第25話:国境線への集結
王国軍五万を退けた、黄昏の辺境。
戦場には、アレンが放った『白金の抱擁』の残光が粒子となって降り注ぎ、傷ついた大地を黄金の草花で覆い尽くしていた。
武装を解いた数万の兵士たちは、アレンの慈愛に当てられ、戦意を喪失したまま呆然と膝をついている。彼らにとって、目の前の小さな黄金の毛玉は、もはや「討伐対象」ではなく「信仰の対象」へと変貌していた。
『……ふぅ。……みんな、本当にお疲れ様。……怪我はないかい?』
アレンがマスコットの姿で、力なく念話を放つ。
白金の鎖を使い切った代償で、その毛並みは少しだけくすんでいたが、仲間たちの献身的な愛(魔力)が、すぐに彼の芯を温め始めていた。
「アレン様! 無事でよかった……本当に……っ!」
クゥが泣きながらアレンを抱き上げ、そのもふもふの体に顔を埋める。
「主殿! あんた最高だったぜ! あの王妃のクソ結界をぶち抜いた瞬間、アタイ、痺れすぎて尻尾が折れるかと思ったんだ!」
フェリスが黄金の雷をパチパチと散らしながら、アレンの背中をべろべろとなめる。
「……ちょっと、野良犬。……アレンをなめないで。……まずは、この『戦後処理』をどうにかしなさい」
ルナが泥だらけのローブを翻し、アレンの前に立った。
彼女の視線の先には、ボロボロになったドレスのまま、優雅に(しかし執着を隠さず)こちらを凝視しているエリザベートと、巨大な鎌を杖代わりにして座り込むシルフィの姿があった。
「……あら。……ルナ、貴女に指図される筋合いはないわ。……アレン、おいで。……勝負は貴方の勝ち。……約束通り、私は貴方の軍門に下ってあげるわ」
エリザベートが、不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
彼女の言葉に、ルナとモンスター娘たちの背筋に戦慄が走る。
「……『軍門に下る』ですって!? 貴女、まさかここに居座るつもりじゃないでしょうね!」
「当然でしょう? 敗軍の将として、勝者であるアレンの側で『監視』されるのは当然の義務。……それに、アレンの教育係を途中で放り出すわけにはいかないもの。……一から、みっちりと『躾け直して』あげなくては」
エリザベートの指先が、アレンの首にある『白金の鎖』をなぞる。
鎖は彼女の魔力を拒絶しなくなった。それは「支配」を「絆」へと上書きしたアレンの選択の結果だが、同時にエリザベートがアレンに「触れる権利」を得たことも意味していた。
「お兄様ー!! シルフィも、シルフィも一緒に住むもん!!」
シルフィが猛烈な勢いでアレンに飛びついた。
アレンをクゥの腕から奪い取り、その小さな体を自分の頬にぐりぐりと押し付ける。
「シルフィ、お兄様に負けてとっても幸せなの! お兄様の光、すっごく熱くて、シルフィの心をドロドロに溶かしちゃったもん! ……だから、もう一生、離さない。……お兄様の隣に、シルフィの寝床を作るんだ!」
『えっ、ちょ、シルフィ……! 苦しい、もふもふが潰れちゃう……っ!』
「……許さない。……絶対に許さないんだから!!」
ルナの魔力が暴走し、周囲の小石が藍色の光で浮き上がる。
「アレンは私の幼馴染で、この領地の主よ! 貴女たちは侵略者! 今すぐ王都に帰って、一生反省文でも書いてなさい!」
「……ふん。……器の小さな女。……アレン、この泥棒人間を私の代わりに教育係に指名したのは失敗だったようね。……さあ、アレン。……ログハウスの増築を命じなさい。……私のための、最高級の『王妃の間』が必要だわ」
「シルフィは『お兄様と一緒の部屋』がいい!!」
「……アレン様。……この女たちを、今すぐ私の毒で溶かしてよろしいでしょうか?」
ミーシャが、殺意の極致に達した瞳で、二人の王族を睨みつける。
戦場は一瞬で、血なまぐさい戦争から「アレンの所有権」を巡る、地獄のような内戦へと移行した。
結局、アレンの提案(という名の泣き落とし)により、エリザベートとシルフィは「武装解除」と「ルナの監視下」という条件で、ログハウスへの居住を許可されることになった。
数時間後。
ログハウスの前には、投降した王国軍の工兵たちが、アレンの魔力で強化された木材を使い、猛スピードで「王宮級」の増築工事を開始していた。
「……何よこれ。……私の家が、どんどんあの女たちの好みの毒々しい紫と赤に染まっていくわ……」
ルナが、変わり果てていくログハウスを見て涙ぐむ。
リビングでは、エリザベートが持ち込んだ高級なソファを中央に据え、アレンを自分の膝の上に乗せて優雅に茶を啜っていた。
「……アレン坊や。……この毛並み、少し荒れているわね。……辺境の安物ではなく、私が王都から取り寄せた『聖獣専用の魔導ブラシ』で、根こそぎ整えてあげましょう」
「お兄様、シルフィが足をマッサージしてあげる! ――【血糸の癒やし】!」
シルフィが、本来なら敵を切り刻むための糸を、アレンの小さな手足に巻き付けて、執拗なまでのマッサージを開始する。
『……あ、あぐ。……気持ちいいけど、二人の視線が怖すぎるよ……』
アレンは、エリザベートの「洗練された支配愛」と、シルフィの「残酷なまでの独占愛」の狭間で、物理的にも精神的にも押し潰されそうになっていた。
そこへ、フェリスやミーシャたちが、威嚇の唸り声を上げながら次々とリビングに乱入してくる。
「主殿を離せ、この王都のメスどもが! 主殿の膝の上は、アタイの特等席なんだよ!!」
「……あら。……野良犬さんは外で番犬でもしていれば? ……アレン様の魂に刻まれた私の紋章が、貴女たちを拒絶しているのがわからないのかしら」
女たちの火花がリビングの空気を焦がす。
アレンは、自分が「王」として彼女たちを屈服させたはずが、結果として「全員を一箇所に集めてしまった」という取り返しのつかないミスを犯したことに、今さらながら気づいた。
(……救ったはずなのに。……許したはずなのに。……どうして、以前より自由がなくなっているんだろう)
首の白金の鎖は、彼女たちの「愛」に共鳴して、これまでで最も眩く、そして「重く」輝いていた。
王国軍五万を退けた英雄。
辺境に建国された、黄金の精霊王。
だが、その実態は、最凶のヤンデレヒロインたちと、強すぎる愛を抱えたモンスター娘たちに、二十四時間体制で「もふもふ」され続ける、逃げ場のないマスコット王子。
黄金の領土、アレン領。
平和という名の、終わりのない「愛の監獄」の幕が、今、静かに上がった。
『……ルナ。……助けて……』
「……無理よ、アレン。……私だって、貴方を離すつもりはないんだから」
ルナがアレンの背後から抱きつき、その耳を甘噛みした。
アレンは遠い空を眺め、自分を包み込む幾重もの温もりに、心地よい絶望を感じていた。




