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第2話:飢えた蛇姫と黄金の魔力

 視界が、ぐにゃりと歪んでいた。

 黄金の毛並みに包まれた小さな体は、生まれて初めて放った『呪鎖』の反動に耐えきれず、湿った地面に沈み込んでいた。


(……体が、熱い。首筋の鎖が、脈打っている……っ)


 アレン――今は黄金の精霊獣の姿をした王子は、荒い呼吸を繰り返す。

 先ほど放たれた二本の鎖。エリザベートの執着とシルフィの独占欲が具現化したその力は、襲い掛かってきた巨大な魔獣を一瞬で肉片へと変えた。それは救いであると同時に、アレンの精神を削り取る暴力的な愛の奔流だった。


「…………しゅ、守護獣様?」


 震える声が聞こえた。

 アレンが重い瞼を持ち上げると、そこには先ほどのラミアの娘がいた。

 下半身は深い緑色の鱗に覆われた大蛇。上半身は、ボロボロの布切れを纏っただけの、うら若き人間の乙女の姿。彼女は長い指先を口元に当て、信じられないものを見るような目でアレンを見つめていた。


(ああ、だめだ。食べられる……。マスコットになった僕なんて、一口サイズだろうな)


 アレンは逃げようとした。だが、短い足には力が入らない。

 ラミアの娘、ミーシャは、這いずるようにしてアレンに近づいてくる。その距離がゼロになった時、彼女は鋭い爪を立てる――代わりに、深々と頭を下げて地面に額を擦り付けた。


「ありがとうございます……! あんな恐ろしい魔獣を、私のような『はぐれ者』のために……っ。貴方様は、この森の精霊様なのですか?」


 アレンは目を白黒させた。どうやら、食べられる心配はなさそうだ。

 彼は喉を鳴らし、精一杯の意志を込めて念話を放った。


『……僕は、精霊じゃないよ。ただの……少し事情があって、この姿になった者だ。名前は、アレン』


「きゅぅ……」という可愛らしい鳴き声が森に響くのと同時に、ミーシャの脳内に直接、穏やかな青年の声が届く。


「喋った……!? いいえ、心に直接声が。ああ、なんて清らかな響き。アレン様とおっしゃるのですね。私はミーシャ。群れを追い出され、この辺境を彷徨っていた卑しい蛇女です」


 ミーシャの腹が、ぐう、と情けなく鳴った。

 彼女の顔が赤く染まる。見れば、彼女の腕や尾の鱗は乾燥し、ひどく痩せ細っていた。この辺境は弱肉強食の世界だ。弱いモンスター娘は、獲物にありつくことすらままならない。


『ミーシャ、大丈夫かい? ひどく疲れているみたいだけど』


「お恥ずかしい限りです……。三日ほど何も食べておらず、魔力も底を突いてしまって。先ほどの魔獣に襲われたのも、私が弱っていたからで……」


 アレンは同情した。自分も今、城を追われた身だ。この空腹に震える少女を放ってはおけない。

 彼はふらつく足取りでミーシャに近寄ると、その冷たい手に黄金の肉球をそっと重ねた。


『僕の魔力を少し分けてあげるよ。……呪いの混じった、不格好な力だけどね』


 その瞬間、アレンの首に巻き付いた『不可視の鎖』が激しく発光した。

 アレンの体から溢れ出した黄金の魔力が、肉球を通じてミーシャの体内へと注ぎ込まれる。


「――っ!? な、なんですか、これ……熱い、熱いですアレン様! 体の中から、力が、愛が、溢れて……っ!」


 ミーシャの体が淡い光に包まれる。

 カサカサだった緑の鱗は、見る間にエメラルドのような輝きを取り戻し、以前よりも硬質で鋭い形状へと「進化」を始めた。彼女の魔力残量は瞬時に最大値を突破し、周囲の霧を吹き飛ばすほどのプレッシャーを放ち始める。


 これがアレンの持つ特殊能力――『呪鎖』による強制的な魔力供給と強化バフだった。

 だが、代償はすぐに訪れる。


(……あ、ぐっ!? また、この感覚……!)


 アレンの意識が、遠く離れた王城へと強制的にリンクする。

 豪華絢爛な薔薇の園で、エリザベートが不敵に微笑んだ。

『あら……? アレン坊や、私の魔力を使ってくれたのね。いい子ね、もっとたっぷり注いであげるわ……』

 暗い部屋で、シルフィが水晶玉を抱きしめた。

『お兄様、だめだよ。シルフィ以外の力を使っちゃ。ほら、私の愛で上書きしてあげる……!』


 ドクン、と心臓が跳ねる。

 二人のヒロインから「使用した魔力の補充」として、さらなる執着が鎖を通じて送り込まれてきたのだ。

 アレンの体は、さらに一回り小さく凝縮され、毛並みは宝石のような光沢を放ち始める。

 呪いが深まるほどに、アレンは「マスコット」としての完成度を高められ、人間としての自由を奪われていく。


「アレン様! ご覧ください、力がみなぎっています! これなら、どんな魔獣も怖くありません!」


 復活したミーシャは、歓喜の声を上げてアレンを抱き上げた。

 もふもふの黄金の塊を、豊かな胸元にぎゅっと抱き寄せ、頬ずりをする。


「ひゃう!? ちょ、ちょっと、ミーシャ! もふもふしないで、苦しいよ!」


『きゅうきゅう!』と鳴くアレンの声は、今のミーシャには甘えた声にしか聞こえない。


「アレン様、貴方様のような尊い方を、こんな吹きさらしの場所に置いておくわけにはいきません。私の隠れ家へご案内します。そこには私と同じように、行き場を失った仲間たちがいるのです」


 ミーシャは力強く尾をくねらせ、アレンを抱えたまま森の奥へと進んでいった。


 辿り着いたのは、岩壁に掘られた古い廃屋だった。かつては炭鉱夫の詰め所だったのか、ボロボロではあるが雨風を凌ぐには十分な広さがある。

 そこには、三人の先客がいた。

 翼の折れたハーピーの少女。

 角が欠け、戦意を失ったオークの娘。

 そして、水が濁って形を保てなくなっている小さなスライム娘。


「みんな、聞いて! 素晴らしい精霊様を連れてきたわ。私たちの新しい『主様』よ!」


 ミーシャの宣言に、弱りきっていたモンスター娘たちが顔を上げる。

 アレンは、彼女たちの絶望に満ちた瞳を見て、決意を固めた。


(……僕は王子だ。民を守るのが、王族の義務なんだ。たとえこの姿でも、見捨てられた彼女たちを放っておくことなんてできない)


 アレンはミーシャの腕から飛び降りると、廃屋の中央で堂々と(マスコットなりに)胸を張った。


『皆、初めまして。僕はアレン。……今日からここを、君たちの安らげる場所にしてみせる。だから、力を貸してほしい』


 その清らかな念話は、絶望の淵にいた彼女たちの心に、一筋の希望の光として届いた。


 ――その頃、王城。

 アレンの私室に佇む一人の少女がいた。藍色の短い髪に、知的な眼鏡をかけた宮廷魔導士ルナである。

 彼女は床に落ちていた黄金の抜け毛をピンセットで拾い上げ、魔導レンズで解析していた。


「……間違いない。この魔力波長は、アレン様のもの。でも、この生物的な組成は何? 哺乳類……それも、極めて希少な精霊獣のカテゴリーに近いわ」


 ルナの瞳に、鋭い光が宿る。

 彼女はエリザベートとシルフィの異常な執着を知っていた。そして、二人の魔力が衝突した際の爆発的なエネルギーも。


「あの二人に捕まる前に、私が見つけ出さなきゃ。……でも、もしアレン様が本当にこんな『可愛い姿』になっているのだとしたら……」


 ルナはふと、自分がアレン(マスコット)を抱っこして、独占的にブラッシングしている光景を妄想し、顔を真っ赤にした。


「い、いけないわ! まずは救出よ! 待っていて、アレン。私が必ず、貴方を元の姿に戻してあげるから!」


 ルナは固く決意し、魔導書を手に取った。

 王子アレンの生存と、その「もふもふ」な現状を唯一察知した彼女の追跡が、今始まろうとしていた。


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