが、巨大な鎌を振り回しながら、アレンに巻き付こうとするリヴィアの指先を赤い糸で縛り上げる。
リビングは一瞬にして、陸・空・海のヒロインたちが入り乱れる、カオスな戦場と化した。
「……黙れ、小娘ども。……主君への愛に、種族の壁などない。……アレン様、ご覧ください。……私が持ち込んだこの『深海の聖水』。……これを温泉に混ぜれば、貴方の『白金の鎖』は、さらに美しく響くことでしょう。……さあ、私と混浴の儀を……」
リヴィアは強引にアレンを小脇に抱えると、そのまま裏庭の魔力温泉へと向かおうとした。
「させるかぁ!! 混浴はアタイの騎士特権だ!!」
「……ふふ。……私の脱皮した皮でアレン様を包むのが、一番の治療よ。……邪魔しないで、魚の切り身さん」
フェリスとミーシャが立ちはだかり、リヴィアと一触即発の事態に。
アレンは彼女たちの腕の中で、右へ左へと引きずられ、もふもふの毛が絶え間なく引っ張られていた。
『……あ、あぐ。……みんな、重い、重いってば……! 僕は、ただ静かにお茶を飲みたいだけなんだ……!』
アレンの首の鎖が、彼女たちの衝突する魔力を吸い込み、白金の輝きを増していく。
その共鳴音は、今や美しい旋律となってログハウス全域に響き渡っていた。
その歌を聴いた領地内のモンスター娘たちは、一斉にアレンの方を向き、恍惚とした表情で跪く。
「……見て。……アレン様の『愛の歌』が、辺境を支配していくわ。……貴方は、もはやこの世界の中心なのよ、アレン」
エリザベートが、騒動のど真ん中でアレンの頬をなぞる。
彼女の指先もまた、リヴィアの参戦によって煽られた独占欲で、微かに震えていた。
結局、その日の午後は、リヴィアが持ち込んだ魚介類をクゥが調理し、豪華な「海鮮パーティー」が行われることになった。
だが、食卓でも戦いは終わらない。
「アレン様、この深海ウニを。……私の口で、ちょうど良い温度に……」
「ダメだぜ主殿! アタイの獲った猪の肉の方が、あんたの筋肉になるぜ! ほら、あーん!」
「……いいえ、アレンには私の管理した栄養バランスが――」
アレンの口には、次から次へと食べ物が押し込まれ、マスコットの頬袋は限界まで膨れ上がった。
その夜。
人間姿に戻ったアレンは、テラスの椅子にぐったりと座り、月を眺めていた。
隣には、当然のようにリヴィアが寄り添っている。
「……アレン様。……夜の貴方は、より一層、神々しいですね。……陸の女たちは騒がしすぎて、貴方の本当の価値を理解していません。……私なら、貴方を静寂の底へ、誰の声も届かない場所へ連れて行って差し上げられるのに……」
リヴィアが、アレンの肩に頭を預け、冷たい吐息を漏らす。
彼女の「女王としての尊大さ」は、アレンの前では、ただの「重すぎる甘え」へと変質していた。
「……リヴィア。……僕は、どこへも行かないよ。……ここが、僕の家だから」
「……ふふ。……ならば、私もここを『私の海』にしましょう。……アレン様、今夜は、私の鱗で貴方を磨かせてくださいね……」
リヴィアの指先が、アレンの鎖に絡みつく。
ふと、アレンは北の空を見上げた。
そこには、昨夜よりも一際強く、白く輝く『神託の光』が立ち昇っていた。
(……聖教国。……今度は、宗教の力で僕を縛りに来るのか……)
新たな刺客の気配を感じつつも、アレンは自分に縋り付くリヴィアの温もり――あるいは冷たさに、逃げ場のない心地よさを感じていた。
黄金の王アレン。
陸、空、海。
全ての愛を手中に収めた彼の周りには、もはや一寸の隙間もないほどの「重すぎる執着」が渦巻いていた。




